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スイス銀行の詐欺事件に巻き込まれたある夫婦の物語

ジュリアス・ベア
ジュリアス・ベアはスイス最古の民間銀行の1つ © Keystone / Christian Beutler

こんがり日焼けしビーチバッグを山ほど携えた夫婦が、ホテルのロビーに姿を現した。グレゴリーとヴェラ・ミルラス夫妻はほぼいつも、ここリヴィエラでさえも、約束の時刻前にやってくる――フランスのシックなリゾート地ジュアン・レ・パンで2人を抱擁し出迎えた若い友人は、こんな冗談を飛ばした。

猛暑に見舞われた9月、3人は町の広場を散歩し、ピネード公園を通り、お気に入りのレストラン「ル・ペロケ」で昼食をとった。夫婦はいつものように子羊肉を、友人はグリルした魚とロゼワインを注文した。和やかな雰囲気のなかで会話が弾み、思い出話や近況報告に花を咲かせた。

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FT

だがミルラス夫妻が自分たちの貯金について語り始めると、米ゴールドマン・サックスの銀行員である友人の顔色が変わった。何かが完全に間違っているように聞こえた、と友人は振り返る。「彼らのことが心配で昼食を残してしまった。そして何が起こったのかを解明するための会議を開こうと、スイスの銀行の知り合いに直接連絡を取った」

ミルラス夫妻はすぐに、自分たちの目の前で詐欺事件が起こっていたことに気づいた。被害者は自分たち、容疑者はスイスで最も著名な民間金融業者の1つ、ジュリアス・ベア銀行だ。それから4年経った今も、夫妻は資産を取り戻すべく法廷で闘っている。

2人の訴訟は決して特殊ケースではない。

安全な避難所?

秘密主義、根深い保守主義、硬直で融通の利かない制度。スイスを富裕層が安全に資産を保管できる「避難所」たらしめた特徴は、一歩間違えれば悪夢のような負債に一変しうる。銀行は撤回したり間違いを認めたりしない。弁護士も、スイスの法曹界に高い報酬を支払う銀行を敵に回すことはないだろう。そして規制当局は、行動を起こすには弱腰すぎる。

この記事に登場するミルラス夫妻は、本人らの要望により仮名を使っている。夫妻は結束の固いチューリヒ社交界で村八分になるのを恐れていると語った。チューリヒは銀行家に牛耳られ、それに批判的なよそ者は破壊者として爪弾きに合う可能性がある。刑事訴訟の被告に関するスイスの慣例に従い、フィナンシャル・タイムズ(FT)は詐欺で告発されたスイスの資産アドバイザー、ベンヤミン・G氏の本名も秘匿する。

グレゴリーとヴェラは、ソ連が崩壊する直前の1990年11月にソ連を去った。荷物はなく、持ち合わせはわずか495ドルの現金だった。グラスノスチ(情報公開)の名の下で移民法がリベラルに改正されすぐ、出国を決意した。

出国の動機は自由の欠如、経済的停滞、横行する偽善行為など、全てのソビエト国民が抱えている問題だった。だがユダヤ人であるミルラス夫妻に対する差別も出国理由の1つだった、と鉱山技師だったグレゴリーは語る。

明確な将来の展望もないままイスラエルに流れ着いた。その最初の晩に、海岸に出ようとして道に迷った。最悪のスタートを切ったように見えたが、それは幸運の始まりだった。コビ・リヒターとその妻、息子が乗った車が通りかかり、夫妻を送ってあげると申し出た。

リヒター一家との出会いは転機となる。グレゴリーは医療系スタートアップでステント(円管状の金具)開発の職に就いた。経験を生かせる仕事ではなかったが、新しい分野で腕を試そうとした。だが長続きはしなかった。法外な長時間労働を拒否したグレゴリーは解雇された。リヒターは起業するしかないと発破をかけた。2人はその年、Medinol(メディノール)を創業した。

グレゴリーが設計したステントは、当初自宅にあった木材を使って試作品を作っていた。やがて大成功し、今日に至るまで業界標準となっている。ミルラス夫婦(とリヒター家)は大富豪になった。

1998年の法改正で、イスラエル国民は合法的に外国銀行に預金できるようになった。ミルラス夫妻が築いた数百万単位の資産をどこに預けるべきか、その答えは明白だった。ソ連での人生において、人々はスイスとその銀行に特別なイメージを抱いていた、とグレゴリーは振り返る。スイスほど安全な場所はなかった。

