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スイスのアートシーン 2023年の展望

舞台
米国人マルチメディアアーティスト、ウー・ツァング氏演出の「ピノキオ」がチューリヒで上演される。推奨年齢は7歳以上 Diana Pfammatter

世界的な不況が広がり、インフレで購買力は弱まり、戦争が国境近くに迫るが、スイスのカルチャーシーンは今のところ盛況だ。2023年は数多くのフェスティバルや見本市に加え、様々なアート企画が控える。

熱狂は過ぎ去った。2021年末に配信した2022年のカルチャーシーン展望記事で、NFT(非代替性トークン)のバブルが2022年内に膨張・崩壊する可能性に触れたが、予測は的中した。しかもそれが起きたのは、仮想通貨の交換業大手FTXトレーディングの経営破綻よりもずっと前だ。NFTに関する調査を手がけるNonfungible.comのウェブサイトによると、2022年は販売量、美術品の取引量に継続的な下落傾向がみられた。

NFT市場はゲーム、ユーティリティ、コレクティブルや、メタバースのバーチャル不動産で構成される。アート作品が現在、同市場に占める割合はわずか2%だ。

だがデジタル商品の売り上げは2021〜22年、国際アート市場の回復を後押しした。22年上半期は、パンデミック以前の総売上高(70億ドル、約9300億円)を上回りすらした。裕福な人々は戦争や疫病、インフレ、いずれの影響も受けていない。

10月20〜23日、パリで初開催された「Paris+ par Art Basel」。VIPラウンジから望むエッフェル塔の眺め。世界各国から156のギャラリーが参加した
10月20〜23日、パリで初開催された「Paris+ par Art Basel」。VIPラウンジから望むエッフェル塔の眺め。世界各国から156のギャラリーが参加した Keystone / Teresa Suarez

バーゼルが国際アート市場を先導

2022年のアートバーゼルには、腕利きのバイヤーやコレクターが詰めかけた。国際的な主要アートフェアが新型コロナウイルスの規制なしで開かれたのは初めてのことだった。

2023年も同様の傾向が見込めそうだが、アートバーゼルはもはやスイスのものとは言えなくなった。コロナ禍がアートバーゼル、香港と米マイアミで開いた系列のアートフェアに与えた打撃は深刻で、親株主の国際ライブマーケティング会社MCHは、持ち株の44%をジェームス・マードック氏に売却した。マードック氏は、億万長者のメディア王、ルパート・マードック氏の息子だ。

ジェームス・マードック氏の個人投資会社Lupa Systemsは2020年8月、4800万フラン(約68億円)をMCHに注入し、財政を安定化。アートバーゼルの拡大戦略を方向転換し、ローカライズされたアートフェアから距離を置いた。伝統的な腕時計・宝飾品見本市「バーゼルワールド」は2020年初めに既に廃止されている。

ここ数年の中国政府の厳しい規制で「アートバーゼル香港」の存続が危ぶまれていることを受け、MCHは昨年10月、アート市場の中心地であるフランスの首都に会場を移すという勝負に出た。それが「Paris +  par Art Basel」だ。ただどれだけアートバーゼルがグローバル化しても、バーゼル拠点のMCHが今なお世界で最も重要なアートフェアのトレンドをけん引していることに変わりはない。

論争が回顧展へ

2022年は、美術品の返還を巡る長年の論争が話題になった年でもあった。特にナチス略奪美術品(またはナチスに売却を強要された美術品)や、植民地主義時代に宗主国が略奪した美術品、美術工芸品だ。どちらの話題もスイスの美術館に直接的な影響を与えた。

ベルン美術館
返還された絵画とその出所を記した3枚のパネル。左から2番目の作品はオーストリア人画家フェルディナンド・ゲオルクの「Portrait of Two Women 1831(2人の女性の肖像画、1831年)」。左はベルギー人画家ジェイコブ・ファン・フルスドンクの「o. T. (Still Life with Fruit Basket o. D.、フルーツバスケットと静物) 」。ベルン美術館の「Gurlitt-Taking Stock」展の予告より © Keystone / Anthony Anex

ビュールレ・コレクションに含まれる美術品の出所を巡る激しい論争は沈静化したとはいえ、最適な解決策には至っていない。このビュールレ論争を受け、スイス連邦議会は「ナチス迫害により失われた文化的財産」かどうかを調査する独立委員会設置を求める動議を提出した。

