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スイス軍が次に狙うのは観光客 ( スイスめぐり-15- )

幸運なことに、一発の発射の機会もなかった Keystone

冷戦が終わり、スイス軍の改革が進むにつれ、今まで明かされなかった事実が一般に公開されるようになった。

スイス軍博物館があるトゥーン ( Thun ) と、一見すると何でもないアルプスの村、ファウレンゼー ( Faulensee ) を取材した。ここにはトップ・シークレットが隠されている。

 まず訪れたのは、スイス軍博物館。色とりどりの制服、古いヘルメットに行進曲を奏でた楽器、大型戦車に履き古したブーツ。1番最初の時代のスイス・アーミーナイフまで陳列されている。

 ガイドをしてくれたのは、定年退職した元陸軍大佐、ヘンリー・ハベッカーさんだ。「ここに陳列されているコレクションの総数は10万点ぐらいにもなるのでしょうか」と聞いてみると、「いやいや、もっとだよ」と胸を張った。

 もちろんハベッカーさんが詳しいのは当然だろう。彼こそがこの品々を集めてスイス軍博物館に残すべきだと決めた本人なのだから。彼がいなければ、これらは皆、捨てられていたか、スイス軍の余剰品を安く売る店に流されていたか、という運命だった。

 これはスイス軍の改革の一環として、象徴的な仕事だった。臨戦に備えた時代は終わり、多くの品がお役御免となった。

防衛費削減

 現在、スイス軍は「安全性は上げ、防衛費は下げ」のかけ声の下、改革を進めている。冷戦時代に必要だった本物の軍隊活動から、監視や市民生活の保護、平和維持軍の活動など、非軍事的なことに人員が置き換えられた。

 冷戦時代の真っ只中では、スイスは80万人の兵士を抱えていた。つまり、働ける年齢の男性の2人に1人が、任務について訓練していたか、次の任務まで待機していた、という計算になる。最近の改革でこの人数は4分の1に減った。

 皮肉にも、この改革のおかげでハベッカーさんも早期退職を余儀なくされ、有り余る自由な時間を使ってこれほど膨大なスイス軍関係の品々を集めることができたというわけだ。

 オリーブ色をした軍の車両や300年間の間に作られた大砲などがずらりと並ぶ中を歩きながら、ハベッカーさんは、「2度の世界大戦にスイスが巻き込まれないために、軍がいかに重要な役割を担ったか」について話してくれた。

 「第2次世界大戦中、ドイツ軍は、スイスを侵略するのは代償が高すぎると判断したのです」。彼によると、当時のスイス政府の高度な政治・外交手腕と軍事力が相まって、国の中立を守ることができた。

 20世紀、スイスは大砲が怒りの火を噴くことは一度もなかった。大砲だけでなく、重装備の武器や、銃倉庫が、静かなトゥーン湖の湖畔に点在している。ちょっと前まで、これらの存在はトップ・シークレットだった。

見せ掛けの山小屋

 トゥーンから南東へ州道を下っていくと、いくつかの古い軍事施設を通り過ぎる。あるものは鉄道のビル、またあるものは農家の飼料小屋、そしてまたあるものは、シャレーと呼ばれるスイス特有の山小屋。しかし、その実態はれっきとした「軍事施設」だ。

 湖の上の絶壁に設置された銃の保管場所などは、一見、全く分からない。1990年代に、これらの施設のほとんどが従来の役目を終えて、民間団体に払い下げられた。そして一般公開の運びとなったわけだ。

 「地元の人々には、これが軍事施設の類だということが分かっていたと思いますよ。民間人が使うにしては、大きすぎる扉だし、ここに出入りする農家の人なんて誰もいなかったのですからね」とファウレンゼー村の農家の建物群を案内してくれたのは、ヤコブ・リーダーさん。

 農家に変装した建物は、いかにも素朴な感じの木造建築だが、内側はコンクリートでできた軍事施設で、他の施設に地下トンネルでつながっている。

 リーダーさんが鉄の扉を開けると ( これも木造のように見える )、中には銃がいっぱい詰まった樽が置かれていた。この銃の着弾距離は21キロメートルだという。とてもドイツの基地までは届かない。

生命線

 これらの銃は、村が敵の手に落ちないように、手にして抵抗するためのものだ。トゥーンにはいくつか軍事工場がある。またそれ以上に、ここはアルプスを越えるレッチュベルク ( Lotschberg ) の峠へ登る重要な場所なのだ。絶対にドイツ軍に渡すわけにはいかなかった。

 「ここは重要な鉄道の合流点でした」とリーダーさんは語る。「当時、鉄道は電化されていて、アルプスを越えて物資を運ぶ方法としては非常に有効でした。これを枢軸国が手に入れたら、大変なことになっていたでしょう」

 第2次世界大戦中、スイスはすべての軍事施設をアルプスの山に疎開させてしまう戦略を取った。当時、スイスの首脳は冷静に「もしドイツが攻めてきたら国境を守ることは、不可能だ」と分析していた。ならば、生命線となる山の道だけは守り抜こうと決心していたのだ。

 リーダーさんについて歩くこの湿気の多いトンネル。有事の時は、ここにスイス軍兵士がガスマスクを手に、何カ月もこもれるようになっていた。あまり食が進まなさそうな肉の缶詰、ビスケット、固形ブイヨン・スープなどが保存されている。

 感謝すべきことに、21世紀の訪問者はこの任務を2時間あまりで終わらせることができる。

swissinfo、 デイル・ベヒテル 遊佐弘美 ( ゆさ ひろみ ) 意訳

トゥーンのスイス軍博物館 (Swiss Army Museum Collection ) は入場無料だが、最低6人のグループで要予約。
トゥーンとファウレンゼーは首都ベルンやインターラーケン ( Interlaken ) からも電車で簡単に行くことができる。
ファウレンゼー軍事施設 ( Artilleriewerk ) は4月から10月までの毎月第1土曜日に一般公開されている。グループの見学はいつでも受け付けている ( 要予約 )。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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