ミルラス夫妻が初めてベンヤミン・Gに会った時、ベンヤミンは英ロイズ銀行スイス支店の銀行員だった。リヒター家の紹介で担当に就いたベンヤミンは、すぐに手腕を発揮した。ミルラス夫妻が涼しい気候のスイスに越して働けるよう、労働許可証を手配すると提案した。そして実行した。

2001年にベンヤミンはロイズを辞め、ジュリアス・ベアに移った。スイス最古の民間銀行の1つの同行は、当時はまだチューリヒのベア家が経営していた。ミルラス夫妻もジュリアス・ベアの顧客となった。

だがベアは急速な変化の最中だった。まもなくベア家は経営権を手放し、ジュリアス・ベアは株式ブームに乗ってスイス証券取引所に上場。世界中の新興富裕層とその資産を嗅ぎ回る昔ながらのスイス金融機関の筆頭へと化した。

大きなチャンスに満ちた時代だったが、落とし穴もあった。何十年も保守的な環境で育った銀行員への信頼の上に繁栄してきたスイスの金融機関は、いつの間にか若く貪欲な新参行員ばかりになっていた。

新種の仲介者

スイスでは銀行と顧客の間を取り持つ仲介業者が誕生した。当初、これにはれっきとした理由があった。スイスの銀行は富裕層顧客に市場で買い求めた商品ではなく、自社商品を売り込むことで点を稼ごうとしていた。時に不適切な商品を売りつけることもあった。このため、資産家は独立したアドバイザーと契約し、適切な銀行を通して投資したいと考えるようになった。だが実際には、市場は問題を抱えていた。

スイスのウェルスアドバイザーの多くは元銀行員だった。大口顧客を5人も引き抜けば、それまでのボーナスをはるかに上回る顧問料を稼げる計算だった。

さらに、顧客の資産の預け先を(昔の同僚が大勢いる)出身銀行に誘導すれば、古巣から手数料を受け取ることも可能だった。

このからくりはスイスのウェルスアドバイザー業界でほぼ制度化した。スイスでは「Retrocession(還元)」と呼ばれるようになった。

こうした「キックバック」は他の国の資産管理業界でも見られるが、スイスではより広範囲、より大規模に行われていた。そしてほんの2年前まで、極秘の仕組みだった。

2020年に発効した金融サービス法(FinSA)外部リンクにより、今ではこうしたキックバックの開示が義務付けられている。また金融顧問業を営むには規制官庁である連邦金融市場監督機構(FINMA)の許可を得る必要がある。それはほぼ無法地帯だった金融エコシステム(生態系)に初めて訪れた大変化だった。

FINMAはこれまでに、申請した1750社弱のうち950社に顧問業の許可を与えた。その管理資産は総額1750億フラン(約29兆円)に上る。

スイス資産管理業同盟(Alliance of Swiss Wealth Managers)の会長を務めるキャピタルYのニコール・クルティ最高経営責任者(CEO)は「新規制により、顧客の保護が手厚くなった」と指摘する。「新法ができる前は、富裕層お抱えの美容師ですら、ある日資産アドバイザーになると宣言し、実際なることができた」

「スイスの独立系ウェルスアドバイザーは今でこそKYC(本人確認)や取引検査、内部監査など銀行と同じ制約を受けているが、以前はそうではなかった」

クルティ氏はウェルスアドバイザーの数は今後も増え続けるとみる。伝統的銀行が利幅の薄いニッチ市場から撤退しているためだ。

一方、業界内には新法にさほど肯定的ではない向きもある。

スイス・イタリア両国籍を持つプライベートバンカーのガブリエレ・ガロッティ氏は米JPモルガンを退職後、顧問業許可を取得してアドバイザリーブティック「ノヴム」を設立した(ミルラス夫妻とは関係が無い)。30億フラン強を管理する同氏は、金融サービス法は歓迎すべき変化ではあるものの、ウェルスアドバイザーと顧客の利益が自動的に一致することには決してつながっていない、と語る。

ガロッティ氏はライセンスを得た同業他社で行われているスイスの現在の業界標準を真似れば、ノヴムは収益を3倍に増やせるはずだと皮肉る。顧客がカモにされていた事例は枚挙にいとまがない。例えば昨年9月、ある資産家がガロッティ氏のもとにやってきてこう尋ねた。「自分の資産はある著名資産運用アドバイザーが管理しているが、過去5年、相場が上昇基調にあるなかで2%も減ってしまったのはどうしてなのか?」

ガロッティ氏が調べてみたところ、その8カ月前に、資産の約3分の1にあたる6千万フランがある銀行の仕組み商品につぎ込まれていたことが判明した。取引総額は8カ月間で15億フラン。つまりアドバイザーが資産を大胆に運用し、自身と取引先銀行のために巨額の手数料を巻き上げていたわけだ。