現在の議論は法律用語に焦点が当たる。連邦内閣は動議を一部承認したが、用語が微妙に修正されていた。ナチスが直接略奪・盗難した美術品とユダヤ人が強要されて安価で売らざるを得なかった美術品を区別していないのだ。

そんな中、同じく悪名高いグルリット・コレクションを保有するベルン美術館が1月15日まで、「Taking Stock. Gurlitt in Review」展を開催。倫理的ガイドラインや法的枠組みのほか、作品を出所を国内外で調査した結果を明示している。

マルセル・ブロータス「La souris écris rat 『à compte d’auteur』(英題 The mouse writes rat 『on behalf of the other』、ネズミが『作者の代わりに』ラットを書く)」、1974年
マルセル・ブロータス「La souris écris rat 『à compte d’auteur』(英題 The mouse writes rat 『on behalf of the other』、ネズミが『作者の代わりに』ラットを書く)」、1974年 © Succession Marcel Broodthaers / 2022, ProLitteris, Zurich

ベルン美術館の透明性を重視したアプローチは、ビュールレ展を擁するチューリヒ美術館の欠点を浮き彫りにしている。ベルン美術館はまた、1968ジェネレーションと呼ばれるスイス人現代美術アーティストの業績を再評価する取り組みを熱心に続けている。今年初めにはジョン・フレデリック・シュナイダーの業績を回顧展で丁寧に振り返り、9月からは、不当な評価を受けながら2020年に亡くなったマルキュス・レッソの作品を展示している。

だがチューリヒ美術館は、2023年のプログラムでビュールレ展批判をかわし、よりエッジの効いたコンテンポラリー路線をもたらしたい考えだ。例えば「マルセル・ブロータス(1924-1976)」展がそうだ。ブロータスはベルギー出身の詩人で、美術や美術館の役割を先駆的に問い続けた。チューリヒ美術館はブロータスのグラフィック作品、写真、映画といったコレクションを展示。ルガーノのMASI美術館で開かれたブロータスの「industrial poems(無機的なポエム)」展を補完するものとなっている。

また、西洋美術とイスラム美術の融合を目指す「Re-Orientations :欧州とイスラム、1851年から現代まで」展も注目に値する。最後に、ドイツ人アーティスト、ケーテ・コルヴィッツ(1867-1945)の回顧展にも触れたい。2つの世界大戦の間に作られた、戦争と弾圧を描いた彼の作品は、今日もなお明らかな理由で人々を震撼させている。特にスイスの国境からそう遠くない欧州の地で、無慈悲な戦争が再び始まってからは。

ケーテ・コルヴィッツ「農民戦争」シリーズ第1番「耕す者」、1907年
ケーテ・コルヴィッツ「農民戦争」シリーズ第1番「耕す者」、1907年 Kunsthaus Zurich

ウクライナ・アートの亡命

キーウ・ナショナル・アート・ギャラリーは、コレクションの大部分を安全な西側の美術館に送り込むことに成功した。スイスでは、これらのウクライナアートを紹介する作品展が2つ開かれている。ジュネーブ歴史美術館の「Du Crépuscule à l’Aube(夕暮れから夜明けまで)」展(23年4月23日まで)は、光と闇、その均衡の葛藤から生まれるプリズムをテーマに、ウクライナアートの名作を展示。それと並行したバーゼル美術館の「Born in Ukraine(ウクライナに生まれて)」展は、同ギャラリー発の別の作品群を紹介。ここでは、帝政ロシア皇帝時代からスターリン政権まで何世紀もの間ロシアに鎮圧され、現在、再びロシアの侵略を受けるウクライナ人のアイデンティティー問題にスポットを当てている。

「Emigrant(出国移民)」、Dawyd Schterenberg。バーゼル美術館の「Born in Ukraine」展で公開されている、31人のウクライナアーティストの1人
「Emigrant(出国移民)」、Dawyd Schterenberg。バーゼル美術館の「Born in Ukraine」展で公開されている、31人のウクライナアーティストの1人 © Keystone / Georgios Kefalas

