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地獄で浄土

© Peter Draganits/Trekking

ヘールロッホ。その意味は地獄。洪水で10日間、調査団が閉じ込められたこともあるという鍾乳洞だ。この「地獄」への入り口は、中央スイスのムオタタルの村はずれに黒く開いている。1875年に発見され、当時は、観光客目当てにシュヴィーツ市から鉄道を敷く計画まであったという。それほどまでに人を魅了する洞窟だ。

現在までに調査された長さは194.511キロメートル。アメリカのマンモス・ケーブ ( Mommoth Cave ) 、ジュエル・ケーブ( Jewel Cave )、ウクライナのオプティミスティチェスカヤ ( Optymistychna ) などに次ぎ世界第5位。アルプス地方では最長を誇る。

滑る洞窟

 鍾乳洞に入るには、防水のオーバーオール、ヘッドライトの付いたヘルメット、そしてゴム長靴とゴム手袋が必須だ。
「登山靴などもってのほか。市販のゴム長靴が1番だ」
 と、今回の案内役をするゲリー・エシュリマン ( Gery Aeschlimann ) さんとグレゴール・ベッティク ( Gregor Bättig ) さんは口を揃えて言う。

 ヘールロッホは「地獄の穴」という意味のほかに、地元の方言で「滑る ( Hääl ) 」という単語から来ているという説もある。その通り、地面が石灰をたっぷり含んだ水でぬめり、滑りやすくなっている。そのためゴム長靴が最適なのだ。エシュリマンさんは「トレッキングチーム ( Trekking Team AG )」 のガイド。ベッティクさんは「ヘールロッホ調査団( Arbeitsgemeinschaft Höllochforschung / AGH ) 」の副団長で、2人はヘールロッホの隅から隅まで知っている。

 今回の目的地は、標高733メートルの入り口から、人が歩いて行ける標高最低地、約640メートルにあるチューリヒ湖まで。チューリヒ湖と名付けられたのは、その形が地上にあるチューリヒ湖を思い起こさせるためだという。ヘールロッホという「地獄」に「ニルヴァーナ ( 涅槃 ) 」、「仏塔 ( Pagode ) 」、「天国へのはしご ( Himmelsleiter ) 」などと要所要所に名前をつけた人のセンスは最高だ。

無の道

 まずは、20世紀初頭、調査を始めた1人、アウグスト・サクサー (August Saxer ) にちなんで名付けられた「サクサー路 ( Saxer Gang ) 」を下る。ヘッドライトに照らされるベッティクさんの後ろ姿を見ながら、硬い岩の地面に腰を下ろし、滑り台のように下り坂を滑り始める。

 ここには光が入ってこないので草も生えなければ、少しだけ生息しているという昆虫も今は見えない。オゾンも入ってこないので、外の空気より洞窟の空気は軽く、
「ピュアーです。ここではウイルスさえ生き延びることができません。風邪をひいたら、1日居ると治ってしまいます」
 とエシュリマンさんは言う。
  
 登山なら頂上を見ながら登って行くのだろうが、目的地も見えない。ジュラ紀の黒い石灰岩 ( Quinterkalk ) が唯一の風景だ。上下左右をふさぐ壁は、約1億2500年前にアフリカ大陸が北上するに従い、現在のゴッタルド地方の地層がゆっくり北上し隆起してできたアルプスの地層が模様になっている。

 防水のオーバーオールの擦れる音と、一行の息使いだけが聞こえる中
「8日間調査で鍾乳洞に入っていると、動けるだけ動き、疲れたら眠るという体内時計に自分を合わせるようになります」
 と言うベッティクさんの言葉のように、ここは時さえ意味がなくなってしまう場所らしい。

たくさんのご褒美

 目の前をふさぐ岩をどうやって乗り越えるか。急な崖を腹ばいになって降りるのか、腰を下ろして滑っていくのか。次は右手を使うのか、左手なのか。身体の使える部分全てを使いながら、鍾乳洞が出す課題を1つ1つこなしながら進んでいく。

 目の前に登場した大岩に、勢いよく食らい付こうとするが、天井が低くて身体を弾ませることができない。左は洞穴の壁との間が狭く、足を踏み外したら捻挫でもしそうだ。天井との隙間にリュックサックごと挟まって動けなくなったら、誰か助けてくれるのだろうか。
「山ならヘリコプターも呼べますが、ここでは助けは来ません。自分の力で頑張るしかないのです」
 とエシュリマンさん。

 鍾乳洞に入ってから1時間が過ぎたころ、行く手に小さな池が見えてきた。目的地のチューリヒ湖だ。このところ雨が降らず、地下水の水面が低かったことが幸いし、ここまでたどり着けたのだ。入り口から100メートル下がり、地上にはベドメーレンヴァルト ( Bödmeren Wald ) の原始林が広がっているはず。しかし、そんな圧迫感は一切、忘れ去られている。

 一旦来た道を少し戻り、道が2つに分かれる場所で腰を下ろしたエシュリマンさんは「ゴム長靴も靴下も脱いで素足になりましょう」と促した。チューリヒ湖とは別のもう1つのご褒美が待っているのだ。石灰岩を溶かした水が流れ、黒い岩肌をクリーム色に覆っている「鉱泉沈殿物の道 ( Sinter Weg ) 」をはだしで登るコースだ。