ガロッティ氏は最近の話として、妙に運用成績の悪いシニア国際コンサルタントの例も持ち出した。ノヴムはその人物から、指数に連動して大きなリターンを期待できる仕組み商品を、高額な手数料で売りつけられていたことが分かった。その指数に連動するファンドでは銀行の「保管料」が配当金から差し引かれることも知らされていなかった。

3つ目の事例は、金融サービス法の限界を示すものだとガロッティ氏は語る。あるイタリアの裕福な家庭の1人が、ティチーノ州のウェルスアドバイザーを顧問に付けた口座をガロッティ氏に見せた。アドバイザーと契約した顧問料は年間2千ユーロ(約32万円)という微々たる額だった。だが契約書には、「アドバイザーが銀行から受け取るキックバックの報告を受ける権利を依頼主は完全に放棄する」旨が細かい字でびっしり書かれていた。

「アドバイザーと顧客の間には組織的な利益相反がある。金融知識に乏しい顧客や、資産状況を定期的に確認しない顧客、何を確認すればいいのか分からない人がいれば、それはアドバイザーが顧客を騙して手数料をむしり取るのに最適な状況であり、銀行も手を組んで便乗しない手はない」

2006年、グレゴリーは引退を決意した。リヒターにメディノール株を買い取ってもらい、グレゴリーは売却益の大部分を友人のベンヤミンに託した。グレゴリーとヴェラはジュリアス・ ベアに3800万ドルを預けた。

ベンヤミンは2010年、ベアを辞めて超低税率のシュヴィーツ州にある無名の資産運用アドバイザー共同体「Constanza」で独立する意向を夫妻に伝えた。事実上はベアの子会社になるとの話だった。

ミルラス夫妻は資産ごとベンヤミンに移管することを許した。ベンヤミンは10年間、自由に運用していた。

10年越しの裏切り

コートダジュールで会ってから1カ月後の2019年10月8日、ミルラス夫妻はゴールドマンの友人とジュリアス・ベアの豪華な本店に座っていた。内装は全面に磨き上げた木材が使われ、埋め込み型の照明が照らすなか、洗練された制服を着たスタッフが防音仕様の会議室を往来していた。

ベンヤミンはジュリアス・ベアを辞めてから何年も経っていたが、Constanzaでミルラス家の資産を管理するため同行を利用していた。ベアはカストディアン(資産管理)銀行として資産を保管する任務を負っていたが、資産がどこに投資され、どのように使われたかについては関知する権限がなかった。

ミルラス夫妻の担当者は、最新の口座詳細が記載されたファイルを提示した。

数分後、ミルラス夫妻が銀行に預けたと思っていた額と、実際に保有している額との間に大きな差があることが明らかになった。

その瞬間まで、ベンヤミンが夫妻の口座から巨額の金を自身に譲渡・貸与していたことを、夫婦は知らされていなかった。このことは後にベンヤミンに対して起こされた刑事訴訟や、警察の取り調べ中の自供で明らかにされている。

ジュリアス・ベアは、ベンヤミンが提出した委任状に従い、ベンヤミンが与えたすべての指示に従っていた。

ミルラス夫妻は衝撃を受けた。グレゴリーは一心不乱にメモを取っていた――そうすることで、自分たちが耳にしていることの重大さから逃避できるとでもいうように。

「ベンヤミンは私たちにとって息子のような存在だった」と夫婦は後に語った。週末を共に過ごし、お互いの家を訪れ合った。「ずっと利用されてきたと思うと、屈辱的でとても辛かった」とヴェラも悔しがる。

横領が始まったのは2009年、ベンヤミンがジュリアス・ベアの行員だった頃に遡る。だがその額が増えたのは独立してからだったとされる。2011年、Constanzaのパートナーになると決めたベンヤミンは、ミルラス夫妻の資産400万フランを原資にロシア人実業家から株を買い取った。

その後10年で、ベンヤミンが秘密裏に横領した資産額は約2200万フランに上るとミルラス夫妻はみている。ジュリアス・ベアの報告書類を資産が増えているかのように改ざんし、詳細を削除して夫妻に渡した。ジュリアス・ベアがベンヤミンだけに完全な報告書を送ることに同意していたのを悪用し、口座の全容を夫妻に知らせなかった。

ミルラス夫妻は、ベンヤミンがチューリヒの高級住宅街、湖畔の町ヘルリベルク郊外に購入した高級住宅の少なくとも一部は夫妻のお金で支払われたと主張している。また、イタリアの湖畔にあるアパートとヨットにも150万フランが流用されたという。

