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心理学史に残る「インクの染み」

悪魔か鳥か?ロールシャッハ・テストの擁護者は、あなたの答えを彼らの判断に合うよう解釈する istockphoto

手相判断より少しは科学的、と論争になった「インクブロット ( インクの染み ) ・テスト」の父、スイス人のヘルマン・ロールシャッハのユニークな展覧会がベルン大学図書館で行われている。

このコンテンツは 2008/02/03 07:01

ベルン大学のロールシャッハ公文書博物館の50周年を記念する展覧会は、この精神科医の人生と仕事、そして精神医学の歴史に与えた大きな影響についての興味深い考察を伝えてくれる。

「ロールシャッハは、何に対しても非常にオープンでとても魅力的な性格でした。彼はどのような事に対しても偏見を持たず、それが彼の多様な研究に現れています。彼の手紙から分かるように、とてもユーモアがあり、直観と科学的手法の尊重の結合が彼の魅力なのです」
と「ヘルマン・ロールシャッハ公文書博物館 ( Hernan Rorschach Archives and Museum ) 」のディレクター、リタ・ジグナー氏は語る。

現代的な男性

ロールシャッハは1884年にチューリッヒで生まれ、37歳で盲腸の破裂が原因と思われる腹膜炎のため、スイス東部のヘリザウ ( Herisau ) で死亡した。彼の主要な著作『精神判断法 ( Psychodiagnostik ) 』は、死の前年の1921年に出版された。この公文書博物館は、ロールシャッハのために捧げられた世界唯一のもので、1957年にベルンの精神学者ヴァルター・モルゲンターラー氏が設立し、7年前に彼の遺産によって本格的に拡充された。

ロールシャッハの科学的な研究の他に、来館者は写真、素猫、手書き原稿そして手紙など、彼の人柄を表わす展示物を見ることができる。
「彼はとても優しい父親だったと思います。それは 彼が ( 自分の子供たちのために ) 描いた素猫にも現れています。そして注目すべきことに、その当時は母親の仕事とされていたこと、例えば『おむつ替え』を彼はしていました。また性別による役割についても非常に現代的な考えを持っており、 ( 医者だった ) 妻は母親だけであるべきではないと言っていました。彼にとって、自分が育児へ参加するのは当然なことだったのです」
とジグナー氏は語った。

またジグナー氏は、ロールシャッハは同国人であるスイスの人々よりも自国そのものに対してより強い愛情を持っていたと言う。
「彼は、『私はスイス人があまり好きではない ― 私はあまり良い愛国者ではない― しかし、もし敵がスイスを攻撃してきたら、私はスイスの山々のために国を守る』と言ったのです」

血の池?

この展覧会はまた、ロールシャッハがロシア旅行によって初めて精神分析の道へ進んでいったことを明らかにしている。
「その旅行によって彼の心が非常に大きく開かれたとようです」
とジグナー氏は語る。

ほかの科学者もインクブロットに着手していたが、「インクの染み模様という曖昧な刺激」に対する被験者の解釈について理論立てたのはロールシャッハが初めてだ。

「初期の科学者は、人がどれだけ想像力と創作力を持っているかということに興味を持っていました。しかしロールシャッハは、始めから自分のテストは想像力よりもむしろ知覚を探るためだと強調していました」
とジグナー氏は言う。

インクブロットは1921年に出版されたが、一夜にして成功というわけにはいかなかった。
「スイスとドイツでの反応はどちらかと言えば冷淡でした。実は、ブームが始まったのは、1920年代末にロールシャッハ・テストがアメリカに伝わってからのことです」

疑似科学

「ロールシャッハ・テスト」を擁護し、使い続ける心理学者もいるが、実際には科学的な価値がないという欠点を見過ごすことはできない。1940年代と1950年代のアメリカでは、ロールシャッハ学派のまるで奇跡のような性格判断によって、心理学者のほとんどがインクブロットと耳にしただけで、パブロフの犬のように興奮した。しかし条件を設定した上でのテストでは、これらの「専門家」は無残に失敗し、その後まもなく批判的な立場の科学者は、ロールシャッハの擁護者は単に、そしておそらく無意識に、占い師や、超能力者や霊媒を装う人々が使う「コールド・リーディング」というテクニックを利用しているに過ぎない、と気づいた。著名な差異心理学者であるアン・アナスダジ氏によると
「テストの結果がもたらすのは、被験者についてではなく、検査する人についてです」
ということだ。

しかしこの展覧会はロールシャッハ・テストそのものではなく、ロールシャッハ本人についてであり、テストの信憑性はさておき、20世紀で最も影響力のあった心理学者の1人の非常に面白い横顔を見せてくれる。


「ヘルマン・ロールシャッハ: 科学と直感の間のスイス人精神科医」は2月23日までベルン大学図書館で開催されている。

swissinfo、トーマス・シュテファンス 笠原浩美 ( かさはら ひろみ ) 訳

キーワード

<ヘルマン・ロールシャッハ略歴>
1884年11月8日にチューリッヒで生まれる。
1904年にチューリッヒの医学学校に入学し、22歳で精神科医になることを決意。
1906~1907年の冬学期の間ベルリンで学び、初めてロシアへ旅行。次の学期もベルンで学ぶ。
1907年、チューリッヒ大学へ再入学し、1909年春に卒業。
試験の後ロシアへ戻り、数カ月滞在。
同期のロシア人学生だったオルガ・ステムペリンと1910年に結婚。
1914年にスイスに戻り、ベルンの近くのヴァルタウ大学精神病院で実習生の職に就く。
1年後スイス東部のヘリザウ ( Herisau ) の精神病院の理事に任命される。
ロールシャッハの著作『精神診断法 ( Psychodiagnostik ) 』は1921年に出版され、そこに紹介された方法が「ロールシャッハ・テスト」になった。
1922年4月2日腹膜炎のため、妻と2人の子供を残し37歳で死亡。

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ロールシャッハ・テスト

ロールシャッハ・テストでは、被験者は白黒と多色の10枚のインクブロット ( インクの染み模様 ) の 図版を渡され、「何に見えるか言う」ように指示される。

習熟した検査者は被験者の反応を多くの基準 、 例えば何が見えたかだけでなく、被験者が図版を回転させたか、図版の一部のみに集中していたか、または色について言及したかなどから被験者の反応を得点化する。心理学者は理論的には、被験者の心の奥底にある性格的特徴や衝動および全般的な精神状態を言い当てることができる。

しかし、実際にはロールシャッハ・テストは、得点化の信頼性と妥当性という2つの重要な科学的基準において問題がある。テストというものは、 ( ロールシャッハの場合と異なり ) 被験者の反応を誰が判断しようとも同様の結果が得られるならば信頼性があり、またそのテストが目的とする対象を評価することができるならば妥当性がある。ロールシャッハ・テストは、鬱 ( うつ ) 、不安症や精神病質人格などの確実な発見が可能としながら、実際は不可能という点においても問題がある。

ロールシャッハ・テストにはこれらのような問題もあるが、両親のどちらに子供の親権が与えられるべきか、囚人に執行猶予が適当か、子供の情緒的な問題の程度などを判定するために、今でも病院、裁判所、刑務所、学校などでひんぱんに使われている。

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