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ベルリンの新スイス大使館オープン

ベルリン大使館開館 Keystone

ベルリンで11日増改築した新スイス大使館のオープニング・セレモニーが行われ、モーリッツ・ロイエンベルガー大統領らが出席する。大使館が位置するのはシュプレー川沿いの新独官庁街の中心地で、独側から移転を迫られたり建築様式を批判されたりと、開館前から論争の的となった。

このコンテンツは 2001/05/11 11:46

スイス大使館の建物は1871年に慈善病院の院長のために建てられたもので、旧ドイツ帝国議会よりも古い。第1次大戦後からスイス政府の所有物で、旧ドイツ帝国の中心街にありながら第2次大戦の戦火を免れた唯一の建物だったが、第2次大戦後約50年間は使用されていなかった。それを2、200万スイスフランかけて増改築したのだが、新館の評判がとても悪い。ベルリンっ子らは新館を刑務所とか掩蔽壕、燃料庫などと呼び、「ディ・ウェルト」紙は「みにくいアヒルの子」と称した。設計を担当したバーゼルの建築家らによると、芸術性だけでなく歴史も考翌オたデザインで、旧館と新館が並び立つ様はベルリンが体験した波瀾の過去の記憶と新しいドイツへの証人となることを表しているというのだが。

この大使館の位置するところは、近年欧州最大の建設ラッシュとなっているシュプレー川河畔地域で、ドイツ新官庁街の中心だ。旧東独時代には何もなかったポツダム広場は、ハイテク産業街に変身した。この資産価値急騰地域で、スイス政府は第2次大戦の空襲下も焼け残った建物の所有権確保に大変な苦労をするはめになった。新ドイツ官庁街建設のオリジナル・プランは、スイス大使館がど真ん中に位置するようなものではなかった。が、結果的にそうなってしまったため、スイス政府はドイツから大使館をどこかへ移転するよう圧力をかけられたり申請されたりしたが、踏み止まった。

ところで、このスイス大使館がかつて使用されていた第1次大戦から第2次大戦までは、スイス外交史の暗黒時代と呼ばれている。当時のハンス・フレーリッヒャー駐第三帝国スイス大使は、この在ベルリン・スイス大使館でナチ政権の要人らを酒食でもてなした。これをナチスの御機嫌取りと評する者もあるが、だからこそナチス・ドイツのスイス侵略を阻止したと評する者もある。真相は、両者の中間あたりにあるのだろう。

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