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標準ロマンシュ語に反旗を翻す五つの方言

ロマンシュ・グリシュン語は小学校から導入されている Keystone

グラウビュンデン州のロマンシュ語圏では、標準ロマンシュ語が主要言語としての地位を確立しつつある。しかしロマンシュ語の方言を話す人々がこれに異議を唱え、激しい論争が再燃した。

数世紀の歴史を持つロマンシュ語には「イディオマ ( Idioma ) 」と呼ばれる5種類の「方言」がある。しかしそれらは各々独自の話し言葉と書き言葉を持つため単なる方言以上の独立言語とも言える。

大きくなる疑問

 人工言語のロマンシュ・グリシュン語 ( Romansh Grischun ) は標準ロマンシュ語として1982年から徐々に導入されてきた。現在では子どもたちに読み書きを教えるための言語として小学校から採用され、方言にとって替わろうとしている。

 しかし昨年、ロマンシュ・グリシュン語が主要言語として定着することに異議を唱える人々が、方言を支持する組織「プロ・イディオムズ ( Pro Idioms  ) 」を設立した。この組織はエンガディン ( Engadine ) 地方で設立され、スルセルヴァ ( Surselva ) 地方へ拡大された。2種類の方言を使ったウェブサイトも運営している。

 ロマンシュ語辞典の著名な編集者アレクシ・デキュルディンス氏は、2月にスルセルヴァ地方で行われたプロ・イディオムズ設立会で攻撃的な演説を行った。

「私たちの方言は非常に洗練された言語で、現代のすべての発展に向けて開かれている。そしてどんな人工言語よりも大きな可能性を持っている」

 読み書きを学ぶための言語として小学校からロマンシュ・グリシュン語の導入を開始した当初は、多数の人々がこの人工言語を熱狂的に支持していた。しかし現在では彼らも、中学校からではなく小学校の第一日目から教えることに疑問を持っている。

 昔ロマンシュ・グリシュン語の学校教育への導入を決定する法律に賛成投票した地元の政治家でさえ、現在は疑問を感じている。

「不愉快な」言語

  ロマンシュ・グリシュン語は、言語自体とその使用者の利益を統合・代表する組織「ロマンシュ連盟 ( Romansh League ) 」によって1982年に導入された。

 当時、ロマンシュ・グリシュン語は他人に押し付けるべきではない「不愉快な言語」として伝統主義者から批判を受けていた。そして現在も依然として物議を醸している。

 ロマンシュ・グリシュン語が導入されて以来、ロマンシュ語圏のラジオ・テレビ放送局 RTR  と日刊紙「ラ・コティディアーナ ( La Quotidiana ) 」は、ロマンシュ・グリシュン語と方言の両方を並行使用していた。州政府と連邦政府もまた、5種類の異なる方言を話すロマンシュ語圏の人々と意思の疎通を行うために公式標準言語としてロマンシュ・グリシュン語を採用した。

 グラウビュンデン州政府は、明らかにロマンシュ・グリシュン語を歓迎している。公式文書や広告だけでなく、教科書の作成も州政府の任務だ。もしそれらを5種類の方言でなく、ロマンシュ・グリシュン語だけで作成できれば経費の節約になると州政府は考えている。

 州議会は2003年に、州の経費削減のための包括的な法案を承認した。その中には教科書やそのほかの教材をロマンシュ・グリシュン語のみで作成することが含まれていた。しかしこれはロマンシュ・グリシュン語が、読み書きを取得するための基本言語として確定することを意味する。

賛否両論

 しかし法律によると、地方自治体 ( 町と村 ) は、学校で読み書きを学ぶための言語を選ぶ権限を持っている。ロマンシュ・グリシュン語を選択して州政府に「パイオニア」とほめたたえられた自治体もある。しかしほかの自治体は地元の方言を読み書きの言語として維持することを希望しているようだ。

 もしスルセルヴァ地方からエンガディン地方までのロマンシュ語圏に住む新世代の若者がロマンシュ・グリシュン語で読み書きを学んだら、互いに同じ言語で交流できることになる。その場合これはロマンシュ語圏における史上初の出来事になる。

