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普及進まぬ産後うつスクリーニング アプリが穴埋め

Bradly Bennison/shutterstock

スイスを始め世界各国では、産後うつ対策の不十分さが目立つ。このことを自らの体験で痛感した1人の女性が、製薬会社重役という職を辞し、独自の解決策を見出すべく取り組みを進めている。

このコンテンツは 2021/04/25 08:30

「米国で双子を出産した後、ある日突然、重度の産後うつ(PPD)に襲われた。しかし、新しく母親になった女性の多くがそうであるように、自分も『完璧な母親』でなければというプレッシャーから治療を受けることができず、医療の網の目からこぼれ落ちてしまった」。そう振り返るソナリ・モハンティ・クアンティウス博士は、以前は世界的製薬会社の重役だった。今はハプロマインド他のサイトへ社の創業者として、産後うつのスクリーニングや管理、治療のためのデジタルプラットフォーム構築に取り組んでいる。

出産後に現れるPPDの主な症状には、極端な気分の変動、頻繁に泣く、不眠、強いイライラ、怒りなどがある。毎年、全世界で約5千万人の女性がPPDと診断されるが、そのうちの約12%しか治療を受けていない。

4年にわたり重度のPPDに悩まされたクアンティウスさんが最終的にうつを克服できたのは、長距離ランニングのトレーニングのおかげだ。 クアンティウスさんは当時、PPDスクリーニングを明確に推奨している米国に住み、多胎児の母親としてリスクグループの一員だったにもかかわらず、スクリーニングも治療も一切受けたことがなかった。

発見・治療に至らない産後うつ

うつに悩まされながらもクアンティウスさんは、女性の人生の一大転換期のメンタルヘルスを支えるスクリーニングや治療、サポートについて調ベ始めた。彼女には、計算生物学、創薬、治療法の最適化といった分野で豊富な経験があった。

ソナリ・モハンティ・クアンティウスさん Dr. Sonali Mohanty Quantius

「この問題がいかに軽視され、放置されているかを初めて実感したのは、ソーシャルメディア上で非公式のオンライン調査を行った時だった」

この調査を通じて世界中の女性たちが、産後うつが発見されず治療もされなかった自らの経験をクアンティウスさんに訴えた。産後うつは、放っておくと自殺や赤ちゃん殺しにつながるなど、長期的に影響を及ぼし得ることや、彼女の母国インドなどの低・中所得国では、スクリーニングを受ける機会が極めて乏しいことも分かった。インドでは22%の女性が産後うつにかかると推定されているが、母親のメンタルヘルスに的を絞った規定は何もない。

しかし、スイスのような高所得国ですら、適切なタイミングでスクリーニングを行うまでには至っていない。クアンティウスさんはスイスに移住してみて、スイスのスクリーニング事情が米国と変わらないこと、他の先進諸国に比べ産後うつの定期スクリーニングや適時の治療という点では、むしろ著しく遅れていることを知った(囲み記事参照)。

世界的に不十分なスクリーニング体制

産前・産後のうつや不安を抱える女性に対し、一貫したスクリーニングや治療を行っている国はあるのだろうか。

英国では、産後6~8カ月の間に2~3回、さまざまな専門家が「エジンバラ産後うつ病質問票(EPDS)」を用いたチェックを行っている。

同様に、EPDSを用いた妊娠中の女性に対する定期スクリーニングは、米国とオーストラリアでも推奨されている。

しかし、EPDSスクリーニングを広範に導入するには、医療専門家がその使用法を熟知していること、スクリーニング検査結果の解釈や必要な場合の介入方法について、明確な基準とガイドラインが作成されていることが前提となる。

情報提供: アンドレア・ボルザッタ、スイス産後うつ協会

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患者支援団体「スイス産後うつ協会他のサイトへ」のアンドレア・ボルザッタ代表は、スイスの問題は専門家と専門知識の不足だと考える。特にフランス語圏やドイツ語圏では、専門家の数が少なく交流もほとんどないため問題は深刻で、同協会もこの点の改善に力を入れている。

「スイスで専門家を対象にオンライントレーニングを実施した結果、多くの医療従事者がPDD患者とのコミュニケーションの取り方を知らないために、患者の抑うつ症状を悪化させたり、より不安にさせたりするのではないかと心配していることが分かった」(ボルザッタさん)。また、新米の母親のうつ状態を過小評価する専門家もいる。親になったばかりの男女は誰でも、多かれ少なかれ肉体的疲労から生じるさまざまな症状を抱えるが、スイスの心理療法士クロディーン・ハウス氏によると、多くの専門家はいわゆるマタニティーブルーと呼ばれる正常範囲の感情の変化と、深刻な病気であるPPDとの違いを明確には把握していない。

ベルン応用科学大学で教鞭を執るスイスの周産期精神障害専門家のアンケ・ベルガー博士は、年間約1万3千人とされる産後うつ病患者の数について、発見や治療に至らない女性を含めれば、もっと多いはずだと指摘する。

「スイスでは、産後うつというテーマについて定期的に時間を割く両親学級がまだ無い。また、産後についても、全ての親を対象とした、コンスタントで一貫性のある精神疾患スクリーニングが存在しない」(ボルザッタさん)

質問票や対面カウンセリングを補完するアプリ

では、女性が自分に起こっていることを理解し、必要に応じてサポートを受けられるようにするにはどうすればいいのか。現在、ネット上には、産後うつの症状の有無を判定する自己診断テストが数多く存在する。

