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白髪になっても政治活動 「社会正義」を活力にするシニア

ディーター・ボイムリさん
ディーター・ボイムリさん。バーゼル市クリベック地区の自宅で。2024年12月撮影 Thomas Kern / swissinfo.ch

スイス北部バーゼル市在住のディーター・ボイムリさんは、1960年代末の学生運動をきっかけに政治活動に目覚めた。白い目で見られること、投獄されることさえあったが、今も抱き続ける「社会正義」への情熱は老後生活を支える活力となっている。

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ディーター・ボイムリさんは小さなリビングのソファに座って話をしてくれた。部屋は赤と黒をメインに調えられ、壁にはレーニン、ホー・チ・ミン、黒人解放運動で知られるアンジェラ・デイヴィスらのポートレートが掛かっている。カール・マルクスがプリントされた布地も飾られている。

コーヒーテーブルの上には、アルバニア出身の政治学者レア・イピの著書が置かれている。ボイムリさんはそれを手に取り、こう言った。「読むことがとにかく好きでね。文字が目に入ればどんなものでも読んでしまう。文学でも実用書でもニュースでも、何でもかまわないんだ」

ボイムリさんは1951年にバーゼル市で生まれた。今はクリベック地区にあるアパートの一室で暮らす。「ここ、バーゼル以外には住んだことがないんだ」。そう語るボイムリさんはどこか誇らしげだ。「中流といっても下のほう」の家庭に生まれ、3人きょうだいの末っ子として育った。兄と姉がいる。

「父は政治にとても興味があったが、家族の誰ともそういう話をまともにできなかったらしい」。ボイムリさんはそう言って笑った。「そういうわけで、父は私を相手に自分の政治観を語ることにしたんだ。私はそんな父に育てられたというわけさ」

あとどれくらい生きるのだろう。そもそも、何のために生きているのだろうーー。年齢を重ねるにつれ、人生の根源的な問いを強く意識するようになるものだ。連載「人生に生きがいを」では、日々を豊かに過ごそうとしているスイスの人々とその物語を紹介する。

父親の影響を受け、ディーター・ボイムリさんも政治や社会問題に興味を持つようになった。それ以来、社会正義の追求が生きる原動力となっている。

ボイムリさんは1967年にボーイスカウトの集会場で、当時米国のデトロイトで発生していたアフリカ系住民の反乱について展示を行なった。「自分が政治活動らしきことをしたのは、あれが最初だったんじゃないかな。米国で何が起きているのか、どれほどの不正義が横行しているのかをみんなに伝えたかったんだ」。この世にはなぜ理不尽なことがあるのか、どうすればそれを克服できるのか——ボイムリさんは物心ついたときからずっとそれを考え続けてきたという。

コーラの値段と世界革命

ボイムリさん曰く、学校生活は「特に問題はなかった」。しかし、運送会社での見習いの際に政治や政治団体を話題にすると、周囲から疎まれてしまった。

「当時、私は政治活動をしているということで、親方たちに反感を持たれていた。そのせいで、見習い期間終了後に私だけが採用されなかったんだ」

他の見習い生たちもボイムリさんの考えや訴えにほとんど耳を傾けなかった。「休憩所の自動販売機でコーラが1フランじゃなく50ラッペンで買えるようになったことにみんな喜んだが、それが世界革命とどう繋がるのかという話になると、場が白けてしまう」

ディーター・ボイムリさん
クリベック地区の共有スペースにあるガーデンブランコで。夏にはここでバーを開き、ボイムリさんがカウンターで接客することも Thomas Kern / SWI swissinfo.ch

結局、ボイムリさんはスイス進歩組織(POCH)に職を見つけた。68年運動の流れで結成された共産主義色の濃い政党で、党書記を約1年半務めた。「フルタイムで、さらに有給で政治活動に従事していたのはこの時期だけだったね」

月給は500スイスフラン(現在レートで約8万7000円)。「当時はそれでまったく問題なくやっていけた」という。その後、見習いの道に戻ったが、1991年の解散まで党員としての活動は続けた。

刑務所の中で政治談義

ボイムリさんはさまざまなプロジェクトに携わった。中でも、環境保護には特に力を入れていたという。1971年には道路建設計画に反対するため、生まれて初めて木の上に座り込んだ。「道路はいまだに通っていないが、木は今もちゃんと立っているよ」 

ボイムリさんは難民や庇護政策の分野でも積極的に行動した。時には社会的・政治的な抗議活動として建物や森林を占拠することもあった。反核運動、反戦運動にも取り組んできた。

