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6歳の6月6日に稽古始め

渋谷の能楽堂で地唄舞の「鐘ケ岬」、歌舞伎舞踊でいうところの「道成寺」の清姫を舞う。「西洋の踊り手は手足がすーっと伸びて、杉の木みたい。でも日本人は足でも丸みがある大根足で、体中が曲線でできていてそれが味があり、そこに着物という一枚の布がかかるとセクシーになると、踊りを教えていて思うようになりました」 ( 写真提供 : 菅原恵子さん )

ジュネーブの石造りの古い建物の戸を開けると、「鶴と亀とのー」という長唄の節が三味線の音とともに耳に飛び込んでくる。一瞬にして西洋の現代から日本の江戸時代に迷い込んだような錯覚。稽古場に入ると、着物を着て踊っているのがスイス人とあって、またびっくり。

だが、生徒をみつめる背筋がすっと伸びた美しい着物姿の女性は日本人。菅原恵子 ( すがわらけいこ ) 先生である。スイス人に日本舞踊を教える学校を創立して、今年で14年になる。

 お正月など、おめでたい席で披露される御祝儀もの「寿」。踊り手は鶴になったり、亀になったりと変幻自在で忙しい。一方、西洋のクラシックダンスでは、踊り手は時に人形になったりするが、一般的には人間のまま。日本舞踊では、扇子も時に、風、雪、花を、時に刀、槍などを象徴的に表す。こうした表現するものも、表現するやり方も根本的に違う日本舞踊をスイス人はどう理解するのだろうか?

swissinfo :日本舞踊をいつ、どうして始められたのですか?

菅原 : 6歳の6月6日に藤間流を習い始めました。この日に6歳でというのは東京下町の習慣で、芸が実をむすぶように縁起をかつぐのです。

始めた理由は生まれた土地柄のせい。下町はお稽古事がとても盛んな所で、母も常磐津、清元を習い、祖父も清元では素人の域を超えていました。それに、お花でもお茶でもお師匠さんが出稽古をしてくれる所で、家にいた女中さんも皆、なにか習い事を躾として、していましたね。特に下町の商売をしている家は。

私もそんな環境でお稽古事の一つとして始めました。もう一つの理由は健康な体作り。体が弱かったので、母がお茶、お花などお稽古事は体にいいと思っていたようです。でも、どれも嫌いで。特に日本舞踊は一番向かないと思っていましたね。

swiss info :本当ですか? では、途中でやめられたのですか?

菅原 : いいえ、24歳でジュネーブに来るまで、ずーっと続けていました。「下町の女の知恵」というのが昔からあって、「お稽古事は、亭主にはずれたら、それで生きていく手段」というのがありました。絶対にそれがありましたね。( 笑い )

swissinfo : では、「日本舞踊の学校」を将来創るようになる運命の町、ジュネーブにはなぜ来られたのですか?

菅原 : お稽古事ばかりしていて、働いたことがなかったので、母が結婚前に2年ぐらい外国に出れば、感じることがありいいのではと思って、フランス語の勉強にジュネーブに送ったのです。

でも、フランス語を始めるやいなや、ジュネーブの日本代表部に勤める主人と出会って、結婚。その後、子供が生まれても、各国の大使が集まる会などで踊っていました。そして、クラシックバレエの生徒たちに、日本舞踊の独特の動きを伝えるということで、2年ほど教えました。

今の自分の学校を創るきっかけは、歌舞伎役者、市川左団次の萩井流の家元がジュネーブで公演し、萩井流ジュネーブ支部を作りたいと言い出し、私に声がかかったからです。

swissinfo : 萩井流ジュネーブ支部から独立されて、今の学校を創立された理由は? またその後、どう考えが変わっていかれたのでしょうか?

菅原 : 教えていくうちに、本当の日本舞踊を、しかも外国人に教えることの意味を考え始めました。そして私流の学校を創りたいと思ったのです。

私の日本舞踊は古典舞踊です。日本舞踊とは、もともと藤間流、花柳流など全て、歌舞伎の踊りの部分を抜き取って、芸者さんなどが始めたもの。明治時代以降は普通の家庭の婦人などが習い事として始めますが。

それは、日本人の生活の中での動作を美しくしていったものですが、どうしてこういう形が生まれたのか、全部説明がついている。例えば、「とんとん」と足を踏むのも、華やかな音を出すというのではなく、地面にある邪気やなんかを全部呼び起こして、払うという意味がある。そうした基の意味をスイス人に教えていかないとと思ったのです。

また、形というものがあります。どういうふうにすると「女の形」になるのか。どういうふうにすると「男の形」になるのか。とにかく形を作れるよう、動ける体を作る基本練習が大切だと思うようになりました。

あと扇子。扇子は槍になったり、刀になったり、風、花になったり、そんな象徴的な使い方は日本舞踊以外にない。私たちにとっては、武士にとっての刀ぐらいの重い意味があるのです。

swissinfo : そうした象徴的意味も含めて、スイス人は理解できますか?

菅原 : 興味を持って分かりたいと願っているのは感じられます。

でも、子守や、座頭、芸者など知らないと踊れないところもあります。だから、日本にいったら、歌舞伎を見るよう、映画をみるよういつも言っています。

日本舞踊は総合芸術ですからね。着物の着付けも大切ですし、踊りを通して、歴史の勉強、言葉の勉強、文化の勉強をしているようなものです。弁慶、牛若丸なんて歴史を知らないと踊れないわけでしょう。

swissinfo : 今後の展望は?

菅原 : 33人いる生徒一人一人が、将来育ってヨーロッパ各地で、日本舞踊を教えていくように、日本文化を伝える「文化大使」になって欲しいと思っています。

この学校はヨーロッパで唯一の日本舞踊を教える学校です。そして、単に生徒を育てるだけでなく、日本の立派な舞踊家を呼ぶこともしてきました。こうしたことを理解し、日本文化の大切さ、学校の存在を認めてくれるようなスポンサーが欲しいと今思っています。

swissinfo、 聞き手 里信邦子 ( さとのぶ  くにこ ) 

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