過去4年間、夫婦は盗まれたお金の一部を取り戻そうと努力してきたが、今のところ成果は出ていない。何よりもショックなのは、ジュリアス・ベアが起こったことに対して全く責任をとろうとしないことだ、と2人は憤る。

「彼らは、ベンヤミンが行ったすべての取引を見ていた」とグレゴリーは断言する。

ジュリアス・ベアはミルラス事件に関する質問に対し、個人顧客の問題についてコメントすることはないと回答した(スイスの法律では、コメントすることは刑事犯罪に当たる)。

今年初め、チューリヒ州検察は横領の罪でベンヤミンを起訴した。本記事が掲載される少し前の10月初旬、ベンヤミンは有罪判決を受け、禁固3年、服役18カ月、執行猶予18カ月を言い渡された。またミルラス夫妻に1300万フラン超を返済し、国に400万フランを支払うよう命じられた。

警察が法廷に提出した調書をFTが閲覧したところ、ベンヤミンは個人的な生活資金としてミルラス夫妻から金を受け取ったことを認めたが、返済するつもりだったと弁解していた。また自身が預かった数百万フランは、ミルラス夫妻が長年委託していた通り正当な投資を目的としたものだったとも述べた。

ベンヤミンの弁護人は控訴する方針だと話す。「被告は起訴内容を否認しており、どんな場合でも全力で争うつもりだ」。ベンヤミンが代理人として行った取引をミルラス夫妻は「認識しており、正式に知らされていた」と話した。

刑事訴訟と並行して、ミルラス夫妻はベンヤミンを民事裁判所にも提訴し、ジュリアス・ベアに対する損害賠償訴訟を起こしている。FINMAにも苦情を申し立て、コンプライアンス違反とマネーロンダリング(資金洗浄)を助長していないか同行を調査するよう求めた。FINMAは申し立てに応じるかどうかを明らかにしていない。

チューリヒにあるプライベートバンクに勤める上級弁護士の1人は、酷い事件ではあるが、決して目新しい事情ではないと話す。スイスでは、独立した資産管理業者が顧客から全権を与えられることが広く慣行となっているという。

「私たちの顧客の中には、権限のある代表者や財務アドバイザーに高級時計を買ってくるといった用事を頼む人が普通にいる。もし我々プライベートバンクが『いけません、そんなことはさせないでください』とでも言えば、一体なぜ私たちがそんなことで大騒ぎするのか尋ねてくるだろう。顧客は彼らにそうした権限を与えているのであって、合理的であるかないかを判断するのは私たちではない、と」

この弁護士はさらに、財務上のアドバイスや資産残高の管理権限を第三者に与える契約に顧客自身がサインしているのであれば、比較的少額の手数料しかもらっていないカストディ銀行がその監視に責任を負う必要はない、と指摘する。

ミルラス夫妻は10年以上ジュリアス・ベアに足を運んでおらず、6年以上報告書類を直接受け取っていないと自認している。夫妻は資産に何が起こっているのか一度も確認しなかったのだ。それは夫妻がベンヤミンの活動に正当性があるとみている証左とみなし、ジュリアス・ベアは黙認していた。

警察のコンプライアンス

金融サービス法に対しては、スイスにとって大きな前進だと評価する声がある。だがFINMAがどの程度コンプライアンスを取り締まれるか不透明だとの批判もある。FINMAはある声明で、ウェルスアドバイザーのライセンス審査や監視のために「人員を大幅に増やした」と述べた。

だが繰り返されるコンプライアンス違反に対する責任は、少なくとも最初の段階ではFINMAにない。代わりに5つの業界組織に「監督組織」の地位が与えられ、全てのウェルスアドバイザーはいずれかに登録が義務付けられている。業界のメンバーで構成され、業界から報酬を受けとる業界団体だ。

FINMAは「監督はいわゆる監督組織が責任を負う。これらの監督組織があらゆる監督手段を講じても成果を得られない場合、FINMAが集中的監督と執行に責任を負う」と説明している。

これに対して、業界の性善説に基づいたシステムで悪用されやすいとの批判が出ている。「問題は、常に『黒い羊(厄介者)』が存在するということだ」とある投資アドバイザーは語る。スイスの顧問業を守るのに必死なこの人物は、「最終的には、顧客が自身に課された宿題をきちんとやるかどうかという問題だ」と話した。

「それが役に立つかと言えば、間違いなく役に立つ」。ガロッティ氏はこう反論する。「だがそれで終点なのかといえば、間違いなくそうではない。悲しいことだが、もう一度大きなスキャンダル、大きな金融危機がない限り、適切な変化は訪れないだろう」

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