The Swiss voice in the world since 1935
トップ・ストーリー
スイスの民主主義
ニュースレターへの登録

スイスで動物実験を行うことは非常に困難

サルのブルージーは今のところ動物実験から外されている ( 写真提供 : チューリヒ連邦工科大学 )

チューリヒの研究現場で、少なくとも2件の研究プロジェクトがストップしている。「動物実験に使われるサルの尊厳が守られていない」というのが、その理由だ。

マカクという種類のサルを使って実験を行おうとしたところ、評価委員会から許可が下りなかった。

 問題は憲法がどのように適用されるか、ということらしい。これはなかなか難しい問題で、連邦獣医学局 ( BFET/OVF ) も「今回の件はグレーゾーンだ」と歯切れが悪い。

動物実験を巡って大論争

 スイスの法律では、科学者が動物実験を行う際には、どのように行うかを説明するプロトコールを州の評価委員会に提出しなければならない。

 チューリヒ州の評価委員会のトップは哲学者だ。メンバーの顔ぶれは多彩で、科学者や動物の権利を守る活動家などが含まれている。

 評価委員会は、研究プロジェクトに対し勧告を行う程度の権限しかないが、研究の実施を実際に許可する州の獣医学局はこれまでほとんどこの委員会の勧告に従ってきた。ところが、今回は委員会に真っ向から反対の姿勢を示し、スイスの科学界で大きな議論となっている。

 一方、委員会のメンバーは州の健康局に上告し、現在、この要請が通ったところだ。このため更新や立ち上げを申請したプロジェクトは許可が下りないまま、凍結されている。

 チューリヒ・ニューロインフォマティックス研究所の科学者、ダニエル・キパー氏も、宙に浮いたプロジェクトを持つ科学者の一人だ。彼は脳卒中などの発作を起こした患者を救う道を探る研究をしており、このためにはサルを使う動物実験が不可欠だったのだが、申請は却下された。

 理由は「実験の前にサルに水を与えないのは、動物の尊厳を侵害する」というものだった。水はサルが課題をしっかりこなした時にごほうびとして与えられる、ということが問題だったらしい。

動物の尊厳とは何か

 キパー氏は「委員会の決定はまったく理解できません」と語る。「これは確かに新しいプロジェクトなのですが、実験に使う技術自体は、過去4年間に行われてきたことと全く同じなのです。実験開始前に与える水を制限する方法は、前に行った実験と同じです」

 しかし、委員会が今回のプロジェクトを拒否したことの背景には、スイスの法律改正が絡んでいる。動物の尊厳を守ることがより強化され、評価委員会はこの改正に従ったまでの話なのだ。これまでの評価委員会の仕事は、動物実験の数をなるべく減らしたり、より良いやり方に改善させたり、ということに重きが置かれていた。

 ところが法律改正によって状況が変わった。「動物の尊厳」がより前面に押し出されるようになったのだ。チューリヒ評価委員会の会長、クラウス・ペーター・リッペ氏によると、新しい法律に従えば、キパー氏のプロジェクトは動物の尊厳を傷つけるのだそうだ。

 キパー氏は不満げだ。「動物の尊厳は重要ですが、この法改正は非常に問題だと思いますね。『動物の尊厳』などの倫理的な表現は、抽象的すぎて、どのようにも解釈できてしまいます」

 しかしリッペ氏によると、これは倫理的な問題ではなくあくまで法律的な問題なのだそうだ。「動物の尊厳はスイスの憲法にも定められています。評価委員会は、倫理的なことには興味はありません。私の個人的な倫理的視点など、重要なことではないのです」

 一方、連邦獣医学局はどのように「動物の尊厳」を守るか、明確な定義がないことは問題だと認めた。まずはその場その場で状況を見ながら、今後次第に定義が決まってくるのではないかという。

本当に動物の苦しみが報われるのか

 このような委員会の説明について、キパー氏は反論する。「動物実験を使った基礎研究が、実際に病院の臨床現場で人間にどう役に立つか、ということを証明するのは非常に難しいことです。両者の間の線引きは簡単ではありません。けれども経験的にいって、臨床の研究は、基礎研究に依存しているものです」

 獣医学局によると、動物の利益か、人間の利益の「可能性」か、という2つの選択肢の問題は、今に始まったことではないという。

 とにかくチューリヒの科学者たちは、実験再開の道を諦めてはいない。ニューロインフォマティックス研究所の母体であるチューリヒ大学とチューリヒ連邦工科大学 ( ETHZ ) は、すでに健康局の決定を上告するつもりだと発表している。

 それにしても、今回の論争が、スイスで動物実験を行いたい科学者にとって頭の痛い問題であることは間違いない。このため、産業界や科学者の一部は、「動物実験は国外でやらざるをえなくなる」と警告している。「こんなに動物実験の許可が難しいようであれば、スイスで動物実験をすることは不可能だということになります」とキパー氏は語った。

swissinfo スコット・キャッパー、 遊佐弘美 ( ゆさ ひろみ ) 意訳

2005年にスイスで実験に使われた動物は、55万505匹。遺伝子組み換えマウスが増加したため、前年比10.6%増となった。
1983年には200万匹も実験に使われていた。
2004年及び2005年には、動物実験を実施する2414件のプロジェクトが許可された。
このうち実験に使われたサルは、408匹。

‐ スイス医科学アカデミーとスイス科学アカデミーは、「科学者は全ての動物実験についてそれが必要不可欠なものであることを証明しなければならない」「もし、その動物実験が必要な場合は、それが倫理的に正しく実施されなければならない」と定めている。

- 何が「倫理的か」という定義については、研究者個人の責任とそれぞれの関係当局、そして一般世論の間のバランスで測られる。

- またこれとは別に、実験動物は、その性質に合わせて十分に尊厳のある環境が与えられる権利がある。

- 痛みやストレスを与えるどんな動物実験も、基本的にその動物の尊厳を冒すとみなされる。このため、そのような実験は、倫理的な問題をクリアしなければならない。

経科学に関係する情報をデータベース化して世界で共有する学問

人気の記事

世界の読者と意見交換

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部