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アート・バーゼルが揺れる中東に進出 カタールに白羽が立った理由とは

ヴィンチェンツォ・デ・ベッリス氏。2025年アート・バーゼルにて
ヴィンチェンツォ・デ・ベッリス氏。2025年アート・バーゼルにて Matthieu Croizier - Courtesy of Art Basel

ポストコロナへの移行を機に野心的な成長戦略を進めてきたアート・バーゼルが、来年2月、カタール最大の都市ドーハに新たなアートフェアを立ち上げる。旗振り役を務めるのは、イタリア出身のキュレーター、ヴィンチェンツォ・デ・ベッリス氏だ。同氏が語るアート・バーゼルの運営哲学とは――。

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アートフェアの世界最大手として不動のブランドを確立したアート・バーゼルが、カタールに進出する。5月末の発表によると、新フェアの開催は来年2月。2003年マイアミ、13年香港、22年パリとおよそ10年間隔だった進出のペースが、ここにきて大幅に加速した。

立ち上げを率いるのはイタリア人キュレーターのヴィンチェンツォ・デ・ベッリス氏。アート・バーゼルの最高芸術責任者兼グローバルディレクターであり、アート・バーゼルCEOのノア・ホロウィッツ氏に直属する形で各フェアのディレクターらを監督する。

アート・バーゼルが各地のフェアに専任ディレクターを任命する背景には、拡大する事業の統合と地元との結びつきを確保するという意図がある。デ・ベッリス氏のカタールでの使命も、立ち上げた運営を現地のディレクターに引き継いで完了する。

先月中旬、アート・バーゼルのバーゼル会場で行われたインタビューで同氏は「最終的には現地のチームとリーダーシップにフェアを運営させるのが目標です。これまで全ての都市で行ってきたことで、カタールも例外ではありません」と話した。「運営メソッドは同じでも、地域の顔はその地域出身者であることが文化的観点から重要だからです」

アート・バーゼル・カタールの会場となるM7デザイン&カルチャー・ハブ。英建築事務所ジョン・マクスラン+パートナーズが設計し、2022年に落成した
アート・バーゼル・カタールの会場となるM7デザイン&カルチャー・ハブ。英建築事務所ジョン・マクスラン+パートナーズが設計し、2022年に落成した Www.juliushirtzberger.com

カタールの存在感

インタビューは、バーゼル会場のバックヤードにある、メディア含め関係者以外立ち入り禁止のコレクターズラウンジ(VIPラウンジ)で行われた。エリア内にはカタール・フェアに参加する様々な文化スペースの模型が置かれるなど、早くもカタールが存在感を漂わせていた。中でも目を引いたのは、スイスの著名建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンが設計した、2029年にオープン予定のルサイル美術館外部リンクだ。その他、カタール料理をフィーチャーする特設パビリオンの模型も展示されていた。

このインタビューの数日前、アート・バーゼルがメディア用に設けたプレオープニングでデ・ベッリス氏は、カタール航空との間にグローバル契約が結ばれたと発表した。今後カタール航空は、公式パートナーとして「毎年、バーゼル、パリ、香港、マイアミ及び新規に加わるカタールにおける全ての展示会をサポートする」という。

つまり、全てはお膳立てされていたのだろうか?同氏は「お膳立てという言葉は当てはまりません。1つの取り決めで全てが決まるのではなく、事業が自然と発展する中で様々なブランドとの関わりが生まれます。カタール航空もその1つに過ぎません」と話す。

同氏はさらに、アート・バーゼルのアプローチは「各地域のパートナーと共にプログラムを発展させる」ことだと力説する。「その過程で、ある地域のパートナーが、他の開催地でも一緒に仕事をしてくれるようになる。私たちは、フェアの開催都市同士がつながることを歓迎します」

カタールで2029年開館予定のルサイル美術館の鳥瞰図(模型)
カタールで2029年開館予定のルサイル美術館の鳥瞰図(模型) ©Herzog & de Meuron, Courtesy of Qatar Museums

アート・バーゼル・カタールは、華やかなイメージに反して初回は控えめな規模を想定している。デ・ベッリス氏によると、第1回目の出展ギャラリー数は約50軒だ。先日行われたバーゼルでは289軒だった。12月に開催されるマイアミでも同数、10月のパリでは203軒を予定している。今年3月の香港には240軒が出展した。

カタール会場では国外のギャラリーと地元MENA地域(ミーナ。中東と北アフリカ地域を指す)のギャラリーが混在する。バーゼルでは、カタール出展を申し込んだというアートディーラー数人と話をしたが、特に中小ギャラリーの間では、カタールでは少なくとも初回は大手が優先されるとの認識が広まっている。

サッカーW杯の余波

2022年FIFAワールドカップ(W杯)のカタール開催が決定すると、同国の外国人労働者や女性、LGBTの人権外部リンク状況をスポーツのイメージを利用し覆い隠す「スポーツウォッシング」だとの非難が集まり同大会に影を落とした。こうした批判の声は今回、アート・バーゼルに対しても上がっている。

しかし、デ・ベッリス氏は、アート・バーゼルには「私たち、そして私たちのパートナー全員が守らねばならない」厳格な行動規範外部リンクがあるとして、そうした批判を退ける。

しかし、その一方では現地の法律に従うことも言明している。ならば、もし現地の法律とアート・バーゼルの行動規範が食い違った場合はどうなるのか?この問いは宙に浮いたままだ。

