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プレハブ住宅建築現場でダンピング検査

フィネルツの建築現場でドイツ人タイル工に質問し、ダンピング検査を行うヒルト氏 swissinfo.ch

スイスと欧州連合(EU)の間で人の移動の自由が認められてほぼ10年がたつ。スイスでは、賃金と社会保障のダンピングを防ぐために、関係者が種々の補助策に合意した。現在、検査官がその監視を行っている。

「こんにちは。2009年にも一度お会いしましたね」。ステファン・ヒルト氏は目の前のドイツ人タイル工2人に愛想よく挨拶したが、なれなれしさは感じられない。

 ベルン州、ビール湖畔の町フィネルツ(Vinelz)の建築現場。外国人の職人がプレハブ住宅の1階に暗色の板石を敷いている。

 背丈が2メートルもありそうな大柄のヒルト氏は、ベルン州労働市場検査局(AMKBE)の検査官だ。身分証明書を見せ、玄関口に置き場を作ってノートパソコンを載せた。これから、約3年前に行った検査で認められた不足をドイツの事業主が改めたかどうか再検査する。

昼食代と夕食代は15ユーロ

 IDカードを見て2人の身元を確かめた後、ヒルト氏はタイル工に質問を始めた。そして、マスキングされた画面に答えを打ち込んでいく。「スイスでの労働期間5日、時給は1人が14.70ユーロ(約1430円)、もう1人が14ユーロ(約1360円)、労働時間1日10時間、残業は清算される」

 質問は続く。「朝食込宿泊費は会社持ち。昼食代と夕食代として、それぞれ15ユーロ(約1500円)が支給される。休暇は年に30日。移動時間は、スイスの国境を超えた時点から労働時間として数えられる。賃金調整は雇用主が行う」

 「1日の必要経費がちょっと少な過ぎるようだ」。約15分後に車に戻ったヒルト氏はそう言う。

 これからドイツの事業主にも、法律で定められている賃金調整を本当に行っているのかどうかを確かめるため必要書類の提出を求める。報告書や書類は、管轄の職業における同権委員会(PK)に渡す。この委員会は雇用主と被雇用者の代表から成っており、派遣法に対する違反を認めると、勧告から罰金、派遣企業の営業禁止まで種々の制裁措置が下される。

中心部

 ヒルト氏は「派遣法遵守の検査が私たちの主な任務だ」と言う。大工頭として手に職をつけたヒルト氏は、建設現場で長年の経験を積んできた。検査官としても数年間の実績を積んでおり、労働法は熟知している。

 ベルン州労働市場検査局には、臨時検査長を務めるヒルト氏のほかに5人の検査官がいる。事務仕事も膨大だ。

 昨年、ヒルト氏のチームは3400件近くの派遣社員を検査した。そして、その約半数に違反の可能性が見つかった。ヒルト氏は自分の任務を、労働市場としてのスイスの保護に寄与する重要なものだと認識している。「検査を行うことで、公示_や発注の際の条件も等しくなる」と言い、「ここにいる私の子どもたちが、いずれ手につける職で生活していけるようになってほしい」と付け加える。

 検査を行わなければ、スイスの企業や建築主はすぐに外国、とりわけ東欧諸国でのリクルートにますます精を出すようになるだろう。「東欧諸国では賃金の地盤が揺らぐ一方だ。スイス企業に対しては、EU圏や欧州自由貿易連合(Efta)圏からの発注が増えている」とヒルト氏は説明する。

 派遣社員の労働条件は比較的簡単に検査することができる。彼らは外国の派遣元事業主の正社員であり、事業主は社員の派遣についてスイスの州当局に届け出なければならない。そのため、検査官は彼らがどこでどのくらいの期間働くかを正確に把握することが可能だ。

