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ローマ法王死去についてメディアの反応

ローマ法王の死はスイスのメディアで数ページにわたって大きく取り上げられる。 Keystone

2日84歳で死去したヨハネ・パウロ2世について、スイスの報道機関も他の欧州メディアと同様に、一面で大きく報道した。                                       

およそ27年間も在位したことから、ヨハネ・パウロ2世のみしか知らない世代もある。カトリック信者をはじめ多くのスイス人にとって「世紀の法王」だった。法王のカリスマ性や人道面で平和外交を重視したことなどを評価する一方で、保守的な面を指摘する報道が多かった。

4日付のほとんどの新聞が1面でローマ法王死去のニュースを取り上げた。また、テレビやラジオも法王の一生やその業績を特別番組で報道。「世界の良心」、「道徳のモニュメント」、「偉大な人物」といった表現で法王を評価している。一方、避妊を全面的に否定するなど保守的だった面を紹介し、次の法王にはカトリック教会が新しく生まれ変わることを望む記事が目立った。                                     

固い意志で平和外交

 フランス語のル・タンは法王死去の記事のほか、「神のマント」と題し15ページにわたる特集を組み、ヨハネス・パウロ2世の一生を紹介した。フリブール州の日刊紙ラ・リベラシオンは、「世界全体が(彼の死に)ひざまずく」と書き国家、宗教、文化を超えてその死を悼むと書いている。

 ドイツ語の日刊紙ターゲスアンツァイガーは、「法王の死によりひとつの世紀が終わった」とし、ベルリンの壁が崩壊したとき、ポーランドの「連帯」への支持、イラク戦争に断固反対する一方で、避妊の全面的否定などを訴えた法王を指し、「政治面で法王が活動するとき、世界の良心として主役を演じた」と書いた。スイス東部の日刊紙ザンクトガラー・タークブラットは、岩の意味を持つキリストの弟子の聖ペトロを例に取り「ヨハネ・パウロ2世も体が衰弱するにつれ、岩盤のような固い意志を持つようになり、精神的力を発揮した。カトリック教会をまとめるために法王は、信仰という力が必要だったからだ」法王にとっては「現在の無秩序を解消するには、唯一信仰がその解決法だった」と書いた。

 現在カトリック教会は、欧州諸国では聖職に就く人が少なくなっていることや、エイズ問題を抱えながら何もできないでいるアフリカ諸国の聖職者たちなど問題を多く抱えている。バーゼラーツァイトゥングはスイス大統領のコメントを引き「世界の歴史を動かした人物」と評価。また、スイスのキリスト教会の大司教たちは、共産圏を仕切っていた鉄のカーテンを開けた人物として、共産圏のポーランドから法王に選出され、世界の平和に尽力したことを挙げた。

カトリック教会が背負う黒い十字架

 アールガウ州の地方紙アールガウアー・ツァイトゥングは、法王とスイスとの関係は必ずしも良好ではなく、特にバチカンの厳格な階級制度とスイスの連邦制がなかなか相容れなかった歴史を取り上げた。

 また、首都ベルンのベルナー・ツァイトゥングは、「法王として社会の正義と平和のために尽くし、ほかの宗派やほかの宗教との会話を求めた」。しかし、一方で、性の問題に対する拒否の姿勢、聖職者の結婚や女性が司祭になることを認めなかったとし、「彼の遺産」は、今後「黒い十字架」としてカトリック教会が負うことになると指摘している。

 ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥングは、「ヨハネ・パウロ2世は在位中長期にわたり、世界政治と教会内において精力的な活動をしたが、カトリック教会内外における近代化の動きに揺るがされることなく、彼自身の教皇としての主権を主張し続けた」と保守的だったことを指摘した。

 埋葬を経て次の法王が選出されるまで、スイスのメディアはバチカンに熱い視線を送り続けることになりそうだ。

swissinfo 佐藤夕美(さとうゆうみ)

ヨハネ・パウロ2世(カロル・ボイチワ)
1920年5月18日ポーランド生まれ
1946年 司祭となる
1948年 宗教学博士号取得
1958年 クラフク(ポーランド)の司教となる
1967年 枢機卿に任命される
1978年10月16日 第264代の法王に任命される
2005年4月2日 死亡
平和外交に熱心で、国外旅行は104回にわたる。

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