
普遍的管轄権による犯罪訴追、未だ遅れ目立つ 政治干渉疑惑も

スイスの検察トップは2022年の就任時、普遍的管轄権に基づく国外での重大犯罪の捜査・起訴に力を入れると公言した。しかし一部は未だ進展が遅く、政治干渉疑惑も浮上している。

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戦争犯罪や人道に対する罪などの重大犯罪については、事件に直接関係のない国が容疑者を刑事裁判にかける権利、いわゆる「普遍的管轄権」が認められている。だが、スイスは長年、その行使が絡む捜査や起訴の遅さを指摘外部リンクされてきた。
ミヒャエル・ラウバー前検事総長の任期中、普遍的管轄権行使の事件は明らかに優先事項ではなかった。後任のシュテファン・ブレットラー検事総長は2022年の就任時、そうした事案に注力すると公約。在任100日を機に行った同年5月のインタビューでは「私たちには(傷ついた人々を区別なく救うという)赤十字の理念が生まれた国として特別な道義的義務があり、行動が求められる」と語った。
では、実際に変化の兆しはあるのか。
普遍的管轄権に基づく裁判を専門とし、訴追逃れの問題に取り組むスイスのNGOトライアル・インターナショナルのブノワ・メイストル法律顧問は「いくつか前向きな兆候はあった」と話す。しかし、依然進展のない事案もあり、現状評価について「結論は出しにくい」という。
メイストル氏は、その前向きな兆候として、アルジェリアのハレド・ネザール元国防相と、シリアから亡命したバッシャール・アル・アサド前大統領の叔父、リファト・アル・アサド元副大統領のケースを挙げ、「長らく捜査状況が不明だったが、検察庁が起訴状外部リンクを出した」と語る。ガンビアのウスマン・ソンコ元内相の裁判も進んだ外部リンク。これは、当局が以前より国外事案に関心を払っている表れだという。
一方、トライアル・インターナショナルが調査し、刑事告発したケースには、今も進展がみられないものがある。紛争の影響が続くセネガルのカザマンス地方から希少木材ローズウッドが略奪された外部リンクとみられる事案(2019年)、第2次リビア内戦中(2014〜20年)の石油略奪にスイス企業が関与した外部リンクとされるケース(2020年)がそうだ。
メイストル氏はスイスの司法ニュースサイト、ジャスティスインフォに対し「ソンコ元内相の事案では(一審の)公判が行われ、有罪判決が出たが、ほかは進捗状況がわからない。公益に関わる問題にもかかわらず、我々が情報提供できる可能性は著しく限られている」と語った。
ソンコ元内相は2024年5月、人道に対する罪で禁錮20年の有罪判決を言い渡された。現在は控訴手続きが始まっている。スイスで普遍的管轄権に基づく裁判が軍事法廷から一般の裁判所に移管された2011年以降、国外犯罪で有罪判決を受けたのは、ソンコ元内相のほかにはリベリアの反政府武装勢力のアリュー・コシア元司令官だけだ(連邦刑事裁判所の控訴審は2023年6月1日、禁錮20年の判決を言い渡した)。

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メイストル氏は、連邦検察・警察当局は依然として人員・予算が不足し、それが訴追の実効性に影響を及ぼしていると指摘する。
被告の死亡と逃亡
ブレットラー氏の就任時、検察庁は知名度が高く政治的にデリケートな戦争犯罪事案を2件抱えていた。ネザール元国防相とアサド元副大統領に対する捜査・起訴手続きだ。
捜査開始はネザール元国防相が2011年、アサド元副大統領が2013年までさかのぼる。告発状が出された当時、2人ともスイス国内にいたが、ソンコ元内相、コシア元司令官とは異なり、いずれも出国が認められた。事情聴取のためスイスに戻るとの了解に基づく措置だった。しかし2人は自国で保護された後、健康悪化を訴え聴取に戻ったのは1、2回のみ。ネザール元国防相は2023年8月、アサド元副大統領は2024年3月にようやく起訴されたが、ネザール氏は4カ月後に86歳で死亡した。アサド元副大統領は存命だが現在88歳で、2024年12月のシリアの前政権崩壊後は正確な所在が分からなくなっている。

