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福島原発の処理水分析に携わったスイスの研究所

日本は今年8月、津波で破壊された福島第1原子力発電所からの廃水を太平洋に放出し始めた。スイスにあるシュピーツ研究所は、処理水が国際基準を満たしていることを確認する上で重要な役割を果たしてきた。

2011年3月11日、日本の北東沖でマグニチュード9.1の地震が発生。揺れと津波で1万8千人が死亡・行方不明となった。津波は福島第1原発にも襲来。3基の原子炉と核燃料を冷却するため、大量の海水が必要となった。 

事故以来、130万トンをこえる廃水が収集・処理され、原発の敷地内にある1千基超のタンクに保管されている。原子炉建屋に漏れ入った地下水や雨水も含まれる。現在も核燃料の冷却過程で毎日130トンの汚染水が発生し、保管場所は徐々に不足しつつあると報じられている。

事故から12年が経った8月24日、日本は長年にわたる議論と国際原子力機関(IAEA)からの最終的な「お墨付き」を経て、海底トンネルを通じて海岸から1キロメートル離れた水域に処理済みの放射性水を放出し始めた。日本政府は海洋放出を、今後30年で同原発を廃炉にするための重要なステップと位置付けている。

国連の核監視機関であるIAEAが長年の査定を踏まえて7月に発表した報告書は、日本の放出計画は国際的な安全基準に合致しており、「人や環境への放射線による影響は無視できる程度のものだ」と結論づけた。

日本は汚染水をどのように処理し、放出しているのか?

福島原発からの廃水はセシウム、ヨウ素129、ストロンチウム90、トリチウムなどの放射性同位体を含む。

原発を運営する東京電力は、汚染水を放出する前に「多核種除去設備(ALPS)」と呼ばれる強力なポンプとろ過システムで処理している。さまざまな化学反応により、放射能を可能な限り除去することができる。

ALPS処理水の仕組み解説図
swissinfo.ch

日本はALPSでほとんどの放射性物質(62種の放射性同位体)を除去できるとするが、水素の同位体であるトリチウムは水から分離するのが難しく除去できない。トリチウムは自然界にも存在するが、原子炉によって日常的に生成され、世界中の発電所が放出している。比較的無害であると考えられている一方、大量に摂取すると、がんを発症するリスク外部リンクが高まるとされる。ALPS処理水はトリチウムの濃度を下げるために、大量の海水で希釈されている。

日本原子力研究開発機構は3月に実施した測定で廃水から40種類の放射性物質を検出した。処理後、水中の放射性物質の濃度は、トリチウムを除く39種で許容基準を下回った。トリチウム濃度は1リットルあたり14万ベクレルと、日本の定める海洋放出基準の6万ベクレルを上回ったが、海水による希釈で最終的には1500ベクレルに減少した。

IAEAは11月2日、これまでに海洋放出されたトリチウム濃度は国の基準をはるかに下回っていると発表外部リンクした。

科学界では、日本の海洋放出計画の安全性や妥当性について広範に議論されている。一部の環境団体は、考えられるすべての影響が研究されていないと主張して、海洋放出に強く反対している。 例えばグリーンピース外部リンクは、放射性物質の除去が十分に進んでいないとして東京電力の廃炉計画に疑問を投げかけた。水中のトリチウムや炭素14、ストロンチウム90、ヨウ素129による生物学的影響は「無視されてきた」と指摘した。

スイスは海洋放出に伴う放射性物質の監視にどう関わっているのか?

スイスの首都ベルン近郊にあるシュピーツ研究所は、第2次世界大戦後に化学・生物・核の脅威に関する諜報活動外部リンクを行ったことで良く知られている。2016年からIAEAと協力関係にある。福島原発の周辺で採取された海水や堆積物、魚のサンプルは安全性評価の一環で、独立した詳細分析を行うためにシュピーツ研究所など世界の研究所に送られている。日本の研究機関による福島沖のサンプル分析の精度をIAEAが査定した2019年の報告書外部リンクには、シュピーツ研究所の名も並んだ。

シュピーツ研究所は今回のALPS処理水の海洋放出前にもサンプル分析を行った。IAEAが今年5月に報告書外部リンクを発表したALPS処理水と環境中の放射性物質のモニタリングに名を連ね、東電は測定・分析方法、技術的能力において「高いレベルの精度を実証した」と結論付けた。

シュピーツ研究所の広報アンドレアス・ブッハー氏はswissinfo.chの取材に対し、同研究所は「(福島の)海洋放出に対するアプローチと活動は、関連する国際安全基準と一致している」という点でIAEAに賛同すると述べた。海洋放出が人や環境に及ぼす放射性の影響は無視できるとの立場だ。

