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LSDの生みの親、アルバート・ホフマン氏の死から10年

アルバート・ホフマン
Keystone

幻覚剤LSDの生みの親でスイス人化学者のアルバート(アルベルト)・ホフマン氏(享年102歳)が、2008年4月29日にバーゼル近郊の自宅で死去して間もなく10年になる。

(編集部注:この記事は2008年4月30日に配信された英語の記事を翻訳・編集したものです)

 LSDは極微量で幻覚や恍惚(こうこつ)状態が起こる。開発された当初は精神療法などに利用されていたが、1960年代にヒッピーらの間で乱用が広まり、世界各国で禁止された。しかしホフマン氏は一貫して、この薬物の医療効果を訴え続けた。

 1906年にチューリヒ近郊バーデンで生まれた。バーゼルの製薬会社サンドに勤めていた1938年、麦から抽出した菌類の医療効果を調べていたところ、LSDを発見した。

 1943年、ホフマン氏は最初の「被験者」になる。実験中、極微量のLSDが漏れ、手に付いたときのことだ。ホフマン氏は後に、会社のメモに「全てがゆがんだ鏡に映っているかのようだった」と書き残している。ホフマン氏はまた「自宅で横になると、別段不快でもない中毒のような状態に入り込んでいった。想像力がものすごく研ぎ澄まされていた」と振り返った。

カウンターカルチャー

 向精神薬の一つに過ぎなかったLSDが有名になったのは、1960年に一世を風靡(ふうび)したカウンターカルチャー(反体制文化)だ。

 LSDを世に広めた著名人の一人がハーバード大の心理学者、ティモシー・リアリー教授だ。リアリー氏は「turn on, tune in, drop out(スイッチを入れよ、波長を合わせよ、社会に背を向けよ)」というスローガンの下、LSDの活用を訴えた。リアリー氏は薬物法違反で収監されたが脱獄し、71年にスイスを訪れている。

 LSDがヒッピーたちの間で乱用が広まり、「バッド・トリップ」による強烈な副作用も知られるようになって、1960年代末には禁止薬物になった。

 しかしホフマン氏は精神障害者への治療効果はすでに証明されているなどとして、精神療法における医療効果を信じて疑わなかった。2001年にはスイスインフォのインタビューで「精神分析の一助として、医療関係者にLSD使用の許可が再び下りることを願っている。LSDがあれば患者を治せるからだ」と語っている。

研究

 ホフマン氏も長年、LSDを使用していた。研究目的ではなかったとの指摘も一部あるが、ホフマン氏はこの薬物の大量摂取には反対の立場だった。

 自らを「LSDの父」と呼ぶホフマン氏は、この薬物が悪用される危険があることは認めていた。79年の自著「LSD-mein sorgenkind外部リンク(仮訳「LSD 私の問題児」)」という題名からも分かる。

 ホフマン氏はLSDには中毒性がなく、医療研究に限り使用を認めるよう訴え続けた。その結果、スイス連邦政府は2007年12月、ステージが進行したがん患者や不治の病に冒された患者たちを対象とした精神療法の実験にLSDの使用を認めた。人間を被験者とする医療研究でLSDが使われたのは、過去35年間でこれが初めてのことだった。

政府が祝福  

 幻覚剤や麻薬の効用を学際的に研究する非営利団体MAPS外部リンクのリック・ドブリン代表は同団体のウェブサイトで、ホフマン氏と交わした会話を振り返った。同団体はホフマン氏の自著を再出版したことでも知られる。

 ドブリン代表は「(アルバートと私は)2008年3月のバーゼルでの会議の後、電話で話した。彼はとてもハッピーで、満たされた様子だった。1年半後、研究結果について議論するのを楽しみにしていると彼に伝えたら、彼は笑って、こちら側からも『あちら側』からも研究を手伝いますよ、と言った」と振り返った。

 スイスで最も著名なロックミュージシャンの一人、ポロ・ホーファー氏は、ホフマン氏とLSDが「至福の時間と忘れられない体験をくれた」と語った。1960年代のスイスでは、LSDはミュージシャンよりも芸術家や反体制派の人たちの間で人気があったという。ホーファー氏はスイスインフォの取材に「ホフマン氏やリアリー氏の本を読んで、幻覚体験に備えた。ホフマン氏がスイス人だと知ったのはそのときだ」と振り返った。

 2006年、ホフマン氏の満100歳の誕生日には、スイス連邦政府がじきじきにお祝いの言葉を送った。モリッツ・ロイエンベルガー連邦大統領は「人間の意識探求における第一人者」と功績をたたえた。

1906年1月11日、スイス・チューリヒ近郊のバーデンで生まれる。若い頃は自身を哲学者と呼んだ。

チューリヒ大で化学を学び、バーゼルの製薬会社サンドに長い間勤めた。サンドはその後、スイスの製薬大手ノバルティスと合併した。

著した記事、書籍は多数。代表的なのが「LSD-mein sorgenkind」だ。

2008年4月29日、バーゼルのフランス国境に近い自宅で死去。妻アニタさんと一緒に住んでいた。

リゼルグ酸ジエチルアミドの略称。開発時のリゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質だったことからLSD-25とも呼ばれる。化学合成のほか麦角菌などに含まれる麦角アルカノイドからも誘導される。

感覚や感情が研ぎ澄まされたり、変化したりする体験を引き起こす。「バッド・トリップ」するとパニック状態に陥ったり妄想に襲われたりする。

LSDは開発当初、精神療法に効果が認められたが、遊び目的で使うと精神に異常を来すことがある。

中毒性がない幻覚剤と見なされているが、ヒッピーたちの間で乱用が広まったことなどにより、1960年代に世界中で使用が禁止された。医療目的の使用も減った。サンドは1966年、LSDの製造を中止した。

(英語からの翻訳・宇田薫)

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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