アサド元副大統領は 1982年にシリア中部で発生し、民間人を中心に推定数万人が死亡した「ハマー虐殺」をめぐり、戦争犯罪と人道に対する罪に問われて外部リンクいる。
元副大統領は2021年9月、亡命先のフランスで不法利得による禁錮4年の控訴審判決を受けたが、同10月にバッシャール氏から帰国を許され、同国での収監を免れた。
スイス当局は2021年11月に元副大統領の国際逮捕状を出した(2023年8月に発覚)が、身柄を拘束することはできなかった。元副大統領はシリアの医師団による診断書を盾に、体調不良によりスイスでの審理に出廷できないとして渡航を拒んだ。政権崩壊後は再びシリア国外に逃亡したとみられている。
裁判所は公判中止の意向
シリア人被害者の代理人弁護士らは、元副大統領の甥が握る政権下で出された診断書の正当性に異議を唱えつづけた。しかし、スイス連邦刑事裁判所は政権崩壊直前の2024年11月末、医学的見地から裁判の中止を検討していると当事者らに通知した。
ジュネーブを拠点とする被害者側代理人、マオ・フライ・ド・クラビエール弁護士は同年12月、仏語圏ル・マタン日曜版に「(ハマー)虐殺は42年にわたり生存者を苦しめてきた。起訴状の発行により、心の傷が正当に扱われることへの確かな希望がようやく出てきた」と語っている。
同氏はジャスティスインフォのインタビューで、これまでの過程で多くの被害者を「失った」と発言。「シリア政権の抑圧下で、刑事告訴に踏み切れなかった被害者は大勢いるはずだ。しかも、12月の体制崩壊後には告訴を望む人たちが接触してきたが、手続き上の理由でもう手遅れだった」と語った。
裁判所はまだ最終判断を下していない。被害者側弁護士らの圧力やアサド元副大統領のシリア出国を伝える報道が、決定を左右する可能性もある。元副大統領の正確な所在は不明だが、レバノン経由でドバイに逃れたと報じられている。
「起訴遅れは人権侵害」
ネザール元国防相は1990年代から2000年代初めにかけてのアルジェリア内戦、通称「暗黒の10年」のさなか、戦争犯罪と人道に対する罪に及んだとされる。しかし、2024年6月に始まるはずだった裁判は被告死亡により打ち切られた。
これを受け、被害者2人の代理人弁護団は2025年7月7日、スイス当局を相手取り、欧州人権裁判所(ECHR)外部リンクに申し立てを行った。当局に「司法拒否」(denial of justice=裁判を受けさせないこと)があったと主張している。

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再び重要性を増す普遍的管轄権
原告側共同代理人を務めるジュネーブ拠点のソフィア・ベガス弁護士は「欧州人権裁判所に訴えた理由は複数ある。1つ目は(捜査と公判待ちを合わせて)13年超という手続きの長さだ。これは、元国防相の生死とかかわりなく、適正な期間内に公正な裁判を受ける権利を侵害する。2つ目は、合理的な期間内に公判を行う原則が破られたことにより、被害者が裁判を断たれたことだ。判事らの前で自らの苦しみを証言するという裁判の恩恵も、自分たちを苦しめた出来事の認定も、補償も受けられなかった」と語る。
ベガス氏は、フランスに住むアルジェリア人男性被害者の共同代理人を務める。同氏がジャスティスインフォに語ったところによると、この男性はネザール元国防相の在任中、軍事政権下で収監され拷問を受けた。1949年生まれで、他の被害者や元国防相と同様に高齢だ。弁護士らは関係者らの年齢も理由に挙げ、スイス当局は法的手続きを遅らせるのではなく、むしろ加速すべきだったと主張している。
今回の申し立ては欧州人権条約外部リンクに基づいている。同条約は公正な裁判を受ける権利を定めており、合理的な期間内に公判が行われることもその一部だ。
欧州人権裁判所への申し立ては、加盟国内で全ての法的手段を尽くしたことが前提となる。スイスの連邦刑事裁判所は2025年3月、起訴までに「かなり」の期間を要したが、依然として許容範囲内だったと判断。司法拒否があったとする被害者側の主張を退けていた。
メイストル氏は、トライアル・インターナショナルは欧州人権裁判所への申し立てを強く支持すると語る。「私たちも、この事案にかかった時間はあまりに長く、被害者の権利を侵害していると考える。2011年に捜査が開始され、2023年にようやく起訴が通知された。この12年間の大半が前検事総長の任期だった。この間、担当検事の交代が相次いだことが進捗の遅れを助長した。積極的な捜査活動が行われなかった時期が多くあることも判明している。そうした時期を通算すると、捜査期間全体の過半に及ぶ」
ベガス氏によれば、ネザール元国防相の事案では政治干渉の形跡もあった。スイスのイグナツィオ・カシス外相は否定しているが、国連特別報告者らもかつて同様の指摘をしていた。弁護士らは欧州人権裁判所に対してこの点を提起している。ベガス氏は、これが起訴が大幅に遅れた一因だと確信している。
同氏はジャスティスインフォに対し「スイスの駐アルジェリア大使とアルジェリア当局が複数回やり取りをしていた。この刑事手続きを嫌がっていたことを示す情報が複数あった」と語っている。
ベガス氏によると、連邦検察庁の2016年の記録には、スイスの駐アルジェリア大使と同庁当局者の会談に関する記述があった。そこには、大使がこの件を「時限爆弾」と呼んだと記されている。さらに、捜査のせいで経済案件が進んでいないことを示唆する発言もあった。

