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スイス人漫画家「直接民主制は宗教ではない」

全ての問題についてイニシアチブを実施すべきではないと話すクショールさん PHOTO-GENIC.CH / OLIVIER MAIRE

お手本とうたわれるスイスの直接民主制。しかし時に、ミナレット(イスラム教の尖塔)の新規建設禁止案が可決されてしまうような「事故」も起こる。それを回避できるような制度を整える必要性があると話すのは、ヴィンセント・クショールさんだ。スイス人漫画家でベストセラー作家の彼は、社会を風刺するお笑いコンビとしても活躍中だ。

 ベストセラーとなった「Institutions Politiques Suisses(スイスの政治システム)」は、クショールさんがコミック作家のミックス&リミックス(Mix & Remix)とタッグを組み、制作した本だ。今回その英訳版である「Swiss Democracy in a Nutshell(早わかりスイスの民主主義)」が出版された。

 クショールさんは、社会を風刺するラジオ番組「120秒(120 Secondes)外部リンク」でお笑いコンビとしても活躍している。1年半前には相方のヴィンセント・フェイヨンさんとともに同番組のライブツアーをスタート。これまでにスイスやパリの舞台に立ち、チケットは完売の状態が続いている。2015年1月からはスイス国営放送(SRF)でもコメディーニュース番組を担当する人気者だ。

swissinfo.ch: クショールさんが執筆したスイスの直接民主制についての著書は、売り上げ25万部を突破しベストセラーになりました。学校関係者やスイスに帰化しようと考える人たちが購入者の中心だそうです。また今回、英語版も新たに出版されました。スイスの直接民主制は人々の関心を引くテーマなのでしょうか。

クショール: 一見するとあまり面白そうなテーマには見えないが、実際のところ、(統計でも結果が出ているように)皆が興味を抱くテーマだということがわかった。物事の本質を簡潔に伝えるように努めれば、人は関心を持つようになり同時に多くの疑問を持つようになる。

swissinfo.ch: 前連邦大統領のディディエ・ブルカルテール氏いわく、スイス人には直接民主制の血が脈々と流れているそうですが、クショールさんにもその血は流れていると思われますか。

クショール: いいえ(笑)。スイスの政治システムはさまざまな要素が組み合わさって成り立っている。直接民主制はその構成要素の一つに過ぎない。

直接民主制は合意形成を促す。レファレンダムによって決議が覆されるのを避けるよう、連邦議会は妥協案を見つけようと努力する。ただしそれが足かせとなり物事の進度が遅れることもあるが。またスイスでは、連邦主義も多文化の共存もとても重要だ。このようにさまざまな要素が集まっていても、安定しているのがスイスの政治システムだ。

スイスの政治システムは他国のお手本になれるものだ。だからこのシステムがもっと世界に知られるようになって、他の国にインスピレーションを与えることができればよいのではと思う。私が自らその良さを広めていく気はないが。

swissinfo.ch: つまり、スイスの直接民主制は他国でも導入可能であると?

クショール: それは、わからない。ここには本当に独特の政治文化があるからだ。

スイスの政治文化には、その成熟ぶりがうかがえる。スイスではこれまでに多くのイニシアチブ(国民発議)が国民投票に掛けられたが、否決されたものの中には、他の国では可決されていたに違いないものもある。法定最低賃金の導入案や有給休暇を増やす提案などが良い例だ。たとえ個人的には支持したくとも、有権者は投票で「ノー」をつきつけるという独特の政治文化がスイスにはある。これは国外からは独特の現象として見られている。

直接民主制がポピュリストにいいように利用されてしまうのではと危惧する人々はいるが、そのようなことが起こったのは過去数回で、非常にまれなことだ。

swissinfo.ch: イニシアチブを提起し、国民投票にこぎ着けるまでの費用に50万フラン(約5790万円)かかることもあるといいますが、それでもなお、スイスの直接民主制はお手本だといえるのでしょうか。

クショール: もちろんだ。スイスでも公的健康保険制度導入の反対キャンペーンに多くの資金が投入されるというような、びっくりするような例はいくつかある。そのようなキャンペーンには立役者がいることは明らかだ。(提案が可決されると)失うものが大きいため、彼らは大金を投じて現状を維持しようとしていたのだ。

この観点からいくと、この政治システムは少しゆがんでいる。だからこそキャンペーンに費やすことのできる資金の上限額を設置し、その透明性を確保する対策をとるべきだ。そうすれば、例えば経済連合エコノミースイスが各々の国民投票にいくら費やしているかを知ることも可能だ。

