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パウル・クレーの意外な一面

パウル・クレー作「反撃の矢」水彩、1933年、個人所蔵。

(ベルン美術館)

6月4日から「パウル・クレー1933年」と題した展覧会がベルン美術館でパウル・クレー財団の協力で開催。ナチに迫害され、家に引きこもった1933年に描いた作品の数々が鑑賞できる。

非政治的な画家というクレーの一般的なイメージとは離れたデッサン80点と色彩画10点あまりが見られる。

何故1933年?

 1933年はクレー52歳、人生転機の年である。1931年にバウハウスと契約を解消し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで教鞭をとっていたクレーに解雇通知が届いた。1933年1月30日、ヒトラーが政権を掌握してから3ヵ月後だった。ナチスは前衛芸術家の迫害を始めるが、クレーは第一の被害者となる。ユダヤ人ではないが「ガリシアのユダヤ人」とか「文化ボルシェヴィキ」と呼ばれ別荘まで没収される。そこで、クレーは自宅にこもって働きつづけるが、その年の終わりには余儀なく生まれ故郷のスイスに亡命する。

 皮肉なことに、この1933年ほどクレーにとって多作な年はない。この年に習作された作品は482点と言われる。

クレーの知られざる側面

 アカデミーの同僚でもあり、友人の彫刻家アレキサンダー・チュッケの証言により「ナチスの革命を描いた」作品群があることは分かっていたが、これらの作品は長いこと失われたと思われていた。しかし、1984年に専門家によりクレー財団所蔵の一連のデッサンが該当する作品であることが証明された。直接的な政治糾弾のような作品ではなく、機知に富んだ滑稽なタイトルや、暴力、弾圧、逃亡といったテーマを背後に隠したものだったからだ。この展覧会では戦争や政治を揶揄するデッサンが集められ、初めてクレーのナチス政権に対する思いを窺うことができる。

「反撃の矢」とは?

 クレー研究の第一人者で、展覧会作成にも加わった奥田修氏(クレー財団研究員)は上記の絵、「反撃の矢」について「クレーはナチの迫害に家に引きこもって芸術家として反撃した。政治運動への反撃ではなく、自分流の反撃を表しているのではないか」と解釈する。クレーの絵画によく登場する矢印について奥田氏は「バウハウスの講義では“矢印は人間の願望を表す、しかし、矢は飛んでも重力で落ちてしまう人間の宿命”といった哲学的な解釈もしている」と説明する。矢印は初期の時代から使われ、「前衛の矢」という保守的芸術への対抗を表す絵画も描いているという。この作品、「反撃の矢」は日本人コレクター所蔵作品で、スイスで展示されるのは初めて。

 奥田氏は今回の展覧会について、「普通のクレーを想像して来る人はショックを受ける」という。クレーの知られざる天才的なスケッチはミュンヘンでもセンセーションを巻き起こし、展覧会が2週間も延長されたという。「ドイツを追われたため、ドイツ国籍だったのにかかわらずドイツではクレーの絵画がほとんどない」という。この展覧会はまず、ミュンヘンで始まり、ベルンの後、フランクフルトとハンブルグでも開催の予定。ベルン美術館は世界で一番多いクレー作品を所蔵している(2500点)ため、常設展でも200作ぐらいのクレーが鑑賞できるが、今回の展覧会に合わせて常設展にも「クレーとナチス」というテーマでの展示が行われる予定。


スイス国際放送、A.Y.

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「パウル・クレー1933年展」は6月4日から8月17日まで、ベルン美術館で開催。常設展にも「クレーとナチス」をテーマの展示がある。週日10時〜17時、水曜は21時まで、月曜休館。

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