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スイスの暗い過去 強制的に親から引き離された被害者が語る

強制的に親から引き離された被害者のグループが今年の3月31日、5億フランの賠償基金の設立を求めるイニシアチブを立ち上げた Keystone

スイスでは1981年まで、10万人もの貧しい家の子どもたちが行政措置として強制的に里子に出されたり、施設に入れられたりした。過去を恥じ沈黙していた被害者たちが今、謝罪と賠償を求めて口を開き始めている。スイスインフォは4人の被害者に話を聞いた。


 午前9時。天候に恵まれない今年の夏の、ひんやりとした朝の空気に襟を立てたその男性は、自宅前に止めた車に190センチの長身の体を押し込めて待っていた。行き先はヴァレー州。「4人と会うことになっている」と、がっしりしたスポーツマンのような体格のクレマン・ヴィエイさんが言う。

 彼は、被害者団体「尊厳のためのアクション」の設立者だ。また、過去に「公的援助」の手段として強制的措置を受けた被害者の救済に向けて2013年に政府が設置した「ワーキンググループ」のメンバーでもある。さらに、5億フラン(約564億970万円)の賠償基金の設立を求めるイニシアチブの推進委員も務める。

 目的地までの1時間半、何本もの電話に中断されながら、ヴィエイさんの失われた幼少期について話を聞く。

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「私は闘う」

 2013年の春、ヴィエイさんの人生が変わった。シモネッタ・ソマルガ司法警察相が強制的措置の被害者を招いて謝罪式典を開催したからだ。「私の身に起こったことは、人生の思いがけない出来事で、何だか変な感じがする。ベルンに行って初めて行動を起こそうと決心したからだ」

 ヴィエイさんの話がメディアに取り上げられ、名前が広まった。「私の体験がメディアに注目されて他の被害者の関心を集めた。今までに500人近くの問い合わせを受けた。この10カ月の間に、被害者から証言を集め、彼らの話がきちんと記録されるよう手助けをするために6千キロメートルを走り回った」

 被害者で今も生存している人は推定1万~2万人。被害者救済の政府の「ワーキンググループ」は8月、政府が賠償のための基金設置を決定するまでの一時的対応として、緊急の救済基金を設立した。

 ヴィエイさんの被害者団体が設立されたのは、自然な流れだった。連邦議会では社会民主党のウルスラ・シュナイダー・シューテル議員が被害者の代理人として政府に働きかけている。ヴィエイさんも献身的に活動を続ける。「自分の過去に少し距離を置くことで私は感情的に落ち着いている。こうすることで、被害者のために全てのエネルギーを費やせる」

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ローズ・フランスさんの話

 外では霧雨が降り出した。午前11時。ヴァレー州シエールに到着。カーナビを頼りにアパートを探しだす。Tシャツにジーンズ姿の、71歳には見えないローズ・フランスさんが、仏像の置物の飾られた自宅アパートへと案内してくれた。

 ローズ・フランスさんはここで2度目の夫と暮らしている。テーブルには孫たちのマンガ。彼女は震える声で話し始めた。見捨てられ、殴られて、おもらしをしたこと。食事に出された干からびたパンや、暗闇が怖かったこと。だが最も耐えがたかったのは「愛情をもらえなかったこと。それから、自分は被害者なのに、その過去を恥ずかしいことだと思ってしまうこと」。

 話を聞いた後でヴィエイさんは、ローズ・フランスさんを次回開催される被害者団体の集会に誘った。そしてイニシアチブのための署名の紙を差し出す。人道支援基金を通して、ワーキンググループからすぐにでも4千~1万2千フランの救済金が受け取れると話すと、「申請条件を満たしていないと思っていたので今まで何も申請しなかった。それに、もしお金をもらったとしても私の負った深い傷が癒えることはないのだから」。だが、賠償を受けられるのならば、日のあたるところに引っ越すか、体の不自由な娘のために中古車を買うつもりだと言う。

 お昼どきになったのでローズ・フランスさんに別れを告げる。午後2時。シオン駅にローズ・マリーさんが到着した。78歳のローズ・マリーさんは杖をつきながら歩く。「2年前にひったくりに遭って腰の骨と歯が折れた。でも私は心臓が弱いので、手術してくれる医者はいない。不幸なことばかりが起こる」。話を聞くために、近くのカフェに入る。ローズ・マリーさんの記憶は、詳細にわたるまで驚くほど鮮明で、その話は時おり涙と自嘲気味の笑いで途切れながら続いた。

ローズ・マリーさんの話

 「話を聞いてもらえて気分が楽になった」と、話の終わりにほほ笑むローズ・マリーさん。その目は決意に満ちて輝いている。「私のたった一つの願いは、私の身に起こったことを告発すること。スイスという豊かな国にいながら、私はこれまでに一度も思いやりというものに出会ったことがない」。老齢・遺族年金(AHV/AVS)を受給しながら生活するローズ・マリーさんは、賠償を受けようと決心した。まずは緊急の救済基金に申請するため、ヴィエイさんに手伝ってもらって書類作成をし、手続きをとるという。

