「永遠の妖精」 オードリー・ヘプバーン
映画女優のオードリー・ヘプバーン。エレガントな立ち居振る舞いとその微笑に魅了されたファンから「永遠の妖精」と呼ばれた。彼女はその生涯のうち30年の間、ローザンヌ近郊に住まいを構えていた。
ゴシップ記事のカメラマンのパパラッチたちから息子を匿うためにどうしても必要だった静かな生活。スイスのトロシュナ村にヘプバーンはそれを見出したのだった。
オードリー・ヘプバーン、本名エダ・ファン・ヘームストラ・ヘップバーン・ラストンは1929年ブリュッセルに生まれた。父は英国人の銀行家、母はオランダの男爵家出身で、裕福な家庭だった。しかし、父が家族を捨て家を出、さらに第二次世界大戦が勃発したことから、残された家族は貧しい生活を強いられることになった。幼いエダはその時「飢え」を知った。チューリップの球根を食べて飢えをしのいだというほど、当時ろくにものを食べられなかったことが、ヘプバーンの華奢な体を作ったともいわれている。「飢え」にはその後、ユニセフの親善大使として、貧困に苦しむ世界の子どもの援助活動をすることで、再びかかわりを持った。
貧しさから桧舞台へ
ヘプバーンは映画のロケで南仏モンテカルロに行ったとき、すでに80歳となっていた作家のシドニー・ガブリエル・コレットの目にとまり、ブロードウェーの喜劇「ジジ」の主役に抜擢されたことから、彼女の大女優としての道が開けた。
その後、ウィリアム・ワイラー監督の映画「ローマの休日」で少年のような王女の役をこなし、1954年のアカデミー賞の主演女優賞を受賞した。「麗しのサブリナ」(1954年)は、彼女の美しさが特に際立った映画だった。その後、「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディー」など多くの映画で主演した。彼女は恵まれた才能と持ち前の気品とエレガンスで次々と役をこなしていった。ファッションデザイナーのジバンシーも彼女の演技に花を添えた。
静かな場所を求めて
1950年から1960年の間、ヘプバーンの女優としての人生は最高潮で、何本もの映画に出演した。
1966年、静かな生活を求めて家族と共にローザンヌの近くにある小さな村、トロシェナに居を構えることにした。父親が家族を捨てて去っていくなど、不幸な環境の中で育った彼女にとっては、自分の家族がすべてだった。特に自分の息子にはなにひとつ不自由のない生活をさせようとした。
1966年には長男のショーンが小学校へ上がることで、撮影現場に連れては行けなくなり一緒に過ごす時間が少なくなることを嫌った彼女は、女優を一旦中断しようとした。それほど家族を思う彼女だったが、スイスで結婚した監督でもある夫のメル・フェラーの女性問題が発覚し、離婚に至る。ヘプバーンはこのため、うつ病に悩まされた。
女神としてそして一人の女性として
オードリー・ヘプバーンの息子、ショーン・フェラーが著した伝記には、映画界の女神としての彼女と、自分を捨てていった父への憧れを他の男性に愛として求める女性として、彼女の2つの姿が書かれている。
1968年、イタリア人の心理学者であったアンドレア・ドティに出会い、1年後にスイスで結婚した。二人の間に息子のルカが生まれたが、この結婚も失敗に終わった。1980年になってやっと彼女は、テレビスターのロバート・ウォルダースとの生活に安らぎを見出したのだった。
ショーンの伝記によると、母親としてのヘプバーンは謙虚な女性で、平和で安全なスイスが好きだったとある。彼女にとってスイスは、「普通の生活」ができる場所だったという。きらびやかなショービジネスから離れ、子供たちとゆったりと過ごし、パパラチに追いかけられる心配もなく、ショッピングを楽しめたからである。犬と散歩をしてトロシュナの村人とフランス語で井戸端会議もしたともいわれる。
貧しい子供たちの守護神として
国連児童基金(ユニセフ)親善大使としてヘプバーンは晩年の5年間、スーダン、エルサルバドル、ベトナム、エチオピア、ソマリアなどへ50回以上訪問した。
ヘプバーンは1993年に亡くなったが、息子たちと人生最後の伴侶だったロバート・ウォルダースは彼女の意志を次ぎ、「オードリー・ヘプバーン児童基金」を設立し、アフリカの学校建設計画のための募金をしている。
スイス国際放送 ラファエラ・ロッセロ 意訳 佐藤夕美 (さとうゆうみ)
1929年 ブリュッセル生まれ
1954年 「ローマの休日」で初主演 アカデミー賞主演女優賞を受賞
1966年 スイスへ移住
1993年 死亡
オードリー・ヘプバーンは英国人の父親とオランダ人の母親を持ち、ベルギーで生まれた。「ローマの休日」「サブリナ」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディー」などの主演で、有名になる。幼年時代は貧しく、2度離婚を経験し、うつ病に何度か悩まされた一方で、女優としては次々と成功を収めていく。30年間スイス、ローザンヌに近いトロシェナに住んだ。晩年には、ユニセフ親善大使として貧しい子どもたちを救うため全力を注いだ。 オードリー・ヘプバーン記念館は2002年10月から、遺族の意向により残念なことに閉鎖されたままである。
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