
「民主主義は富をもたらす」時代は終わったのか

民主主義は経済的繁栄を約束するという論理は、過去数十年の民主制の世界展開で重要な役割を担ってきた。しかし、スイスのようなわかりやすい成功例があるにもかかわらず、このナラティブ(物語)の効力は弱まっている。
世界では一握りの産油国を除き、豊かさで上位の国々が自由度でも上位に入る傾向が続いている(下図参照)。スイスはといえば、とても裕福で競争力が高く、民主的な国として、この相関を象徴するようにさえ見える。
昔からある批判
民主化と富を結び付ける理念は、主に第二次世界大戦後に誕生した。
まず、この理念は世界的な覇権争いの一翼を担った。米国主導の西側陣営がソビエト連邦の共産主義に対抗するため資本主義的発展モデルを掲げ、その土台としたからだ。
学術研究の対象になったのも戦後だ。米国の政治学者シーモア・リプセットは1959年の有名な論文外部リンクで、のちに「近代化論」の名で知られる基本命題を提示。「豊かな国ほど民主主義が維持される可能性が高い」と論じた。社会が発展すれば、政治体制は自然とより自由に、民主的になっていくという考え方だ。
西側陣営のナラティブや近代化論に対しては、理想の社会像への先入観を内包しているとの批判があった。リプセット自身、発展には教育や都市化、天然資源など多くの要因があり、国内総生産(GDP)と民主主義のみに着目することは単純すぎると認めている。
西側諸国は近代化論に基づき開発途上国を支援したが、民主化を通じて西側的な自由・消費資本主義者を育もうとするこのやり方は、すべての国に適していたのだろうか?また、経済の近代化と民主主義の向上に相関があるのだとして、因果関係は確認できるのだろうか?
最近の批判
経済発展と民主主義が相関するという考え方は今も消えていないものの、何らかのただし書きを伴うことが多い。
2024年にノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグル氏はそれに先立つ19年、専制から民主主義への移行がGDPを25年間で20%押し上げるとする共著論文外部リンクを発表した。ただし、この結論は2010年までのデータに基づいており、そこからの15年間、世界では民主主義に逆風が吹いている。
さらに、論文は各国の政治体制が変わるそもそもの理由に言及していない。アセモグル氏はスイスのドイツ語圏大手紙NZZに対し、中国のような国では富の増大とともに民主化が進むことを示す「メカニズムはない」と語っている。また、同氏は最近、民主主義そのものよりも文化や制度が成長に及ぼす影響に焦点を移している。
また、アセモグル氏の業績を土台とする2025年3月発表の論文外部リンクによると、民主主義と所得には確かに歴史的相関があるものの、直線的な比例関係は存在しない。貧しい国では所得が増加しはじめるとともに自由度が落ち込むことが多く、民主主義が高まり始めるのは、繁栄が一定の水準に達してからだ。
ここには、どのような理由があるのだろうか。仏トゥールーズのビジネススクールTBSに所属する同論文の共同執筆者、ペトロス・セケリス氏の考えでは、人は豊かになるほど仕事を減らし、外出したり、インターネットをしたり、仲間と集まったりといった時間の使い方に前向きになる。そして、これが政府への圧力となり、民主化が促される。
だが因果関係を裏付けることは難しい。セケリス氏によると、このモデルは経済関連データとの整合性はあるものの、市民の民主化要求を引き起こす(または引き起こさない)正確な要因に関し、確たる事実がいくつか抜け落ちている。たとえば、新興メディアの台頭は民主主義に明らかに影響を及ぼしているが、データに取り込まれていない。
この指摘は、民主主義とGDPを算出する統計分析が抱える重大な欠点を示している。それは、動画投稿アプリ「TikTok」、気候変動、移民、ドナルド・トランプ米大統領のような人物の登場といった変化を捉えきれていないことだ。
トーマス・カロザース氏とブレンダン・ハートネット氏は米誌ジャーナル・オブ・デモクラシー外部リンクで、経済的な不満を民主主義の「後退」の要因とする見解には裏付けとなる客観的事実が足りないと指摘。トランプ氏など国家指導者による影響の大きさに焦点を当てている。
スイスが優等生である理由
