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スイスの画家、パウル・クレーの美術館が生まれ故郷ベルンで建設中

パウル・クレー「パルナッソス山へ」1932年、ベルン市立美術館所蔵。

(swissinfo.ch)

スイス人外科医のミュラー氏の資金出資により、パウル・クレー市立美術館が建設される。美術館ができれば、クレーの全9500点余りの半分にあたる、4000点余りの作品を鑑賞できることになる。

2002年6月に基礎工事が始まり、2005年に開館予定。関西国際空港旅客ターミナルビルやポンピドー・センターを造った著名な建築家レンゾ・ピアノ氏(伊)が着手。クレー人気の高い日本での窓口、「パウル・クレー・アート・センター」も検討中。

ベルンがクレーの首都に

 クレーの遺族は美術館ができれば作品を寄付すると約束しているため、クレー財団とベルン美術館の作品を合わせるとクレー全作品(カタログ・レゾネによると9500点あまり)の半分弱(約4000点)の作品がベルンで見られることになる。日本にはクレーの作品は約200点しかないので、クレーファンにはベルンへの旅は必要不可欠となりそうだ。この美術館設立の資金出資にベルン市が困っていたところ、人工接骨発明特許で富を得たスイス人の外科医が60%の資金を出資することになり工事がようやく始まった。「パウル・クレー・センター」の全予算は6700万ドル(約79億円)で、クレーの展示室以外に子供の美術館や資料館などが併設されるアートセンターになる予定。

 ベルンの郊外のなだらかな緑地帯に3つの丘が浮かび上がるピアノ氏のプロジェクトは地形との調和を図ったもので現在工事の真っ只中。ミュラー氏は「クレーの画風の雰囲気を出そうとしている」と語る。ピアノ氏はスイスではバーゼルのバイエラー財団美術館の建築も手がけており、ミュラー氏の出資の条件はピアノ氏を建築家として採用することだった。

どうして日本人に人気?

 日本でのクレーの人気はスイスに匹敵すると言われ、日本でのクレー研究や翻訳も進んでおり、昨年は鎌倉近代美術館でクレーの展覧会が開かれた。世界でもクレー研究の第一人者、奥田修氏(パウル・クレー財団研究員)によると日本人がクレーに惹かれる理由は「クレーの詩的なイメージが俳句の伝統などがある日本人の感性にぴったりくるのだろう」という。奥田氏は「いろんな影響を受けながら独自の画風世界を確立したクレーと日本の近代化への道が重なるので共感するのではないか」とも説明する。幻想的で叙情性に富んだ作品を多く残したクレーだが晩年には児童画を思わせる単純な形象や記号による絵画に達した。「まだ、知られていないクレーの側面は多く、ヒトラーが政権を取った時の暗い作品など研究が進むにつれいろいろ分かってくる」という。

日本での窓口

 日本パウル・クレー協会の事務局長、新藤信氏によると日本でもこのパウル・クレー・センターの窓口のような小さな施設を検討中だという。現在のところ静岡県の浜松市と交渉中だが財政問題でまだ、具体的なことは決まっていない。もし、これが実現したら、ここでクレー・センターからの貸し出しという形でクレーの作品が見られるようにするのが夢だ。

パウル・クレーとスイス

 クレーは1879年にスイスの首都ベルン郊外で生まれた。ドイツ人の音楽教師の父と(父親により、国籍はドイツ)オペラ歌手のスイス人の母を持ち、当初はヴァイオリン奏者として音楽家を目指していたが18歳で画家になる決心をする。ドイツのナチスの台頭によりバウハウスの教職を解雇され、退廃芸術の烙印を押され迫害を受けたため、故郷スイスへ逃げる。スイスへの帰化手続きが終わらぬまま皮膚硬化症が悪化し、南スイスにて1940年享年61歳で逝去。


スイス国際放送、屋山。

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