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ロヒンギャ難民キャンプで野菜栽培、スイスが支援

サラ・ベーガムさん © Helvetas And Patrick Rohr

バングラデシュに逃れたロヒンギャは少しだけ日常のようなものを取り戻す。小屋の周りや屋根の上に小さな野菜畑を作ることで、家族の食事は健康的になり、キャンプには緑が増える。しかし、先行きは不透明なままだ。

このコンテンツは 2021/11/05 06:00
Patrick Rohr

いいえ、ミャンマーの家に庭はありませんでした、とサラ・ベーガムさんは言う。「普通の家に住んでいました。夫は工事現場で働いていて、私は家族の世話をしていました。野菜は市場で買っていました」

しかし今、彼女はじょうろを手に、植物が茂る庭の真ん中に立ち、水やりをして、枯れた葉っぱをあちこち摘み取っている。サラ・ベーガムさんは困ったような顔で笑う。「少し前まで庭仕事のことなんて何も知りませんでした」

自分の小屋の周りや屋根の上で野菜を育てる © Helvetas And Patrick Rohr

苦難の中、難民生活をスタート

仏教徒が多数派のミャンマーに暮らすイスラム系少数民族ロヒンギャは、2017年8月の恐ろしい大虐殺を機に74万人以上が隣国のバングラデシュに逃れた。サラ・ベーガムさんも、夫のユースフさんと3人の子供と一緒にその時バングラデシュに渡った一人だ。

サラさんの家族はひとまず国境近くの村に避難した。その半年後、家族はさらに国境から離れた場所に移動した。そこは現在では約100万人のロヒンギャが住む世界最大の難民キャンプとなっている。

このキャンプで、サラさんと夫は他の2家族と一緒に、少し高台になった場所に竹とビニールシートで簡単な小屋を建てた。わずか20平方メートルの場所に大人6人、子供7人の計13人で住む。

小屋の中は狭くて空気がよどんでいる。昼どきのこの時間、外の温度計は35度を指し、湿度は80%近くに達する。室内の気温と湿度は更に高い。動くたびに汗が吹き出す。

しかし、サラ・ベーガムさんはというと、狭いキッチンの床に座り、素早く、慣れた手つきでジャガイモや野菜、チリを小さく切っていく。不満を口にするつもりはない。少なくとも家族で屋根のある所に住めるのだから、と彼女は言う。

ヘルヴェタスの現地協力団体シュシランが開催する菜園講習を受け、その後すぐに自分の菜園を作ってからというもの、彼女の家族は以前よりずっとバランスの取れた食事ができるようになった。「以前は他のほとんどの難民たちと同じように配給品で暮らしていました。米やレンズ豆、油の配給を受けてね。でも、いつも同じものを食べるのは体によくありませんでした。ミャンマーの故郷では、ご飯の他に野菜や魚を常に食べていましたが、ここでは当初、それが欠けていたのです」とサラさんは語る。さらに、子供たちはどんどん弱っていき、病気がちになっていったと言う。「今では子供たちも元気になり、力もついてきました」

新鮮な野菜をより多くメニューに取り入れることができるようになったため、2人の子供たちはキャンプに到着したときよりも生き生きと、健康的になった © Helvetas And Patrick Rohr

屋根からの収穫

サラさんが数カ月前に受講した菜園講習は、彼女の小屋からほんの数メートル離れたところにあるシュシランの女性センターで開催されていた。ここでは女性たちに大切な衛生ルールを説明したり、育児や家事に関する助言を行ったりもしている。だが毎回30人が参加する3日間の野菜栽培講習会では、何を、どこに、どのように、そしてどの季節に植えるかがメインのテーマだ。

この日、サラさんの参加する講習会の女性参加者たちは補足講習に来ていた。もうすぐ雨季が始まる。この時期にどんな植物がよく育ち、どの植物が湿気に弱いか、女性たちは学ばなければいけない。