ブッハー氏は、2011年の原発事故後に近隣の沿岸地域が複数の放射性物質で汚染されたことに触れ、一部は今も堆積物から見つかっていると指摘した。しかし海水と魚の汚染レベルは一般に低く、ほとんどの場合、事故前に検出されたレベルに近いという。

シュピーツ研究所の専門家は、ALPSで処理された希釈水の放出は、トリチウムを除き、この地域の放射能汚染の大幅な増加には寄与しないとみている。

福島原発で予定されるトリチウムの年間放出量(22兆ベクレル)は、フランスのラ・アーグにある核燃料再処理工場や、英セラフィールドにある核施設など、世界中の他の施設に比べれば「大幅に低い」。ブッハー氏によると、スイスの原発からも同規模のトリチウムが放出されている。

シュピーツ研究所の歴史

シュピーツ研究所が設立されたのは1925年。第1次世界大戦で毒ガスにより10万人が死亡したのを受け、生物・化学兵器の使用を禁止したジュネーブ議定書が成立した年だ。アルプスのふもとにあるトゥーン湖のほとりにあり、対ガスマスクや衣類の開発・改良に取り組んだ。

1945年8月6日に広島に原爆が投下されると、核の脅威への対応もシュピーツ研究所の任務に加わった。まずはスイス軍内に、そして民間防護部門を組織した。

ジュネーブ議定書も化学兵器の使用を防ぐことができなかった。1983年に勃発したイラン・イラク戦争で毒ガスが使用されたことを受け、国連は監視員を派遣した。監視団の中に、シュピーツ研究所に隣接するスイス軍核・生物・科学兵器センターのウルリッヒ・イモベルシュテーク大佐も加わった。大佐は1984、86、87年の3回にわたり戦場を訪問。シュピーツ研究所が引き受けた最初の国際任務となった。

スイスの伝統的な中立性と科学的研究の質の高さが評価され、シュピーツ研究所の専門家たちはやがて世界のあらゆる場所に派遣されるようになった。

1997年に化学兵器禁止条約が締結されると、シュピーツ研究所は化学兵器の監視任務を負う12の研究機関の1つとなった。イラクやバルカン半島の監督に加わり、海外の専門家がシュピーツ研究所で研修を受けた。

スイスの原発はトリチウムを放出しているのか?

スイスには 4基の原発が稼働し、 国のエネルギー需要の約3分の1を賄う。現在、放射性廃棄物は原発敷地内にある安全な地上施設と、スイス北部にある2カ所の中間貯蔵所に保管されている。スイスの法律では、放射性廃棄物は長期的に地下深くの処分場に安全に保管されることになっている。原発からの放射性廃水は遠心分離や蒸発、クロスフローナノろ過などさまざまなシステムで処理した後、アーレ川とライン川に放出されている。スイス連邦核安全監督局(ENSI/IFSN)外部リンクが廃水・排気の放射性物質を監視し、毎月公表している。

スイスの原発地図
swissinfo.ch

核安全監督局は、スイスの核施設から両河川に放出された液体放射性物質は「公式に定められた放出制限を大幅に下回っている」と認識する。総排出量(トリチウムを除く)は過去20年間、減少し続けている。

ドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガー外部リンクによると、スイスの原発が2019年に排出したトリチウムは33兆ベクレルに上る。今後30年間では合計1千兆ベクレルに達し、福島原発に置かれたタンク内のトリチウム総量(900兆ベクレル)を上回る。

海洋放出に反対しているのは誰?

日本の漁業組合は長年にわたり、政府の計画する海洋放出に反対してきた。最初に計画が発表されて以来、原発周辺地域からの請願書には25万以上の署名が集まった。

近隣諸国の一部も海洋環境や公衆衛生への脅威について苦情を述べる。最も強く批判しているのは中国政府で、日本が「核汚染水」を排出していると訴える。

処理水の放出開始を受けて中国が日本の魚介類の輸入を禁止し、日中関係は大きな試練を受けている。輸入禁止はホタテなど日本の水産物業者に大きな打撃を与えた。

日本政府は、この問題を議論し対立を緩和するための専門家による対話を提案している。

スイスは連邦内務省食品安全・獣医局(BLV/OSAV)が福島周辺からの食品は再び安全性が確認されたとしたのを受け、今年8月、日本の魚や野生キノコ、山菜に対する輸入制限を全て解除した

編集:Sabrina Weiss、英語からの翻訳:ムートゥ朋子

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