 水は6度と冷たいが、鉱泉が沈殿し黒い岩を覆っている地面は、素足に優しく吸い付いてくる。時々かすかに落ちる雫の音に呼吸を整え心静かになる頃には、地獄の中にも「浄土」が見えてくることだろう。

 横になってわたしたちの帰りを待っていたベッティクさんは、
「さあ、来た道を戻ろう」とむっくりと起きあがった。今来た道をまた歩くのか?本当のご褒美は、きっと無の世界から這い上がれる出口までお預けだと、ザイルにつかまって、再び急な崖をよじ登る。

 やっと緑の牧草地が広がる出口にたどり着いた。何キロメートルも歩いた気持ちがするが、実際に歩いたのは往復1.2キロメートルだったという。約2時間半もかけて、たったこの距離。あまりの意外さに唖然となった。

長さはすでに決められている

 これまでの調査で分かっている全長は194.511キロメートル。この地方の降水量などから計算すると、全体の3%しかまだ調査されていないとみられている。
「もう新しい場所はないだろうと思うのだが、常に新しい発見がある。ロケットが宇宙を飛ぶ時代だが、地球のどこかにも人類未踏の場所があり、それを自分の足で初めて踏む。こんな魅力はない」 
 とベッティクさんは言う。

 アルプス山脈は地層が入り組んでいるため、海緑石 ( Glaukonit ) などの地層が邪魔をして水路が遮断されてしまうが、へールロッホはアルプス地方でも例外的な長さを誇っている。
「調査済みの通路が長いのはスイス近代史のおかげです。第2次世界大戦中にも調査が続けられたため、全長が伸びている。これから、ほかの洞窟も長さを伸ばしていくことでしょう」

 長さは自然がすでに決めている。上方のシルベレンシステム ( Silberen System ) 鍾乳洞から水は流れ込んでいるが、まったく別の洞窟だと断言するベッティクさん。
「そもそも長さを競うという野心はありません。わたしたちは正確な調査を行なっていくだけです」
 と静かに答えた。

swissinfo、佐藤夕美 ( さとう ゆうみ ) ムオタタル ( シュヴィーツ州 ) にて

<世界の鍾乳洞ランキング> マンモス・ケーブ ( Mommoth Cave ) ( 米・ケンタッキー州 ) 591 km / ジュエル・ケーブ( Jewel Cave ) ( 米・サウスダコタ州 ) 233.4 km / オプティミスティチェスカヤ ( Optymistychna ) ( ウクライナ ) 214 km / レチュギラ・ケーブ ( Lechuguilla Cave ) (米・ニューメキシコ州 ) 202.9 km / ヘールロッホ ( Hölloch ) ( スイス・シュヴィーツ州 ) 194.5 km ( 統計はそれぞれのホームページなどから )

シュヴィーツ州ムオタタル ( Moutatal )
洞窟の長さは、人が通れる幅のある路の長さで決まる。ヘールロッホの全長は2008年5月時点で194.511キロメートル。世界第5番目、アルプス地方では最長の鍾乳洞。
約1億2500万年前、現在のゴッタルドにあった地層が中央スイスまで押し寄せてきた。分厚い電話帳を折り曲げるように地層が盛り上がり、アルプスが形成された。この際、表面に多くのひび割れができ、雨水が地下に流れ込み、石灰岩を侵食していった。特にムオタタル地方は降雨量も多く、原始林のベドメーレンヴァルト ( Bödmeren Wald) が鍾乳洞形成に有利となっている。
ムオタタルの谷が氷河に段階的に侵食されたことに伴い、地中を流れる水もより下方へ流れるようになり、標高段差の激しい鍾乳洞が作られていった。2005年には大洪水となり、長い間堆積したままだった大量の土砂が流れ出すなど「ヘールロッホは活動し続けている」とベッティクさんは言う。( 参考資料 Urs Möckli, Trekking Team, „Hölloch Naturwunder im Muotatal“)

1875年、アロイス・ウーリッヒ ( Alois Urlich ) が最初の発見者ともいわれているが、それ以前にも知られていたらしい。
1899年にチューリヒから休暇で鍾乳洞の探検に来たハンス・ユリウス・ヴィドマー・オスターヴァルダー ( Hans Julius Widmer-Osterwalder ) は
1904年、ヘールロッホに観光客を呼び込もうと、会社を興す。1万6000フランの資金を集め5年間の計画で進める予定だったが、更に100万フランを得る。工事には一時100人の労働者が携わった。
1906年、当時は珍しかった電気も通り、開幕する。
1907年、シュヴィーツからムオタタルを通りアインジーデルン ( Einsiedeln ) を結ぶ鉄道建設計画もあったが、交通が不便であること、入場料が高額だったことなどから、観光客の人気は出なかった。1909年1月26日、ヴィドマーの死とともに会社は倒産。
1910年には洪水により、これまで建ててきた施設が流されてしまい、観光業は失敗する。
1946年、科学的で本格的な調査が始まった。
1955年、55 kmまで調査が進み、世界最長の洞窟となる。1980年、140 kmまで調査が進むが、世界ランキング3位に転落。1997年、175 kmで世界4位に転落。2004年、190 kmで世界第5位に転落。現在、ヨーロッパでは第2位、アルプス山脈地方では最長。( 参考資料 同上 )

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