 難しいのは自営業としてスイスで働く外国人だ。偽装の証明には非常に手間がかかるため、偽装派遣は現在急増中だ。

16年間働いても

 ヒルト氏の次の検査先はリス(Lyss)近郊にあるスイスの建築会社。この会社は、ドイツの金属建造会社に建材の搬送装置の製作を依頼した。

 装置の組み立てを指揮したドイツ人機械工の時給は14.50ユーロ(約1400円)。3人の子どもを持つ45歳の機械工は、1996年からずっとこの会社に勤めている。

 スイスでは一般に1年間の賃金を13カ月分に分割し、月給として支給される。そして、12月には「13カ月目の月給」が支給される。しかし、この機械工には「13カ月目の月給」はない。ドイツで一般的なクリスマスボーナスがあるのみで、彼が受け取るのは500ユーロ(約4万9000円)だ。

 機械工は、会社が日常の業務に必要な経費を支払ってくれているのかどうか知らないと言う。だが、残業代が出ていることは知っている。

 検査官のヒルト氏は数分間で検査を終え、先ほどのタイル工の場合と同じ結論に達した。ドイツの金属建造会社に対し、経費規則の詳細と賃金調整の証明を求めるという。

受け入れにくい運命

 さて、話をフィネルツのタイル工に戻そう。ヒルト氏が2010年にベルン州ジュラ地方で検査を行ったリトアニア出身の木材建築作業員のグループに比べると、タイル工の彼らは1日分の経費こそ最低限ではあるものの、待遇はずいぶんましだ。リトアニア人たちの時給はなんとわずか2.50フラン(約200円)だったのだ。乏しい食糧も個人個人で持参していたという。

 「私は、妥当な賃金が支払われることは絶対にないことを知っている。彼らが気の毒だ」とヒルト氏は言う。一方、タイル工はスイスでの1週間にわたる委託作業で、通常より300ユーロ(約3万円)多い賃金を得、これで収入はほぼ倍増する。サッカーでは難しいが、少なくともタイル工の賃金ではスイス対ドイツは「2:1」なのだ。

賃金および社会保障のダンピングに対するスイスの補助策を回避しようと、社員を偽装自営業者に仕立ててスイスへ派遣する雇用主が外国で増加している。

このような偽装の証明は複雑だ。検査官は、自営業者が実際に複数の委託者と契約し、またパートタイム労働ではなく100%で働いていることを調べなければならない。

ヨハン・シュナイダー・アマン経済相はこの対策として、自営業者に課せられている書類提出の義務を強化する意向。

自営業者が検査官に十分な証明を提出できない場合は、罰金もしくは(一時的な)労働禁止が課せられる。

2010年にスイスで検査を受けた3500人の自営業者のうち、4分の1近くは偽装とみられている。

人の往来の自由は、スイスが欧州連合(EU)との間で交した2者間協定の中心の一つ。

多くの分野でみられるスイスの成功は、EU圏からの専門家や職人なしではほぼあり得なかった。

最近発表されたアンケート調査結果によると、対象となったスイスの中小企業501社の3分の2は人の往来の自由をチャンスとみている。リスクと考えているのは21%だった。

スイスの労働市場を賃金や社会保障のダンピングから守るための補助策は、労働組合の圧力によって立てられた。しかし、雇用主側もこれに同調した。

補助策の中心的要素は派遣法にあり、労働者に関する最低限度の要求が盛り込まれている。

州労働市場検査局の検査官は派遣法の遵守を監督する任務を負う。

連邦経済省経済管轄局(SECO)が検査官の賃金の半額を受け持ち、検査の目的を定める。

約3万6000社、約14万件の雇用を検査。前年比4割増(2011年の統計は今年5月に発表予定)。

包括的賃金契約が義務化されている分野では、およそ40%で賃金に関する違反が確認された(2009年は25%)。包括的賃金契約が義務付けられていない分野では8%(2009年は6%)。

2010年全体では14万7000人が届け出を義務付けられている短期就労者、いわゆる派遣従業員として登録された。うち5割がスイス企業で、また4割が外資企業で就労、残りの1割は自営業だった。

検査を受けた派遣元事業主の約12%と検査を受けた労働者の14%で賃金が低すぎる(ダンピング)状況が確認された。

スイス企業では6%にダンピングが認められた。

(出所:連邦経済省経済管轄局、SECO)

(独語からの翻訳、小山千早)

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