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ギサン将軍の人生をたどる映画

アルトドルフ ( Altdorf ) で軍隊に出迎えられるアンリ・ギサン将軍。1944年 SF

今から50年前、アンリ・ギサン将軍が亡くなった。ギサン将軍は第2次世界大戦中に外国からの侵略に抵抗し、永世中立の意志を貫いたスイスのシンボルでもある。

将軍没後50周年を記念して制作されたドキュメンタリー映画は、スイスの伝説的人物、ギサン将軍に新しい観点を与えている。

スイスの英雄

 ギサン将軍は、多くの伝説を生んだ、まだそう遠い昔ではない時代に生きた人物として知られている。

 ギサン将軍が第2 次世界大戦中、どのようにスイス陸軍の指揮を執ったか、その作戦は極端に美化された。いつもは、英雄や有能な人物に対し、懐疑的になるスイス人の間でさえもギサン将軍が神格化されていったのは、珍しいことでもある。

 彼がスイス国民にとっていかに重要な人物か、スイスのあらゆる都市の市街地図を一目見るだけで分かる。街の至るところに「アンリ・ギサン通り」、「ギサン将軍通り」あるいは「ギサン広場」といった将軍の名を目にするからだ。田舎の伝統的なレストランに行くと、今でもギサン将軍の肖像画が掲げてあるのを見るだろう。

全国放送

 スイス放送協会 ( SRG SSR idée suisse ) は当時のスイス国防のシンボルとなったギサン将軍の栄誉を称え、彼の人生を描いた55分間のドキュメンタリー映画「将軍」を制作し、スイス全国4カ国語で放送した。

 放送日は意図的に2010年4月7日、ちょうど50年前ギサン将軍が亡くなった日に決められた。当時、将軍の葬儀には30万人の人々がローザンヌの街の通りに詰め掛け参列したため、スイス史上最大規模の葬儀となった。当時のスイステレビ局は、これを国民にとって重大な出来事と認識したため、将軍の厳粛な儀式の一部始終を実況中継した。

一人間の人生遍歴

 ベルンで映画が事前上映された際には、総ディレクター代理のダニエル・エックマン氏が映画について熱心に説明した。
「この映画は、第2次世界大戦中、スイスがどのような役割を果たしたか順を追って披露するものではなく、1人の人間の人生の歩みを辿ったものです」

 映画ではこれまで非公開だった情報が明かされ、将軍の経歴に新しい観点が加えられている。興味深い点は、将軍がイタリアの独裁者だったベニート・ムッソリーニと会合したことを示す記録だ。

 このドキュメンタリー映画で新鮮に感じるのは、後に見つかった資料の内容だけではなく、将軍の人生を辿る語り手の視点だ。
 「これまでギサン将軍の活動は、部分的にだけ取り上げられていました。しかしわたしたちは今、初めて彼の全人生の歩みを辿り、語っています」
 と映画監督のフェリーチェ・ツェノーニ氏は説明する。

 映画「将軍」は、ギサン将軍がヴォー州の地味な資産家からスイス軍の最高司令官になり、伝説的なスイスの英雄となった人生遍歴を余すところなく表現している。

映画は将軍への賛歌なのか

 映画は全体としてギサン将軍の人柄の良さを引き出すように作られている。軍隊が主導権を握っていた時代では、上級将校は下等位の軍人とは然るべき距離を置くことが当然とされていたが、将軍は軍隊の兵士と深い絆で結ばれていた印象を受ける。

 彼は、政治分野においてもナチスの脅威に屈服せず、断固として国を守った愛国者としてのイメージがある。ギサン将軍は、国防戦略としてスイスのアルプスを国の要塞「レドゥイ ( Réduit )」に利用したが、後にアルプスはスイスに侵略しようとするあらゆる力に対して抵抗することを示す国のシンボルになった。

 しかし、ドキュメンタリー映画は、歴史家やギサン将軍時代の生き証人たちを通し、単に将軍を賛美するだけではなく、冷静に分析している。また、
「わたしたちはギサン将軍に対して賛歌を捧げたくはありません。ジャーナリストとしてのわたしの唯一の目的は、当時起こったことを伝えることなのです。良い出来事もありましたし、そうでないこともありました」
 とツェノーニ氏も中立的な見解を語る。

英雄の影の部分

 英雄として称えられたギサン将軍の影の部分を挙げるならば、一時的だが他国の戦争指導者と緊密なコンタクトを取ったことで、スイスの中立的な立場を危うくしたことだ。

 彼がフランスの参謀本部と連絡を取ったことが、1940年の春にドイツがフランスを占領した時にはスイスを微妙な立場に追いやった。また、1943年3月には、スイス政府の許可なしに、当時のナチス党の国外諜報局局長であり後に親衛隊少将となったヴァルター・シェレンベルクにスイス領域内で密会した。

 このように将軍は政治面では影の部分を合わせ持っていた。彼は労働者階級が組織活動をすることに対して非常に敵視した態度をとる、非常に保守的な人物としてとらえられている。またツェノーニ氏は、彼がムッソリーニを賛嘆していたことには疑問が残ると語る。 

今日では色褪せて

 数十年前はまだ人気があったギサン将軍は、今の世代の人々にとって色褪せた人物になってしまった。

 「わたしたちはおそらく新旧世代の入れ替わりの時代にいるのでしょう。戦時中に生きたすべての人にとって、将軍は今でも伝説の人物として印象に残っています。今の時代の人にとっては、彼はそれほど興味深い人物に映らないかもしれません。しかし、この映画は再び人々の興味を呼び起こすと確信しています。時がたてばたつほど、わたしたちは自らの歴史を発見するのですから」
 とツェノーニ氏は映画監督として作品に対する思いを語った。 

オリヴィエ・パオシャー 、swissinfo.ch
( 独語からの翻訳、白崎泰子 )

1874年10月10日、ヴォー州メジエール ( Méziéres ) に生まれる。
農業を学んだあと、ピュリ ( Pully ) で「農業紳士」となる。
1894年 士官に任命され、その後、軍隊でのキャリアを積んでいく。第1世界大戦では参謀で中尉だった。
1927年に旅団長、1932年軍団長に就任し職業軍人となる。
1939年8月30日、連邦議会により将軍として選出される。
1945年8月20日までスイス軍を指揮する。
1960年4月7日 ピュリにて死去。

スイスでは戦時のみ、将軍が選出される。選出は連邦議会が行い、将軍はスイス軍を指揮する。スイス史上将軍職に就いたのは3人のみ。1847年 ( 分離同盟戦争 ) ギリョーム・アンリ・ドゥフォー、1914~1918年 ( 第1次世界大戦 ) ウーリ・ヴィレ、1939~1945年 ( 第2次世界大戦 ) アンリ・ギサン。
平和時の軍最高責任者は、旅団長 ( 1星 ) 、師団長 ( 2星 ) 、軍団長 ( 3星) と決められている。

マルクス・ソン著 2010年 シュテンプフリ出版 ( Stämpfli Verlag )
当時最も有名だった人物、ギサン将軍についての最新の書籍。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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