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スイスの伝説の男 ウィリアム・テルの舞台、今年で500周年



インターラーケンで行われるテル劇の一場面。クロスボウ(石弓)と櫂(かい)を手に持つテルは、逃げようとするバウムガルテンに救いの手を差し伸べる

インターラーケンで行われるテル劇の一場面。クロスボウ(石弓)と櫂(かい)を手に持つテルは、逃げようとするバウムガルテンに救いの手を差し伸べる

中央スイスに位置するウーリ州では、ウィリアム・テル伝説の舞台が1512年から上演されている。その初公演から500年目となる今年は数多くの記念祝典が催され、野外舞台も行われる。テル伝説は今も健在だ。

 オーストリアからの圧政に苦しむウーリの民衆。何もない舞台の上で、約100人の出演者が動く。舞台を仕切るのは、錆びた金属でできた、3メートルは超す二つの重い壁だけだ。

 この演出が、圧政に苦しむ民衆の苦悩を何倍も強調する。

 「あなたが代官を斧(おの)で…?」民衆はそろって、逃げようとする百姓コンラート・バウムガルテンに尋ねる。「…頭を割った」。バウムガルテンは答える。民衆は後ずさりし、背中を向ける。誰も代官の追っ手から逃げるバウムガルテンを助けようとはしない。だが、ウィリアム・テルが彼をあわれに思ったことをきっかけに状況は一変し、有名なテルの話が始まる。

 ウーリ州アルトドルフ(Altdorf)で上演されるテル劇のリハーサルからは、圧政の残酷さが肌で感じられる。素人の役者たちは全員で一体となって身をすくませ、大きくため息を漏らす。

 舞台監督のフォルカー・ヘッセ氏は「大人数が持つ力を存分に発揮したい」と語る。ヘッセ氏はすでに、2008年でもアルトドルフでテル劇を手掛け、大成功に導いた経験を持つ。

 これだけ多くの人を一つにまとめるのは、通常の舞台では成し得ないとヘッセ氏は強調する。「今回の新しい演出では、私は『パッション』という言葉をよく使う。私が表現しようとしているのは、民衆が苦しみながらも動乱の時代を乗り越えていく過程だ」

シラー以前の戯曲

 テル劇500周年を祝って今回アルトドルフで上演されるのは、ドイツ人の劇作家フリードリヒ・フォン・シラーが1804年に書いた戯曲を現代風にアレンジしたものだ。しかし、今から500年前の1512年に初めて公演されたのは、「スイス連邦のウーリで上演された、敬虔(けいけん)で最初のスイス人、その名もウィリアム・テルについての美しい劇」というウーリ州の戯曲だった。

 演劇学者のハイディ・グレコ氏によれば、この古い戯曲は中央スイスの祭り文化から誕生し、謝肉祭で上演されていたという。「当時のスイスには中央政権はなく、個々の町があるだけだった。これらの町を結んだのは文化であり、謝肉祭は意見や情報を交換する大事な機会だった」

政治劇

 「美しい劇」は今年、アルトドルフの人形劇場「ゲルプ-シュヴァルツ(Gelb-Schwarz)」で上演された。この戯曲は、ドイツ語圏初の政治劇であるといわれている。ほかにももっと古い謝肉祭用の戯曲があるようだが、グレコ氏は「この戯曲が『政治劇』なのは確か。民衆の政治に対する考え方を一つにまとめようとするのが(この戯曲の)狙いだった」と説明する。

 スイスの自由独立の大切さを人々に伝える上で、テル劇を上演し続けるのは大事なことだった。そのため、時代によって表現方法を変えながら、「圧政からの解放伝説」は繰り返し上演され、いつしか伝統になったのだと、グレコ氏は言う。

 グレコ氏は、こんなにも早くスイスで政治劇が誕生したのは不思議ではないと考える。「周辺国とは違い、スイスには言論の自由という民主的な伝統がある。当時の周辺国では、劇は宮廷や都市と関連したものであり、明確な政治的メッセージが主張できるほどのものではなかった」

シラーの時代到来

 時代は移り、シラーが戯曲「ウィリアム・テル」を発表する。シラーのこの戯曲が大成功を収めたのは、テル伝説を詩にしたかった大文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが、シラーにそれを舞台化してくれないかと頼んだことがきっかけだった。