 一方、それらの若者は ( 地元の方言での読み書きを学習・使用する機会が激減し ) 、前世代と現在の作家が残した文学を読めなくなる。そして方言の書き言葉はおそらく消滅することになる。

 ロマンシュ語のテレビ・ラジオ放送局と標準ロマンシュ語を推進するロマンシュ連盟の代表を務めていたベルナルト・カトマス氏は、標準ロマンシュ語とそれを信奉する人々の「革新的」かつ「ダイナミックな」性格を強調し、いつもと同様の主張を繰り返してきた。

 一方、チューリヒ大学のロマンシュ語教授で、出身地エンガディンの方言の特性を擁護するクラ・リアチュ氏は、そうした主張を「発泡スチロール」のように空疎な話だ と皮肉る。

 方言で育った人々の多くにとって、ロマンシュ・グリシュン語は感情に訴えるものが無く、まさに「発泡スチロール」のような言語だ。ロマンシュ語を使う人々がよく言うところの「心の言葉」には成り得ない。

妥協点を探して

 「イディオミスト ( idiomists / 方言支持者 ) 」と呼ばれる人々は、学校教育におけるロマンシュ・グリシュン語の前進を、州政府とロマンシュ連盟による陰謀と民主主義の軽視と見なしている。

 州政府教育委員会の新委員長マルティン・イェガー氏とロマンシュ連盟は、現在妥協点を探っていると言う。しかしイディオミストに対してどれだけ譲歩する気持ちがあるかは疑問だ。

 「この州の政治状況を理解しているロマンシュ語の話者は、政治面から見てすべての方言で教材を作成するのは現実的ではないと分かっている」

 とイェガー氏はラ・コティディアーナ紙の最近の取材に応えた。

 現在の激しい論争の肯定的側面は、言語運動活動家に「無関心」と非難されてきたロマンシュ語圏の人々が、自分たちの方言とその将来を熱心に心配するようになったことだ。

 スルセルヴァ地方の社会人教育の責任者マルティン・マティウェット氏はこの状況をシニカルに見ている。

 「現在の重要ポイントは、このように多くの人々がロマンシュ語に熱心に取り組み、深く関与していることだ。このようなことは今までなかった」

イタリア語とフランス語系統のロマンス語派に属する。スイスの四つの公用語のうちの一つ。

グラウビュンデン州では約7万人が使用している ( 数字は統計によって異なる ) 。また、チューリヒ州やほかの州にも使用者が散在している。

ロマンシュ語は宗教改革時代からの書き言葉だった。当初聖書の翻訳者と護教論者が地元の「方言 ( idiom ) 」で記すことを望み、その結果5種類の方言の標準書式が確立した。それらの5種類の書式にはそれぞれ固有の文字がある。

ロマンシュ語の作家は常に自分の方言で作品を記してきた。つまり全ロマンシュ語人口に向けてではなく、自分と同じ方言を話す地方の住民に向けて書いている。古典的な小説家クラ・ビールトはウンター エンガディンの方言ヴァラダー ( Vallader ) で作品を記した。標準語のロマンシュ・グリシュン語を辛辣に批判しているスルセルヴァの人気小説家レオ・トゥオルも地元の方言で書いている。

それぞれの方言には権威ある辞書と正式な文法学の書籍が出版されている。1982年に作られたロマンシュ・グリシュン語の辞書 ( オンラインと印刷 ) と文法書も数冊出版されている。ロマンシュ・グリシュン語は、ロマンシュ語圏の日刊紙「ラ・コティディアーナ ( La Quotidiana ) 」、ロマンシュ語のラジオ、テレビ放送 ( RTR ) でも使用されている。

言うまでもなくヨーロッパ諸国でも言語の再標準化は、単語の綴りの改定でさえも意見の一致を見ることは少ない。

ギリシャは、文字の綴りを簡素化するためにアクセント記号の改定を試みたが、最終的には1982年に断念した。しかし論争は今も続いており、現在も旧書式を使用している作家や出版社がある。

ドイツで1996年に単語の綴りの小規模な改定が行われた時にも大論争が起き、著名な作家や出版社が新しい綴りの使用を拒否した。それらは今も完全に承認されていない。

( 英語からの翻訳 笠原浩美 )

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