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手を差し出してお互いに歩み寄るソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長と米国のロナルド・レーガン大統領。頭上には2大強国の旗が掲げられている Keystone/Jansson
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「ジュネーブサミット」は1985年11月19~20日にスイスで開催された。レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が会談し、核兵器の削減や両国の協調などが話し合われた。ジュネーブ市内では、サミット開催に向けて記念バッジが販売された Max Vaterlaus/Keystone
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スイス・ジュネーブに向かう大統領専用機内でゴルフのパターの練習をするレーガン大統領。1985年11月16日 Alamy
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首脳会談に向けてジュネーブ空港に到着したゴルバチョフ書記長(中央)とライサ夫人。スイスのクルト・フルグラー大統領が出迎えた Keystone
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会談の場となったジュネーブ郊外のヴィラ、「フルール・ドー」の前で握手を交わすレーガン大統領とゴルバチョフ書記長 Keystone
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ゴルバチョフ書記長とレーガン大統領の訪問に際し、クルト・フルグラー大統領の主催でレセプションが開かれた。1985年11月20日、ジュネーブの邸宅「ラ・ガンドール」にて。写真は左から、ウルスラ・フルグラー夫人、レーガン米大統領夫妻、フルグラー大統領 Karl Mathis/Keystone
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ジュネーブサミットのレーガン大統領とゴルバチョフ書記長 Mary Ann Fackelman/Keystone
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ジュネーブサミット中にレーガン大統領夫妻が滞在した、レマン湖畔の邸宅「メゾン・ド・ソシュール」。ジュネーブ郊外に18世紀に建てられた邸宅で、サミット期間中の滞在先として、カリム・アーガー・ハーン4世、サリマー・アーガー・ハーン夫人とその3人の子供たちによって提供された Keystone/Alamy Stock
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米国のレーガン大統領とスイスのフルグラー大統領 Keystone
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米ソ首脳会談の取材で、ジュネーブの会議場には世界中の報道陣が詰めかけた Keystone
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スイス・ジュネーブで談笑するレーガン大統領とゴルバチョフ書記長。レーガン・大統領ライブラリー所蔵 Keystone
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2日間の米ソ首脳会談を終えて共同声明に署名する米国のシュルツ国務長官(左)とソ連のシュワルナゼ外相 AFP
今月16日、ジュネーブで米国のバイデン大統領とロシアのプーチン大統領による初めての首脳会談が行われる。ジュネーブで両国のトップが対面するのはこれが初めてではない。1985年には当時のレーガン米大統領とソ連のゴルバチョフ共産党書記長が会談した。
このコンテンツは 2021/06/09
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1965年スイス生まれ。チューリヒで写真を学んだ後、1989年からフォトジャーナリストとして活動。1990年、スイス人カメラマンの代理店Lookat Photosを設立。世界報道写真財団(オランダ)の世界報道写真コンテストを2度受賞したほか、スイスの奨学金を多数獲得。その作品は多くの展覧会やコレクションで紹介されている。
1985年の米ソ首脳会談は、両国の関係緩和に向けた重要なステップであり、冷戦における転機になったと言われている。
ゴルバチョフ書記長は就任早々、1983年末から中断されていた軍備管理交渉を再開した。一方で米国は、自国に向けて発射されたミサイルを宇宙に配備した兵器で迎撃するという壮大な軍事計画「戦略防衛構想(SDI)」をスタートさせていた。そのため、米ソ両首脳が1985年11月19日のジュネーブでの会談開催を受け入れたことは、驚きをもって受け止められた。
通称「ジュネーブサミット」と呼ばれるこの米ソ首脳会談では、核兵器削減などが協議された。非公開で行われた協議の末、米ソ両国は初めて、軍事的優位性を追求しないことを約束した。
共同声明他のサイトへでは「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」と宣言されている。
レーガン大統領はこれに加え、「真の信頼は、言葉だけではなく、行動に基づいて築かれなければならない。それが将来に必要な基準だ」と述べている。
(英語からの翻訳・由比かおり)
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