The Swiss voice in the world since 1935

廃墟スキー場にスキーヤーが集まるワケ

スキー場のリフト乗り場
スーパー・サン・ベルナール・スキー場(2011年) Keystone / Jean-Christophe Bott

スイスのスキー場「スーパー・サン・ベルナール」には2010年に閉鎖された後もスキーヤーが集まる。何が彼らを魅了するのか。

おすすめの記事

レストランは施錠されておらず、ドアを開け中に入ることができた。ここはかつて「スーパー・サン・ベルナール」というスキー場の中心として賑わった施設だ。すぐ隣は駐車場でロープウェイ乗り場もあった。広々としたテラス席では、戸外のランチやアフタースキーのドリンクを楽しめた。だが、今は荒涼とした光景が広がっている。

スキーブーツがガラス片を踏みつぶす。床には古いパンフレットや雑誌、リフト券が散乱し、壁には落書きが、調理場には黒い焦げ跡が見える。窓枠にまだ少し残った二重ガラスの破片が、風でカタカタと揺れた。

外部リンクへ移動
FT

スイス南部ヴァレー(ヴァリス)州ヴェルビエの南約22キロメートルの場所にこのスキー場がオープンしたのは1963年のことだ。国境を越えてイタリア側に下る急斜面など、標高が高く長大なコースで評判となった。しかし、今世紀に入る頃には資金繰りが悪化し、四苦八苦の状態が続いた。そして2010年、遂にリフトが停止した。以来打ち捨てられたまま、建物はゆっくりと朽ち、リフト塔は吹雪にさらされ錆びついていった。こうしてスーパー・サン・ベルナールは、昨今増加している「ゴーストリゾート」、つまり廃墟化したリゾート地の仲間入りをした。ゴースト化の引き金は、老朽化したリフトの交換がままならないなど単純に経済的要因の場合もあれば、気候変動の場合もある。

世界的な統計は無いが、スキー業界コンサルタントのローラン・ヴァナ氏によると、スイスだけでも過去25年間に20のリゾートが閉鎖されている。日本では1980年代のスキーブーム以降、少なくとも200カ所が閉鎖された。そうしたインフラのほとんどは、解体されるか転用された。だが、中には従業員がふと立ち去ってそれっきりのような場所もある。

時速60キロメートル近い強風が吹き荒れる廃墟というロケーションにしては妙に思えるが、今スーパー・サン・ベルナールにいるのは筆者1人ではない。色鮮やかなウェアに身を包んだ人々が車から降りてスキーの準備をしているのが割れた窓越しに見える。最近とみに人気が高まっているスキーツーリングは、スキー板にクライミングスキン(滑り止めシート)を取り付けることでスキーリフトに頼らずとも斜面を登ることができる。これが、廃墟リゾートにとってはもうひと花咲かせるチャンスとなっている。

スキー文化

今回筆者がここを訪れたのは、仏スキーブランド、ブラッククロウズ外部リンクが主催するパブリックイベントに参加するためだ。数名の山岳ガイド、それに仏出身トップクライマーのリヴ・サンゾ氏など同社がスポンサーを務めるスキーヤーらの案内で日帰りのツーリングを行う企画で、他に25人ほどの参加者がいる。一行は荒れ果てたレストラン内で説明を受けた後(サンゾ氏からは「強風につき凍傷に注意」との警告があった)、ロープウェイの機械室の陰でクライミングスキンを取り付け、斜面をゆっくりと登り始めた。

スーパー・サン・ベルナールは標高1900メートル、アントルモン谷側壁のほぼ最高地点にあり、イタリアへの重要なルートであるグラン・サン・ベルナール峠にも近い。かつて3本あったリフトのうち一番長いリフトは、スイスとイタリアを隔てる標高2770メートルの尾根までを一気に上った。スキー場自体にはホテルが無いため、一行は前夜を6キロメートル離れたブール・サン・ピエール村のホテル、ビバーク・ナポレオンで過ごした。夕食のフォンデュの前には、スーパー・サン・ベルナールについてのショートムービーが上映された。ブラッククロウズは世界各地のゴーストリゾートについてシリーズで動画を制作しており、これはその最新作に当たる。