ウクライナ人はスイスの舞台芸術分野でも注目されている。チューリヒ劇場は12月、キーウのレフト・バンク劇場が制作した「Bad Roads(悪の道)」を上演。戦争で疲弊したウクライナが題材で、戦争勃発以来、欧州各地で幅広く上演されてきた。来年5月には、レフト・バンクのスタス・ジルコフ芸術監督が、ギリシャ神話「アンティゴネー」のジルコフ・バージョンを引っ提げチューリヒ劇場に戻ってくる。

異国の演出

パンデミック発生以来、映画界、演劇界、そして舞台芸術界は観客減に頭を悩ませてきた。だがチューリヒ劇場は国外の舞台監督を呼び寄せ、より国際的なプログラムに力を入れた。来年は魅力的な作品が多く見られそうだ。

2020年にチューリヒ劇場で初のダンス作品を披露した米国人振付家トラジャル・ハレル氏が、来年4月、「The Romeo」で再び登場する。同作品は「あらゆる人種や性別、世代が、気性や気質の区別なく、悲劇を後にし、ただ踊る。そういうダンスだ」

ベルギーの振付家シディ・ラルビ・シェルカウイ氏。2022/23年シーズンのジュネーブ・グランテアトル・バレエ団監督を務める
ベルギーの振付家シディ・ラルビ・シェルカウイ氏。2022/23年シーズンのジュネーブ・グランテアトル・バレエ団監督を務める Brecht Van Maele

また、同劇場では来年4月まで、米国の映画監督でありアーティスト、パフォーマーでもあるウー・ツァング氏演出の「ピノキオ」を上演。プログラムによると、動作とポエム、音楽、そしてヴァーチャル映像が組み合わさった同舞台は「7歳以上向け」だ。そして最後の目玉は、著名なブラジル人監督クリスチャン・ジャタヒー氏の反ボルソナロ作品「Trilogy of horror(ホラー三部作)」シリーズ。同作品は2月公開の「After the Silence(沈黙の後で)」で幕を閉じる。

ジュネーブ・グランテアトル・バレエ団は2022/23年シーズンの監督に、ベルギーとモロッコの国籍を持つ振付家シディ・ラルビ・シェルカウイ氏を選んだ。同氏はコンテンポラリーダンスの分野で、いま最も注目される期待の星。ジュネーブでは、同氏が英国人彫刻家アントニー・ゴームリー氏と、中国少林寺の修行僧とのコラボレーションで製作した「Sutra(スートラ)」が上演される。

スイス映画の活躍

Swissinfo.chの映画担当マックス・ボルグ記者によれば、実り豊かな2022年の作品たちが2023年の初めに表舞台に出てくる。ソロトゥルン映画祭(1月18〜25日)は、近年のスイス映画の中から厳選した選りすぐりの作品を上映する。

2022年ベルリン国際映画祭で高評価を得たウルスラ・マイヤー監督の「The Line(ライン、原題 La Ligne)」は国内外の映画館で上映が始まっている。2024年米アカデミー賞出品を狙うスイス作品としては有力馬だ。直近の米アカデミー賞に出品されたミヒャエル・コッホ監督の「A piece of Sky (3回の冬、原題 : Drii Winter)」は、ドイツ語圏の映画館で好調に業績を伸ばし、スイスの他の言語圏にも評判が広がっている。

ベルリン国際映画祭は、次回のセレクションにスイス映画が1つ入ったと発表した。ジェンナ・ハース監督の「Longing for the World (世界へのあこがれ、原題L’Amour du monde)」だ。まだ若いハース氏にとって長編デビュー作となるが、短編作品では既にカンヌを始め各地の映画祭で成功を収めている。

映画祭での上映を念頭に置きつつ、年内公開を予定する作品の1つにエレーヌ・ナヴェリアニ監督の「Blackbird Blackbird Blackberry(ブラックバード・ブラックバード・ブラックベリー)」がある。同監督は2021年、ロカルノ国際映画祭に「Wet Sand(湿った砂)」がノミネートされ注目を集めた人物だ。また「Eletctric Child(エレクトリック・チャイルド)」のサイモン・ジャックメ監督は、「The Innocent(潔白、ドイツ語題Der Unschuldige)」で2018年にトロント国際映画祭とサン・セバスチャン国際映画祭で観衆を魅了した。

(編集部注:作品名は原則的に仮訳です)

英語からの翻訳・中島由貴子

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