しかし、正式な診断は精神衛生専門家や医師など有資格者が下すべきもので、こうしたテストはそれに取って代わることはできない。

産後うつの自己診断ツール

「エジンバラ産後うつ病質問票(EPDS)」は、妊娠中あるいは出産1年以内の人に、うつ病や不安を抱える女性に一般的な症状があるかどうかをチェックするもので、スクリーニング用に10の質問が用意されている。

EPDSをスイスで実施する「スイス産後うつ協会」では、EPDSオンライン他のサイトへ自己テストを17カ国語で提供している。

その他の産後うつ自己診断ツール:産後うつ病スクリーニング尺度(PDSS)、患者健康質問票(PHQ-9)、BDI-IIベック抑うつ質問票、産後うつ病不安ストレス尺度(DASS-P)、メンタルヘルス調査票(MHI)など。

情報提供:アンドレア・ボルザッタ、スイス産後うつ協会

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PPDの女性の多くは、対面カウンセリングに消極的だ。ボルザッタさんによると、彼女らは自分の感情を恥じたり、面倒を見てくれた医師や助産師に対し失礼ではないかという不安から、黙って苦しんでいる。

こうしたことからクアンティウスさんは、「よりホリスティック(包括的)な、エビデンスベースの周産期医療」を伴う独自の産後うつスクリーニング法の開発を目指している。

そのために製薬会社の計算生物学担当重役を退職した彼女は、シニアサイエンティストとして連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)で、デジタル診断ツール「ハプロマインド」の開発に取り組み始めた。データ分析、デジタル表現型(デジタルデバイスから収集される個人の行動データ)、機械学習といった手法を利用したこのツールは、妊娠から産後1年目までにうつや不安障害を発症した女性を発見し、治療に役立てることを目的とする。

ハプロマインドは、妊娠中または産後の女性と、婦人科医や産科医、助産師が一緒に使用する。女性自らの意思でデジタルエビデンスのベースを構築し、女性に治療の主導権を与えようというものだ。妊娠中や産後、あるいは投薬や治療の後に経験した感情を、自分でアプリに記録する。

こうして収集されたデータを、個別スクリーニングの改善や個別治療用のエビデンスベース構築のために医療機関に活用してもらうというのが、クアンティウスさんの願いだ。その場合、医療専門家は訓練を受けた上で、母親の自己申告データを解釈して産後うつのレベルを診断し、「自己管理型」「ピアサポート型」「通常医療型」「代替療法型」など様々なタイプの治療法から最適な方法を選択することになる。

パーソナルヘルスデータの守秘義務

アプリ、特に健康関連アプリのユーザーの多くは、データプライバシーや共有情報の用途について懸念を抱いている。

クアンティウスさんは、ハプロマインドなどのデジタル・ヘルスアプリを利用する場合、ユーザー個人のパーソナルヘルスデータのプライバシーやセキュリティの確保が重要だと強調する。「簡単にアクセスでき、安全かつ信用できる場があってこそ、女性はうつ病性障害を取り巻く偏見を克服し、メンタルヘルス問題を専門家と話し合うことができる」(クアンティウスさん)

ヘルスデータ協同組合MIDATAの共同設立者エルンスト・ハーフェン教授他のサイトへの協力の下、アプリ「ハプロマインド」は、MIDATA他のサイトへと同じく市民所有のデータ受託モデルを構築する。非営利型協同組合モデルでは、ユーザーはヘルス関連の個人情報を安全に保管することができる。こうしたデータセットへのアクセスを第三者(例:医療研究プロジェクト)に許可できるのは、ユーザー本人だけだ。データ収集の受託者であるハプロマインドは、データの用途に関しユーザーの主権を保証する。つまり、データを共有するかどうか、誰と共有するか、それをどのように使用するかを決定するのは、ハプロマインドではなくユーザーとなる。

「このアプリを利用する女性のパーソナルヘルスデータは全て、スイスでホストされている安全で拡張性のあるITプラットフォームに保存される」(クアンティウスさん)

現在、ハプロマインド社は、ETHZの発展途上国支援を目的とした研究プロジェクト助成制度「ETH for Development」から資金を獲得し、インド南部ベンガルールにあるインド国立精神衛生・神経科学研究所(NIMHANS)と共同で、アプリのプロトタイプの実行可能性調査を行っている。

その他、チューリヒ大学病院との実行可能性調査も計画されている。更にはカナダとニュージーランドの研究者らと共同で、デジタルソリューションの現地導入に向け作業を進めている。

新米の母親や妊娠中の女性が適切なタイミングでスクリーニングを受けられるようにすること、妊娠中や産後に気分の落ち込みや不安を感じている人が、信頼できるリソースを見つけられるようにすること、自分の健康状態について女性自らが主導権を持てるよう「周産期特有のエビデンスベース」を構築すること、医療専門家が個人に合わせた治療法を選択できるようにすること。これらがクアンティウスさんの最終的な目標だ。

「PPDに対する偏見のせいで相談をためらったり、母親としての資格が疑われるようなことがあったりしてはならない。PPDの検査と治療は、妊娠中や産後の定期健康診断と同じく、ごく当たり前のことになるべきだ」

(英語からの翻訳・フュレマン直美)

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