スイスも世界の新たな変化と無縁ではない。トランプ関税の影響も免れず、経済専門家らによればGDPは最大で0.7%縮小する見通しだ。だが、その最悪の場合でさえ、この国が経済的に豊かであることに変わりはない。競争力も高く(下図参照)、直接民主制による市民の権利は広範囲に及ぶ。
ルツェルン大学スイス経済政策研究所(IWP)のマルコ・ポルトマン氏は「スイス経済の実績には税金と立地という要素が非常に大きく影響している。ただし、そうした成果が健全な政治判断に起因することや、諸制度と大いに関係していることは重要だ」と語る。同氏によると、スイスでは直接民主制と連邦制、バランスの取れた選挙ルールが組み合わさることで、ゆっくりとでも合意が形成される仕組みができている。そして、その仕組みによって「事業活動にとって死活的に重要な法規の安定性」が生まれている。
ポルトマン氏によれば、レファレンダム(住民表決)とイニシアチブ(住民発議)を通じた直接民主制は政治決定に大衆のお墨付きを与えるほか、国の支出の無駄を抑える全般的な効果がある。法定の年次有給休暇を4週間から6週間に延ばす案が否決された2012年の事例は有名だ。
もちろん、有権者が常に理にかなった選択をするとは限らない。投票結果の合理性には、健全な情報が手に入るなどの前提があるからだ。とはいえ、歳入に余剰がある時をはじめ、政策当局も予算配分を誤ることはある。
貧富の格差によって市民の怒りが増幅され、米国など世界中で爆発しているとよく言われるが、この問題についても専制政治が優れているわけではない(下図参照)。長期で見ると、スイスでは資産はともかく所得に関しては格差を比較的抑えられている。
ただし、格差の小ささが国内の安定に寄与している可能性はあるものの、そこに民主主義が果たしている役割は定かでない。ポルトマン氏と同じIWPのメラニー・ヘナー・ミュラー氏は2022年、スイスで格差が小さい主な理由は、柔軟な労働市場や、職業訓練と高等教育が並立する制度にあるとスイスインフォに語っている。
日本の経済成長から言えること
日本も戦後、民主化とともに経済成長を遂げてきた。その点では民主主義と経済力との相関関係を示す実例ともいえる。だが冒頭のグラフでみると、足元の1人当たりGDPは必ずしも高くない。
日本大学の坂井吉良教授らが2019年に発表した研究外部リンクでは、民主主義が①人的資本投資②物的資本形成③所得分配④市場開放⑤政府規模の5つの経路を通じて経済成長にどう影響するかを分析した。その結果、全体として民主主義の改善は実質GDPを年1.6%~2.1%、1人当たり換算で0.9%~1.0%押し上げる効果があるとの試算を導いた。
ただし、それぞれの経路が持つ経済効果については必ずしも実証されなかった。例えば民主主義の向上は人的・物的投資を増やす効果があるが、それらは結果的に経済成長を押し下げる可能性もあるという。その原因について、研究は「物的投資が非効率な分野に投じられる過剰設備や、労働生産性の上昇に結び付かない人材確保や配置転換という過剰雇用があると予想される」と分析した。
研究は、日本の民主主義について次のように要約する。「人的・物的資本の蓄積を促進し、所得の不平等を是正し、貿易の市場開放と小さな政府を推進することによって、豊かさを実現することに寄与する。しかしそれは同時に、経済成長を相殺するような政策を選択してしまう可能性のある制度でもある」
地政学的情勢
結局のところ、データを主とする繁栄や成長の分析では説明に限界があるのかもしれない。ジュネーブ国際開発高等研究所(IHEID)紛争・開発・平和構築センター(CCDP)のエライザ・アーウィン氏は、地政学的情勢が移り変わり、民主主義は単純に新たな現実に直面していると指摘する。
アーウィン氏は「民主主義は成長をもたらし、貿易は平和をもたらすという古い論理は、もう成立しない」と語る。民主主義は前向きな約束というよりも、戦略地政学的な課題としての色合いが濃くなっている。この舞台では民主主義と専制主義の相反するナラティブが影響力を競い合っており、近年は後者がかなり優勢だ。「専制主義側は、鉄拳が安全と安定をもたらすと言って自らを売り込んでいる。これは大衆が不安を感じているあらゆる場所で有効な主張だ」
編集:Reto Gysi von Wartburg/gw、英語からの翻訳:高取芳彦、校正・追記:ムートゥ朋子

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