2022年FIFAワールドカップ・カタール大会の決勝戦当日、活動家らがFIFA本部の敷地に15000と大書きした。アムネスティ・インターナショナルによると、これは大会招致が決定して以来カタールで死亡した外国人労働者の数だ
2022年FIFAワールドカップ・カタール大会の決勝戦当日、活動家らがFIFA本部の敷地に15000と大書きした。アムネスティ・インターナショナルによると、これは大会招致が決定して以来カタールで死亡した外国人労働者の数だ Keystone / Michael Buholzer

いずれにせよ、アート・バーゼルは既に香港に進出している。中国は深刻な人権問題を抱えており、その意味ではカタールの時だけ議論になるのは不公平かもしれない。

検閲や表現の自由の制約という点では、別の開催地マイアミがある米フロリダ州も決して模範的ではない。同州ではロン・デサンティス外部リンク知事の下、学校カリキュラムや大学をターゲットとした政策が物議を醸している。

中東のカルチャーブーム

カタール進出は、アート・バーゼルとその親会社でバーゼル拠点の国際ライブマーケティング企業MCH、そしてカタールの企業2社の提携により実現した。その1つはカタールの政府系ファンドでFIFAワールドカップ運営にも大きく貢献したQSI外部リンク(カタール・スポーツ・インベストメンツ)、もう1つは、自らを「文化商業とアートのキュレーションに特化した戦略的・文化的集団」と位置付けるQC+だ。

アート・バーゼル・カタールはまた、カタール首長の妹、シェイカ・アル・マヤッサ・ビント・ハマド・ビン・ハリーファ・アル・サーニー氏が推進してきた長期戦略の産物でもある。同氏はカタール博物館や10年以上前からグローバルサウスでの映画製作に多大な投資を行っているドーハ映画財団など複数の団体の会長を兼任し、20年以上にわたり国内における大規模な文化インフラ投資の原動力となってきた。

カタールのシェイカ・アル・マヤッサ氏。5月のベネチア建築ビエンナーレへのカタールの初公式参加を記念し行われた公開イベントで
カタールのシェイカ・アル・マヤッサ氏。5月のベネチア建築ビエンナーレへのカタールの初公式参加を記念し行われた公開イベントで Qatar Pavillon

アート・バーゼル期間中、珍しく公の場に姿を見せた同氏は、建築家のジャック・ヘルツォーク氏とアーティストのウルス・フィッシャー氏というスイスの著名人2人と共にパネルディスカッションに参加。自ら率いるプロジェクトが「最終章」に入ろうとしていること、2029年のルサイル美術館の開館がクライマックスとなることなどについて語った。

ルサイル美術館のコンセプトは、カタール国立博物館やイスラム美術館など近年登場したスケールの大きな美術館の中でもおそらく最も大胆なものだ。また、イスラム美術館の展示は、同種の美術館の中でも最も包括的と評される。

オリエンタリズムの検証

1900年代初頭、カタールの創始者シェイク・ジャシム・ビン・ムハンマド・アル・サーニーが統治の中枢を置いた集落がルサイルだった。そこに建設された計画都市ルサイル・シティは、革新的都市設計と充実した近代的インフラを誇る。

ヘルツォーク&ド・ムーロン設計によるルサイル美術館は、自らを「思想の美術館」と位置付ける。「オリエンタリズム芸術」つまり西洋の視点からの「オリエント(東洋)」の描かれ方に特化した展示で、脱植民地化というテーマと対峙し、新たなアプローチを提案する。

オリエンタリズム芸術の代表例。ウジェーヌ・ドラクロワ「疾走するアラブの騎手」(1849年)
オリエンタリズム芸術の代表例。ウジェーヌ・ドラクロワ「疾走するアラブの騎手」(1849年) Lusail Museum, Qatar Museums, 2022

カタールが推進する文化政策は、近隣の湾岸諸国とは一線を画す。ドバイの代表的文化事業には「メディアシティ」が挙げられる。これは主にMENA地域と南アジアからのプロデューサーやクリエイティブワーカー、大小のメディアに活動拠点を提供する複合施設だ。アブダビはルーブル美術館に名前の使用料を払い、ルーブル・アブダビを作った。一方サウジアラビアでは、アートコレクターやアートギャラリーの数が飛躍的に増えている。

だが、カタールほど地域社会の能力と文化施設の創設に投資した国は無い。だからこそ「なぜカタールなのか」という問いに対して、デ・ベッリス氏がアート・バーゼルとカタールは「互いのビジョンに駆り立てられている」と答える時、そこには漠然とした業界的言い回しに終わらない説得力がある。

「カタールありきというわけではありません。カタールの重要性はこの取り組みの根幹を成しますが、私たちが視野に入れているのはMENA全域です」

地域間の競争、特にカタールと同じく石油依存からの脱却を目指すサウジアラビアとの競争について問われたシェイカ・アル・マヤッサ氏は「競争は西洋の概念です。彼らは私たちを競争相手とは見ていません。私たちは互いに補完し合っているのです」と一蹴した。

しかし、この事業には不確定要素が1つ存在する。デ・ベッリス氏とのインタビューの数日後、カタールの米軍基地がイランのミサイル攻撃を受けた。翌日には停戦が仲介されたが、いつまで持つかは分からない。

危険に近いとはいえカタールは、紛争の全当事者(イスラエル、イラン、米国)と良好な関係にあり、標的にされる可能性は低い。しかし、この地域を舞台とする計画は全て、脆いながらも現状が維持されることにかかっている。来年2月を迎えるまで、何が起こるか分からなくなってきた。しかし、全ては「通常通り」に動いている。今のところは。

編集:Catherine Hickley/gw、英語からの翻訳:フュレマン直美、校正:宇田薫

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