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アメリカに渡ったスイス人

リッケンバッカー社のエレキギターは、音楽に革命をもたらした。エレキギターはスイス人移民のリッケンバッハーが発明したもの swissinfo.ch

ニューヨーク湾にあるエリス島の移民博物館 ( Immigrations Museum )では7月末から10月31日まで、アメリカに渡ったスイス人移民の歴史が展示されている。

展示の題は「少数で大きな効果 ( Small Number – Big Impact ) 」。少数ながらアメリカに移民したスイス人の中から、有名になった人々を紹介する。

 18世紀始めから20世紀前半までスイスからおよそ10万人がアメリカに渡った。祖国を離れた理由のほとんどが経済的なものだったが、多くの人がアメリカでも苦労した。そのような中で数は少ないが、経済、文化面、政界で名を成した人もいる。

有名な25人

 展示は、移民の新しい祖国となったアメリカに豊かな影響を与えたと考えられる25人をメインとしており、移民の全貌を紹介するものではない。しかし、普通の移民のインタビューを聴くこともできる。インタビューではスイスからアメリカまでの旅の苦労やアメリカでの困難な生活などが語られ、興味をそそられる。

 展示の責任者はスイスの移民博物館協会のマルクス・ホデル氏。ニューヨークのエリス島にある移民博物館を見学したホデル氏とここの責任者が連絡を取り合ったことがきっかけで、今回の展示の企画が始まったという。

影響を与えたスイス人

 展示の題「少数で大きな効果」は自分をアピールすることが苦手なスイス人には似合わないほどのインパクトがある、という記者の感想に対してホデル氏は「われわれにはこのような題をつける勇気はなかったのですが、アメリカ側からの提案でしたので喜んで受けたわけです」と答えた。しかし、実際「スイス人移民がアメリカに対して与えた影響は、一般に知られている以上のものがあるのです」と語る。「平均的なアメリカ人のスイス人像を刷新したかったのです。見学者のうち1人でも、スイス人移民の新しいイメージを持ってもらえば、わたしたちの使命は達成されたと思います」

小ぶりの展示場

 今回の特別展示は博物館の3階に設けられている。博物館になる前には、移民受入れ施設の寝室として使われた部屋で、壁はタイル張り。アメリカへの入国申請が終了していない移民は、いく夜もこの部屋で過ごさなければならなかった。2階からは移民が申請手続きを行う広いホールが見える。疲れ切ったあわれな人たちが、ホールにあふれかえらんばかりに、ニューヨーク湾に立つ自由の女神に訴えるかのようにして入国許可を待っていたはずだ。しかし、現在はそうした移民の姿を見ることもない。

 記者が博物館を訪れた8月のある土曜日には、通常より多くの見学者が展示会を訪れていた。「ここではスイス人のことはあまり聞きません。マイクロソフトの最高経営責任者のスティーブ・バルマーがスイス系ということは知りませんでしたし、ジョージ・ワシントン・ブリッジにスイス人が関係していたことも」と先祖がイギリスからの移民だったという見学者は言う。見学者が指摘したのは、連邦工科大学の建築科を卒業し、ドイツから1904年にアメリカに渡ったオスマー・H・アンマン ( Othmar H. Ammann ) のこと。彼はアメリカで数々の橋を建設し、アメリカ国家科学賞を受賞した。

ギター、自動車、財務長官 そしてハリウッド

 音楽に影響を与えたスイス人移民のコーナーは特に興味深い。アドルフ・リッケンバッハー (ここではリッケンバッカーと呼ばれるわけだが ) がメインだ。彼はエレキギターの共同発明者で、その後の音楽に革命をもたらしたスイス人だ。ジョージ・ビューチャンプと一緒にリッケンバッカー社を創立し、ビートルズと共にエレキギターはポピュラーになった。もう1人はブルースのヴァルター・リンガー。1949年ベルンに生まれた。ミシシッピで白人として初めて黒人と一緒にブルースを演奏した人物だ。

 自動車のルイ・シボレーのコーナーも人気だ。シェビーの愛称でアメリカでも広く知られる車の創始者がスイス人ということは、この展示会が開催されるまで知られていなかった。一方、ナポレオンを相手にルイジアナ州の買収に当たったスイス人のアルバート・ギャラティンのコーナーはあまり見学者がいない。ギャラティンはジェファーソン、マディスン両大統領に合計13年間、財務長官として仕えた。

 文化面で活躍したスイス人の方が、どうやら興味の対象になるようだ。第77回アカデミー賞最優秀作曲賞受賞作品『ネバーランド』の監督マーク・フォースターや、ハリウッドスターで2000年と2003年にゴールデン・グローブ賞を受賞したレネー・ゼルウェガーなどが紹介されているからかもしれない。

 また、芸術家のメセナとして有名なグッケンハイム家がスイスにルーツを持つことは、ほとんど知られていない。19世紀半ば、サロモ・グッケンハイムとユダヤ人の夫を亡くしたラヘル・ヴァイル・マイヤーはスイスで結婚することを許されず、2人の子供たちを伴ってアメリカに渡った。アメリカの移民の歴史につながるスイスの歴史の1コマである。

swissinfo、リタ・エムヒ ニューヨークにて 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ ) 意訳

スイスの移民博物館の展示の一部をエリス島の移民博物館で展示。
10月31日まで。
来年3月から9月まではチューリヒの国立博物館で内容をいっそう充実させた移民の展示会が予定されている。

- エリス島はマンハッタンの南端にある。
- 1892年から20世紀前半まで移民の受入れ口で、移民登録や入国者の健康診断などが行われた。
- エリス島を通った移民はおよそ1200万人。このうち10万人がスイスからの移民で、ほとんどの場合、経済的な理由でアメリカに渡った人たちだった。
- 1990年、移民博物館が開館した。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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