失われた救済
メイストル氏はジャスティスインフォに対し、「アルジェリア内戦をめぐっては、正義を求める手続きが国内外のあらゆる場所で実現していない。暗黒時代の主要人物が1人でも裁判にかけられることは、正義を求め闘ってきた原告らをはじめ、一部の被害者にとって極めて象徴的な出来事になっただろう」と語る。
ベガス氏は、被告死亡による裁判中止が被害者らに多大な苦しみを与えたと語る。「被害者側弁護士が強く求めた末、連邦検察庁がようやく起訴した。この時、連邦刑事裁判所で公判が行われるという期待が、ついに被害者らに芽生えた。被害者らは、ついに正義がもたらされることを期待していた。それが被告の死によって正反対の結末を迎えた。受け入れがたい事態だった」
欧州人権裁判所への申し立てで、弁護側は被害者2人が司法拒否により苦痛を受けたとして、それぞれ約1万ユーロ(約175万円)の賠償金支払いをスイス政府に命じるよう求めている。ベガス氏は「13年は長すぎる」と言い、被害者側の訴えが認められる可能性は十分にあると考える。しかし判決が出るまでにはさらなる年数を要する可能性もある。
スイス連邦検察庁は、2024年末時点で11件の国外犯罪を捜査中とした。個別事案の詳細や、人的資源・予算配分は明かしていない。
11件のうち6件は、スイスのNGOトライアル・インターナショナルがインタラクティブ・マップに表示している。一連の事案の発生国(カッコ内は捜査対象者)は以下の通り。
(1)コンゴ民主共和国(スイスと南アフリカの二重国籍者、クリストフ・ヒューバー外部リンク容疑者)
(2)シリア(リファト・アル・アサド外部リンク元副大統領)
(3)バーレーン(アリ・ビン・ファドル・アル・ブアイナイン外部リンク検事総長)
(4)ウクライナ(スイスの報道写真家ギヨーム・ブリケ氏を襲撃したロシア兵外部リンク)
(5)リビア(ティーゼル油略奪のため戦争犯罪に関与した疑いのあるスイス企業外部リンクと個人)
(6)ガンビア(カザマンス地方でのローズウッド略奪外部リンクに関与したとみられるスイス人実業家)
※4〜6の捜査対象者の身元は明かされていない。
トライアル・インターナショナルによると、州当局が所管しているグアテマラ(エルウィン・スペリセン外部リンク元警察庁長官)、ベラルーシ(ユーリ・ハラウスキ外部リンク容疑者)の事案と、すでに裁判で判決が出ているガンビア(ウスマン・ソンコ外部リンク元内相)、リベリア(アリュー・コシア外部リンク元司令官)の事案については、検察庁が捜査中の11件には含まれないとみられる。
英語版初出:ジャスティスインフォ(JusticeInfo.net外部リンク)、英語版執筆:Julia Crawford、Franck Petit、英語からの翻訳:高取芳彦、校正:宇田薫

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