講習会の雰囲気は和やかだ。小さな子供は床をはい回り、女性たちは談笑している。そして、静かになる。

シュシランのスタッフで、講習会の講師を務めるシャルミン・ベーガムさんが静かにするように呼びかける。そして、小さな植物を手に講習会を始める。ひもで吊るされたイラストや、分かりやすいジェスチャーを交えながら受粉の仕組みを説明する。女性たちは注意深く耳を傾けている。

「この講習会はとても人気がある」と、シャルミン・ベーガムさんは話す。「女性たちは市場で買う野菜は農薬が残っていることが多いということを分かっています。自分で野菜を植えれば、新鮮で、健康的だということも」。お金の節約にもなる。

女性たちには、様々な植物の種と肥料も配られる。小屋がひしめき合っている難民キャンプでは使える場所が限られているため、シュシランでは小屋の屋根まで絡まって育つ、つる植物の栽培を勧めている。

サラ・ベーガムさんの小屋の屋根もびっしりと植物に覆われている。植物のおかげで小屋の内部がいくらか涼しくなるといううれしい副産物もある。しかもラッキーなことに、彼女の小屋の前は少し崖のような急斜面で空き地になっているため、チリ(トウガラシ)やオクラなど他の野菜も植えることができた。

© Helvetas And Patrick Rohr

「唯一の問題は、この土地がサラさんのものではないこと」だと、シュシランのスタッフのラジーブ・ルドラさんは言う。この難民キャンプの土地は誰かが所有しているわけではない。このため、サラさんがいつまで菜園を続けることができるのかは定かではない。

だが当面の間は、豊富な収穫量の恩恵を享受できそうだ。新米菜園家のサラさんは収穫の約半分を市場で売り、ちょっとした副収入さえも得られるようになった。1日に50~70タカ(70~90円)ほどだ。

ロヒンギャは正式な就労が認められていないため、サラさんの夫は仕事が見つかれば日雇いとして働く。大体は道路工事用の石を工事現場に運ぶ仕事だ。1日に300タカほどの収入になる。

2人で稼いだお金で時々、魚や畑で栽培できない野菜を買っている。

自分たちの生活空間を作る

こうやって少しずつ難民キャンプに日常のようなものが帰ってくる。難民や支援団体はこうして初めて、ロヒンギャがバングラデシュに到着した第一段階のころには考えられなかったこと、だが安定した生活には欠かせないことについて考えることができる。つまりバランスの取れた食生活、衛生、個人の安全だ。

ロヒンギャが大量避難した直後の数週間、数カ月間は生き延びることで精一杯だった。小屋と道を作らなければならないし、食料も確保しなければならない。飲み水用の井戸が掘られた。ヘルヴェタスなどの団体は病気の流行を防ぐため、難民用の仮設トイレ設置に全力を注いだ。

ゆっくりと、世界最大の難民キャンプは通常の生活を取り戻しつつある。それでも、生活が不安定なことは変わらない。ミャンマー政府は帰還を約束しているが、ロヒンギャがミャンマーに帰ることはまだできない。身に危険が降りかかるのではという不安が大きすぎるのだ。何千人もの部族民が性的暴行を受け、拷問され、殺され、そして村は焼き払われたのだから。

しかし、バングラデシュに住み続けることもできない。最貧国の1つであるバングラデシュは、難民を一時的に受け入れたにすぎない。ロヒンギャの運命がどうなるかはまだ分からない。だからこそ一層、あらゆる支援が今すぐに必要だ。

(独語からの翻訳・谷川絵理花)

このレポートは2019年、ヘルヴェタスの出版物「Partnerschaft」で掲載されたものです。

* ロヒンギャの人々の名前はいずれも仮名です。

** このプロジェクトは2019年から、ジュネーブ州やスイスの慈善団体「幸福の鎖」が共同出資しています。

Patrick Rohr

スイスのフォトジャーナリスト。ヘルヴェタスの依頼により数年前からヘルヴェタスの様々なプロジェクトを訪問、報道している。

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