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スイスの昔のクリスマス

スイスの昔のクリスマスは様々な迷信深い慣習があった。 Keystone

 どんな小さな街でもアルプスの山奥でも見かける色とりどりに輝くクリスマス飾り。豊かなスイスの現在からは想像し難いが、昔のスイスは貧しく、迷信深い慣習が多くあった。

 雪の積もるアルプスの山村で昔は貧しい人々を納屋に迎え、ご馳走を振舞ったり、(旧約聖書のヘロトドスの赤子虐殺にちなんで)子供の墓に蝋燭をともしたり、身ごもっている女性は馬小屋にお参りしたりと様々な習慣があった。昔風のスイスのクリスマスをいくつか紹介する。

死者の霊を祭るヴァレー地方

 今でも多くの教会では24日のクリスマスイブの礼拝は夜中の12時に行われる。19世紀までヴァレー州の人々は夜中のミサに出発する前にテーブルを白いシーツで覆った。これは「白い施し」と呼ばれ、その上にパン、小麦粉、塩、さらにチーズやクリームなどを供えた。亡くなった家族がこの日に訪れると信じられていたからで、死者のために蝋燭までともして出かけた。死者の来訪を信じなくなってからも教会の鐘が食物に祝福を与えるようにとこの慣習は続き、恵みを受けた食物は病気の人や家畜に与えられた。いまだに、山奥の村ではこの名残りでパンや塩を白いテーブルに置いたり、バターや塩を教会に持参して祝福してもらったりする慣習があるとか。

動物がしゃべりだすフリブール

 フリブール地方では24日の夜は動物がしゃべると信じられていた。だから、この日は普段の2倍、家畜に餌が与えられた。また、イエスが馬小屋で生まれたことから、イエスに敬意を払うため妊婦が馬小屋で跪く習慣があったという。不思議な慣習のもう一つは礼拝に出発する前に玉葱を12切れに切って塩を撒いておくというものだ。ミサから帰ってきて塩が溶けている個所で来年の雨が降る月を占ったからだ。なお、小麦粉を挽くにはクリスマスの近い16日以降が良いと縁起を担ぐ迷信深い農家もあったという。

クリスマスツリーの起源

 貧しかった頃のクリスマスプレゼントはりんご、ナッツ、羽振りが良くてもせいぜいオレンジだった。プレゼントはクリスマスツリーに下げられたというが、驚くことにツリーを飾る習慣はドイツで18世紀頃に広まり、スイスでは19世紀以降のこと。もともとツリーはキリスト教に由来するものではなく、モミの木に住む小人が村に幸せを運んでくれるというゲルマン系の樹木信仰が起源だ。19世紀にまず、プロテスタントの国がツリーを飾るようになり、イタリアやスペインなどカソリックの国は20世紀に入ってから。今年スイスではすでに100万本のツリーが売れ(17日の報告)うち、3分の2は輸入品だ。平均1本50フラン(約4千3百円)のモミの木の総売上高は5千万フラン(約3億円)というから、ツリーはスイスでもすっかりクリスマスには欠かせないものとして定着したようだ。


スイス国際放送、 屋山明乃(ややまあけの)

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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