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伝統を守るグラシィのガラス

摂氏1500度の熔解炉からガラスが出てくる swissinfo.ch

ロバート・ニーデラー氏が20年前に父親のロベルト・ニーデラー氏から引き継いだガラス製品製造工場は、スイスで最後のガラス工場となったが、世界的にも高い評価を得ている。

スイス企業のイメージについての調査によると、ニーデラー氏の工場は小規模だが、4人のうち3人は名前を知っており、その製品の質の高さを称賛する。

 「グラシィ ( Glasi ) 」という親しみのこもったブランドネームで呼ばれるニーデラー氏の工場は、1987年からスイス中部のルツェルン ( Luzern ) の近くの村、ヘルギスヴィル ( Hergiswil ) でガラス製品を製造している。しかし、この工場が順調に稼働するようになったのは最近のことだ。

体験型美術館

 ニーデラー氏は、忘れ難い体験をさせてくれる場を作った。工場の歴史を展示する博物館のようなグラシィでは、ガイドツアーの最後にはひねりの効いた驚きの結果が待っている。熔解炉の上方に設置されたバルコニーからは、職人がガラスを吹いている様子を見学できる。見学者はガラス製品が製造されるときの熱で工場が活気づく光景を目の当たりにすることができる。

 「ここへたくさんの人々を案内して、ガラス製品の製造作業を見学してもらいました。これが私たちが生き残るための唯一の方法だと思います。毎年約20万人の見学者が来ます。製造現場を見学して、ガラスの美しさに魅了されたら、お金を支払って製品を購入する気になります。そうやってお客さんが製品を買ってくれて、工場が成り立っているのです」
 とニーデラー氏は語った。

 工場にはアウトレットが2軒あり、そのうち1軒は値引き商品を販売している。それらの販売所での売り上げが、年間の合計売り上げの半分を占め、残り半分はスイス中の店舗での販売による。

ほかの魅力

 グラシィの突出した人気の理由はほかにもある。グラシィはガラスと光を組み合わせた展覧会や、ガラス製品を使った音楽会を度々行っている。また、工場はルツェルン湖の岸辺にあり、工場が所有している公園からは地元の山々が眺望される。

 2代目となるロバート氏は、グラシィを、「非常に健全な会社」と説明するが、現在に至るまでの経緯は長い。工場を開設し、所有していたのはジークヴァルト 家だったが、経営が立ち行かなくなり、1975年に閉鎖を考えていた。そこにジークヴァルト工場の顧客だったロベルト・ニーデラー氏が登場した。
「父は『自分のもののように大切にしていた』工場を閉鎖されることに耐えられず、工場を買い取るためにできることは全てしました。父は、ガラス製品製作のプロジェクトのために出費がかさんでばかりで、いつもお金を持っていなかったのですが、友だちがたくさんいた上、力になってくれる政治家をみつけたのです」
 と息子のロバート氏は語った。

手仕事

 父親のロベルト氏は、ガラス製品を製造する機械を全て処分し、職人とその技を前面に押し出した。
「父はいつもガラス吹き棒を持って、熔解炉の前にいました。これは私と父の一番大きな違いです。現在私はオフィスの中で主に経営に携わっていますが、父にとってはガラス製品を作ることの方がもっと大切だったのです。父はアーティストでした」
 と息子のロバート氏は語った

 ロバート氏は、父親からガラス製品の製造技術を教え込まれたが、製造そのものに魅了されることはなかった。
「しかし今では、製造方法を学んで良かったと言わなければなりません。それで非常に助かりました」 

 息子のロバート氏は、父親と一緒に働くことによって親子間の衝突が生じることを避けたいと考えていた。他にも理由はあったが、主にそれが理由で親子が一緒に働くことはなかった。しかし、2人が離れ離れになることは決してなかった。

「頭領」

 「父は本当に強い人間で、『頭領』でした。父の代わりになれる人はいませんでした。私はいつも『僕は、お父さんがここからいなくなったら来るよ。お父さんがこの工場にいる限り、僕の場所はない』と言っていました」
 とロバート氏は語った。

 1988年5月1日、ロバート氏は、契約書を持ってイタリアのカラブリア ( Calabria ) にいる病身の父親を訪ねた。こうして会社経営権の委譲がなされて以来、ロバート・ニーデラー氏は一歩一歩着実に、グラシィがスイス中に、そして観光客を通じて世界中にそのブランドが知れ渡るよう名声を築き上げていった。

 ニーデラー氏は、自分の身も心も工場に打ち込んでいるので、工場を続けていくことは難しくないと述べる。
「私は工場のすぐ隣に住んでいます。自分の自由時間に何をするかと尋ねられたら、何もしないと答えます。私はいつも工場にいます。1日24時間も働いたりしませんが、私の心はいつも工場にあるのです。お金を稼いでそれを工場に投資すれば、着実に発展すると思います」

無鉛のクリスタルガラス

 グラシィのもう一つのポリシーは、職人の健康を損なわないよう、鉛の入ったガラス製品を造らないということだ。熔解炉から出て来たときは蜂蜜のように柔らかいガラスが、
「普通の、しかし無鉛のクリスタルガラスになる」
 とニーデラー氏は説明した。

 ロバート氏は、グラシィには十分な注文があり、やり方を変える必要はあまりないと言う。近い将来、ロバート氏は、3代目となる20歳の息子のロベルトに会社とヘルギスヴィル伝統のガラス製品づくりを引き継がせるための教育を始めるつもりだ。しかし、息子にその気があるだろうか?
「息子は『お父さん、僕はバカじゃないよ。もちろん引き継ぐさ』と言っています」
 と2代目は語った。

swissinfo、ロバート・ブルックス 笠原浩美 ( かさはら ひろみ ) 訳

現在ヘルギスヴィルのガラス職人の大半はポルトガル出身で、スイス人の職人はいない。

「ガラスを吹けるスイス人は、アーティストだが、われわれはアーティストはいらない。われわれが必要としているのは工場で働く労働者だ」
 とニーデラー氏は述べる。

ヨーロッパのガラス工場の多くが、アイデアが枯渇したり、低コストの製品のみを製造していたため閉鎖した。
「われわれの工場はスイス最後のガラス工場で、これは少々辛いことです。競争相手がいたらと思います」
 とニーデラー氏は語った。

グラシィの熔解炉は365日、24時間稼働している。熔解炉の内部の温度は摂氏1500度。

1日8時間のシフトが2回あり、毎日合計4000キログラムのガラスが生産される。社員1名が原料となるシリカサンドを熔解炉に一晩中補給する。
ベルギーやドイツから輸入されたシリカサンドのほかに、15種の鉱物が熔解炉に入れられる。

熔解炉から取り出したばかりのガラスを室温に放置すると壊れるため、熔解炉から取り出し、形づくった後、別の熔解炉に入れてゆっくり温度を下げていく。

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