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「なぜ自分は生まれてきたのかと考える」

 午後5時。4カ月前からシオン病院に入院している、82歳のジルベールさんに会いに行く。ヴィエイさんに連絡したのは、そこの看護師だった。ローズ・マリーさんたちに比べてジルベールさんの語り口は穏やかだが、そこに出てくるのは同じ言葉だ。両親の離婚、労働、むち打ちの罰、地獄のような生活・・・。頭を枕に持たれかけ、長い沈黙をはさみながら、だが時おりちょっとしたユーモアも交えて話してくれた。

 「物事が動き出すのはいいことだ。当時は、誰も様子を見になど来なかった。誰もが知らぬふりをしていた。周りの人の態度、それが一番ショックだった。自分はなぜ生まれてきたのかと自問する。大変なことばかりだった」

 ジルベールさんは国鉄で働いた。妻は亡くなり、3人の子どもと孫がいる。キャンプ場に住んでいるが、金銭的な賠償はきっぱりと拒む。「私にはキャンピングカーと2匹の猫がいる。それで十分だ」。孫たちにせがまれて昔の話をしたこともあるが、それほど興味を持った様子でもなかった。「自分と同じ体験をした人が、恥じて話をしたがらないのも理解できる。それは、非常に、耐えがたいことだからだ。謝罪を受けるのはいい。だが、もし私に金をくれるというのなら、その金は慈善団体に寄付する。私は誰にも助けを求めたことはない。これが私の性分だ。子どもたちにも、いつも真っすぐであるようにと教えてきた」

 病院を後にするころには、曇り空の一日だったが太陽が顔をのぞかせていた。4人目の人には連絡がつかなかったが、もう午後7時をまわっている。ヴィエイさんの家まで戻らなくてはならない。家の前では2匹の猫が、車のボンネットと庭に置かれた陶製の小人型の人形の横で出迎える。ヴィエイさんは少し元気がない。疲れ?それとも話を聞いたことによる動揺だろうか?「そのどちらもだ。でも、私は闘う。深い傷を負った人たちを助けたい。そのために、学校を回って講演したりする予定だ」

 明日になればヴィエイさんは、イニシアチブの署名集めのために自転車で一軒一軒家を回る。現在集まっている署名6万人のうち、ヴィエイさんは60人以上を集めた。「1千キロは走った。年の終わりまでは続ける。だが、車でね。足が痛すぎるから」

強制的措置

当時行われていて「公的援助」としての強制的措置には、以下三つのカテゴリーがある。

強制的に家族から引き離された子どもたち:貧しい家の未成年者や、孤児、婚外子などは強制的に施設に入所させられたり、しばしば農家に里子に出され、つらい仕事に従事させられたりした。

行政措置としての収容:行政は、裁判なしで不服申し立ても認めずに、労働教育として無期限で(例えば、結婚せず妊娠した少女などの)未成年や成人を閉鎖的な施設に収容することができた。

生殖に関する権利の侵害:1970年代まで社会的、優生学的理由による(例えば精神障害があると判断された人などに対し)強制的な堕胎、不妊手術が行われていた。

長い道のり

1981年:1974年の欧州人権条約批准を受けてスイスは、強制収容(施設や刑務所)、生殖に関する権利の侵害(強制的な堕胎や去勢)、子どもを家族から引き離して養子に出させるなどの行政措置を廃止。

2013年4月:強制的な行政保護措置を受けた被害者へ政府が公式に謝罪。

2013年6月:教会やスイス農業・酪業家協会(SBV/USP)など関係者によりワーキンググループが結成される。

2014年3月:被害者救済に向けた5億フラン(約564億970万円)の基金設立を求めるイニシアチブ「賠償のために」が提起される。

2014年7月:ワーキンググループが報告書と対応策を提出。各州政府と自治体が出資する700万フランの緊急基金から、被害者一人につき賠償金4千~1万2千フランの支給が決定される。人道支援基金「幸福の鎖」によって支払いが開始されており、2015年6月までの申請者数は推定1千人。

2014年8月:行政による強制的措置の被害者救済に関する法律が発効。不当な過去の事実を認め、被害実態調査のための「シネルジア(Synergia)計画」を実施し、記録文書として保存すると保証した。

損害賠償:政府のワーキンググループは、被害者一人一人の事情を考慮するため、老齢年金に補足的な損害賠償額の支払いを定める法律の制定を連邦議会に委任する予定。この法律は2017年にも発効される見通しで、スイスとしては例外的な速さで進められている。

(仏語からの翻訳・由比かおり 編集・スイスインフォ)

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