 「シラーがテルを政治的先導者として描こうとはしなかったところが素晴らしい。テルはあまのじゃくな一匹おおかみで、政治とは全く関わろうとはしなかった。テルが悪代官を殺したことがきっかけで、民衆の大きな一揆(いっき)が起こり、テルは心ならずも英雄となったのだ」と、舞台監督のヘッセ氏は話す。

 演劇学者のグレコ氏は、シラーのテルを「演劇史に大きな影響を与えた作品」と見る。シラーがテルの戯曲を書いた19世紀、世の中は国家主義が台頭しており、この作品は度々「革命派から反動派まで、政治的に幅広く使われてきた」とも話す。

 グレコ氏によれば、スイスの国民的英雄は結局のところ、歴史的に実在はしておらず、いつのまにか伝説となった作り話であるようだ。「重要なのは、皆がこの作り話を信じ込んで、支持しているということ。そのため、スイス人のアイデンティティを形成するのに一役買った」

インターラーケンで100年

 テル劇は今年、東スイスのヴァレーンゼー(Walensee)湖畔でミュージカルとして上演されるほか、スイスとイランの2カ国間文化行事としてアルトドルフで上演される。ドイツ語圏の日刊紙ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング(NZZ)によれば、テル関連の劇で今年は最大9万人の観客が動員される見込みだ。

 100年前からテル劇が行われているインターラーケン(Interlaken)では、秋に家畜を連れて山から村へ降りていく場面や、馬に乗った悪代官が登場したりする従来のテル劇が野外劇場で上演される。テル役を務めるミハエル・ホルンさんは「テル劇は時代を問わない作品。テルを非常に理想的な人物と考える国は多い」と話す。

 ホルンさんは、テルとともに育ってきた。父は同じくインターラーケンでテル役を務め、ホルンさんはテルの息子役として出演してきた。長年にわたり様々な主要登場人物を演じたホルンさんは今年、長い休業期間を経て、再び森の野外舞台で主演を務める。

シラーのテル要約

ウィリアム・テルは13世紀、ウーリ州で暮らしていた。

ハプスブルクの支配下に置かれたウーリの民衆は、堅城を建設するため過酷な労働を強いられていた。

悪代官のヘルマン・ゲスラーは町に帽子をかけるためのポールを作らせ、通りかかる人に帽子の前で敬礼するよう命令した。

ウーリ、シュヴィーツ(Schwyz)、ウンターヴァルデン(Unterwalden)の3州から集まった反逆者たちは1291年、フィアヴァルトシュテッテ湖畔のリュートリ(Rütli)の丘で誓いを立て、同盟を結んだ。これがスイス建国の始まりといわれる。この反逆者たちの中にテルは含まれていない。

テルは帽子の前で敬礼しなかったため、ゲスラーの家来に拘束された。ゲスラーは、テルの息子の頭上に置かれたリンゴをクロスボウ(石弓)で打ち抜くことができたら許してやろうと言い、テルは見事リンゴを射抜いた。だが、「もう1本の矢はあなたを討つためのものだった」と話したため、再び拘束された。

ボートで牢獄(ろうごく)へ移送されているとき、嵐が吹き荒れ、テルは自力で逃げることができた。

キュスナハト(Küssnacht)のある狭い道でゲスラーが通るのを待ち伏せていたテルは、2本目の矢でゲスラーを討った。

悪代官は死に、民衆の手に自由が戻った。この戯曲の終盤ではテルの登場は少なくなるが、テルはスイスの国民的英雄となった。

(シラーがワイマールで死去した1年後、ワイマール国民劇場で1804年に初演された)

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フォルカー・ヘッセ(Volker Hesse)氏略歴

1944年、ドイツのモーゼル地方(Mosel)に生まれる。

ケルンとウィーンの大学でドイツ語文学、演劇、哲学を学ぶ。

ドイツとスイスで長年、舞台監督及び劇場の支配人を務め、現在ではフリーの舞台監督である。

2010年、演劇ではスイスで最高賞となるハンス・ラインハルト・リング賞(Hans Reinhart-Ring)を受賞。

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(独語からの翻訳・編集、鹿島田芙美), swissinfo.ch


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