外部リンクへ移動

一体なぜ若く活気あるブランドが、スキーの歴史やインフラの老朽化、財政破綻といったテーマに接点を求めるのか。ありきたりのスキー動画に食いつかない層へのアプローチといった単純な動機もある。しかし、ブラッククロウズ共同設立者のカミーユ・ジャクー氏は「それに加え、私たちがスキーを単なるスポーツではなく1つの文化とみているからです」と強調する。「そしてその文化の大部分を担ったのが、1960年代や1970年代、1980年代にあったスキーブームでした」

過去への感傷

低地のスキー場の降雪量が不安定となるにつれ、高地のリゾートは混雑し物価も上がる。スキー愛好者の間には、もっとのんびりしていた時代を惜しみ懐かしむ空気が広がっている。ムービーを見て感情がたかぶったある参加者は、自分がいかにスーパー・サン・ベルナールを「遊び場」にスキーをして育ったかを語った。スーパー・サン・ベルナールでは例年14メートルほどの積雪がある。

スキー場の古い写真
スーパー・サン・ベルナール・スキー場(1963年) Photopress-Archiv / Str

その夜遅く、ホテルを所有するクロード・ラティオンさんが、1枚の古い白黒写真を筆者に見せてくれた。かつてスイスからイタリアへ峠を越えてタバコを運んだ密輸人たちの写真だ。ラティオンさんは、雪の上に置かれたタバコの箱の入った麻袋の横で休んでいる黒髪の若い女性を指差すと「私の義母なんです」と言った。

2002年、スキー場を所有・運営していた村が閉鎖を決定した時、ラティオンさんは村の参事会で反対の声を上げた。「『唯一の解決策は、君に1フランで売ることだ』と村長は言いました。私は30秒で決断しました。我ながらどうかしていましたよ」

ラティオンさんはその後8年、粉骨砕身した。「事業のパートナーを見つけ、私財も時間もつぎ込みました。貴重な経験でしたね。人間的な観点からは大きな収穫がありましたが、金銭面では散々でした」。リフトを交換するには2010年までに2500万フラン(約42億円)が必要だった。ラティオンさんはその資金を調達することができなかった。

ある種の抵抗

舞台を山に戻そう。我々一行は相変わらず強風にさらされ、谷では霧が渦を巻いている。周囲の峰々が作る地勢的条件により、暴風はゲレンデ方向に吹きつける。そのため晩春まで十分な雪が保証されるが、その一方で強風によるリフトの運休も起こりやすい(ラティオンさん曰く「これが私たちの最大の敵でした」)。

雪に埋もれたロープウェイ
雪に埋もれたロープウェイ(2011年) Keystone/Jean-Christophe Bott

耳元では風がうなり体力的にも精一杯な中、会話をすることは難しかった。そこで筆者は、スーパー・サン・ベルナールのような場所が放つ魅力について考えを巡らせた。大手企業所有のリゾートで行列に並ばされたり、クーロワール(岩溝)前で先客が自撮り棒の長さを調整し終えるのを待ったりすることが現代におけるスキーというものならば、プランBとしてゴーストリゾートに行くことは、楽しい代替案になるし、反抗心のようなものかもしれない。

根気強く前進を続けリフトの頂上に到達した一行は、風を避けて大きな岩の陰に逃げ込んだ。ここでようやくガイドたちから、下りのゴーサインが出た。我々は一斉に色とりどりのシュプールを描きながら猛スピードで滑降した。手付かずの雪と一抹のノスタルジアを楽しみながら。

Copyright The Financial Times Limited 2025

英語からの翻訳:フュレマン直美、校正:ムートゥ朋子

人気の記事

世界の読者と意見交換

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部