1970年代初頭に、ボイムリさんは兵役を拒否したとして刑務所送りになった。刑期は6カ月だったが、裁判官に無礼な口をきいたとして1カ月延長された。

ボイムリさんがにやりとする。「あの頃は良心的兵役拒否に国が頭を抱えていたんだ。それで、オルテン市の刑務所に私たちを集めた。これで懲りるだろうってね」

しかし、政府の目論見は失敗した。「あそこに収容されていたのはみんな同志だったからね。私たちは半年間、みんなで政治談義や学習会をして過ごしたというわけさ!」

自転車を漕いで黒海まで

ボイムリさんが情熱を傾けてきたことがもうひとつある。旅だ。妻のクリスティーネ・シュトゥーダーさんと、ほぼ世界中を巡った。居を構えずに数カ月間旅行し、友人宅に滞在してはまた旅に出る。そんな生活を6年以上続けた。

ボイムリさんは寝室の壁に巨大な世界地図を飾っている。各大陸の至るところに小さなピンが刺さっている。

「最初はリュックサックを背負い、ヒッチハイクをしたり、電車やバスを使ったりして移動していた。私が年金生活に入ってからは、自転車旅行にチャレンジした。フィンランドまで走ったこともあれば、黒海まで漕いでいったこともある」

妻のクリスティーネ・シュトゥーダーさんとは70年代半ばに職場で知り合った。「出会って3カ月間はずっと敬語で話していたよ」と、ボイムリさんは振り返る。

2人とも旅が大好きで、考え方や価値観も似ていた。一緒にデモにも参加した。そして、1981年に結婚。翌年に男の子が誕生し、さらに次の年にも男の子が生まれた。

喪失も人生の一部

ディーター・ボイムリさん
Thomas Kern / SWI swissinfo.ch

クリスティーネ・シュトゥーダーさんは10年ほど前に病気で亡くなった。59歳だった。シュトゥーダーさんの話になると、いつもは饒舌なディーター・ボイムリさんがいくぶんトーンダウンする。歯切れが悪くなり、どこかためらいがちになる。

シュトゥーダーさんが亡くなった当時について、ボイムリさんはこう語る。「すべてが終わってしまったと思う一方で、仕方のないことなのだと思う自分がいた。喪失も人生の一部なのだと」。クリベック地区のアパートへ引っ越したのはその後だ。

アパートの玄関にはクリスティーネさんの写真が飾られている。ボイムリさんは写真に目をやりながら話した。「私たちは互いに欠かせない存在だった。私の人生において、彼女以外の人は考えられない。誰も代わりにはなれない」

とはいえ、妻の死後、ボイムリさんが1人さみしく暮らしているかというと、そうではない。まったくその反対だ。

鹿の角が光ったら、飲みにおいでの合図

家の近くを歩きながら、ボイムリさんは近所の人や友人について話をしてくれた。活動に使ってきた場所や何らかの「展開があった」場所、仲間たちと夏季限定で運営し、地域の人々が集う場にもなっているバーを教えてくれた。

オートバイ
共有スペースに置かれたオートバイ Thomas Kern / SWI swissinfo.ch

散歩後、アパートの庭で、ディーター・ボイムリさんは向かいの住人たちについて話してくれた。全員と友だちなのだそうだ。

「夏になると、彼らはなんとも派手なおもちゃの鹿の角を外に吊るすんだ。それが光ったら『みんな、ビールを飲みにおいで』という合図なんだよ」

政治活動も引き続き、ボイムリさんの生活に張りを与えてくれている。現在は「グラオアー・ブロック(白髪連合の意)」で活動しているのだという。メンバーは50歳から75歳まで約60人。これまでバーゼルで特定の団体に所属することなく、政治活動を行なってきた人たちだ。

「このグループの仲間であること、仲間として活動を続けることが、今の私にとっては何よりも大切なんだ。昔のような無茶はもうできないが、何かが動き出すときは自分もその場にいたい」。グラオアー・ブロックのメンバー全員がいい友人ということもあるしね、とボイムリさんは付け加えた。

一方、政治活動を始めた頃の同志はもう「誰1人として」残っていないという。亡くなった人もいる。議員となって「体制側に取り込まれてしまった」人も、活動から完全に手を引いた人もいる。

信念を曲げず、今も活動を続けられている理由は?との問いに、ボイムリさんはこう答えた。「それが正しいことだと信じているからだよ。不正を阻止しようと行動することに意味があると信じているし、すべての人がいい人生を送ることができると信じている。それだけのことさ。それに、いつも楽しかったからね。今もそうだよ」

編集:Marc Leutenegger、独語からの翻訳:吉田奈保子、校正:ムートゥ朋子

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