民主主義をお金で操作することは称賛されるべきではない。個人的には政党はお金の流れを明らかにすべきだ思う。民主主義がお金で買われてしまっては全く無意味だ。

swissinfo.ch: 若い世代の投票率が低下しています。若い有権者たちはその投票案件の多さと複雑さに不満を感じています。この状況はどうすれば改善されると思われますか。

クショール: 確かに案件の中にはときどき専門的なものもあるが、投票案件が多すぎるということはない。民主的でありすぎるために民主制が壊れてしまうということはない。

まずは公民教育が根底としてある。学校は政治や文化について議論する場であるべきだし、人々はもっと公共問題に関心を持たなければならない。社会の細かな仕組みを理解する前に、我々は皆、社会で役割を持って生活し、それは価値があることなのだと理解する必要がある。そうして初めて政治参加への意識が芽生える。

swissinfo.ch: 2014年2月の国民投票で移民規制案が可決されました。その後、ガウク独大統領はスイスの国民投票結果は尊重すると前置きした上で、「複雑な案件の場合、有権者がそこに含まれる意味合いを十分に理解できないまま投票してしまうという危険性が、直接民主制にはあるのだと感じた」とのコメントを残しました。スイスはヨーロッパ各国との関係や、移民、銃の規制や有給休暇の増減など、全ての問題において国民投票を実施する必要があるのでしょうか。

クショール: 移民規制案をめぐる国民投票では、有権者への情報が不足していた。また、全ての問題において国民投票は実施できない。だからこそ特定の対策をとる必要性がある。

移民の流入を規制するか否かはそれほど複雑ではない。「イエス」か「ノー」で答えられる。しかしその結果、複雑な影響が出てくる。そして、その影響の中のいくつかは法に関するものもある。今回はそのようなことが有権者にきちんと説明されていなかった。確信を持って言えるのは、もしこの国民投票が今行われるとしたら、恐らく前回とは違う結果になっていただろうということだ。国民投票が実施される前に十分な情報が有権者の手元まで届かず、欧州連合(EU)との関係にどのような副次的影響をもたらすかということについて、きちんとコミュニケーションが行われていなかったのだ。

swissinfo.ch: スイスにイニシアチブの憲法適合性を判断する憲法裁判所は必要でしょうか。

クショール: 必要だ。我々はイニシアチブの内容をもっと適切に考査する必要がある。その点で体制がまだきちんとされていないのが現状だ。2月9日の国民投票結果はかなり深刻だった。可決されてしまったのはまさに事故で、スイス国内でのモスクの尖塔建設禁止が可決された時と同様、他国との関係に(悪)影響をもたらした。

どの問題にも直接民主制を適応して良いというわけではない。個人的にはスイス憲法を国際法よりも優先すべきだという国民党の意見にも賛成しない。常に有権者が正しいとは限らないし、有権者がミスを犯すことだってある。2月の移民規制案の可決はまさにそれだ。

驚くべきことは、スイスの政治家のほぼ全員が「スイス国民の意見は正しい」と言っていることだ。これには同意できない。直接民主制は宗教ではないし、有権者は神ではないのだから。

swissinfo.ch: アンネマリー・フーバー・ホッツ前連邦事務総長は、大きな政党がイニシアチブを提案することを禁止し、イニシアチブが乱用されないようにすべきだとしています。それについてどうお考えですか。

クショール: 考えとしては非常に興味深い。今世紀始めに国民発議権が導入された当初の目的は、政治家と国民との力のバランスをとるためだった。今日、提案されるイニシアチブの多くはスイスで最も大きな政党(国民党)によるものだ。国民発議権が導入された当初は、このように使われることを目指していたわけではないだろう。どちらにしろ、フーバー・ホッツ氏によるこのような挑発的な提案が取り入れられることはないと思う。

swissinfo.ch: スイスの直接民主制の改善点は他に何かありますか。

クショール: 平均40%というスイスの投票率は悪い数字ではない。しかしこの数字はスイス国籍保持者の40%であって、スイスの人口の40%ではない。

たとえスイスで生まれそこに暮らしていても、参政権がない人が多くいるということを我々は忘れてはならない。これは改善できる点だ。そうすればスイスで生活し、今日のスイスを作っている人々が、その暮らしと発展に参加できる。現在スイスに住む外国人の数は200万人に上るが、その多くが政治システムから除外されているのが現状だ。

もちろん時間は掛かると思うが是非実現させてほしい。スイス国籍を持っているのは、スイス人だけではないのだから。

(英語からの翻訳 大野瑠衣子)

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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