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コミック文化を支える補助金制度、スイスでスタート

Thomas Ott in his Studio
トーマス・オットさんのチューリヒのアトリエ。仕事が波に乗ると朝方までここで過ごすこともあるという Thomas Kern/swissinfo.ch

活気にあふれネットワーキングも盛んなスイスのコミック業界。その担い手であるコミック作家らをダイレクトに支援しようと、昨年4月、新たな制作補助金制度がスタートした。今年初めにはプロジェクト10点が選ばれ、それぞれに2万フラン(約236万円)が支給された。選考は今後、毎年行われる予定だ。「9番目の芸術」とも称されるコミックの存在が、ようやく認められつつある。

クラウディオ・バランドゥンさんにとってこの新制度は、「コミックが独立した媒体であるという認識」の高まりを裏付けるものだ。バランドゥンさんは昨年から、ドイツ語圏におけるインディペンデント・コミックの草分け的な出版社であるエディツィオン・モデルネ外部リンクに、共同経営者として参画している。何よりもまずコミックファンだというバランドゥンさんは、コミックという媒体のために役立つことなら何でも歓迎したいと考えている。

フランス語話者の間で「9番目の芸術」とも呼ばれるコミックアートは、直接的な財政支援に関しては、他の芸術ジャンルのはざまでどちらとも付かない扱いを受けてきた。「文学支援用の財源からコミックの制作活動に補助金が回ってくることも何度かあったが、絵でストーリーをつづるコミックには、文学とは違うスキルやトレーニングが必要だ。それと同じくビジュアルアートの分野にもフィットしない。コミックは絵が主体とはいえストーリー性が強いからだ。いろんな面で他のアートシーンとの違いが大きすぎる」(バランドゥンさん)。とはいえ、コミックに対する評価は変わってきている。たとえ、これまで取り上げられてきたのが主に新聞の文化面であっても、多くの人にとって「コミックの世界は『アステリックス』や『ラッキー・ルーク』だけで終わってしまう」としても、だ。

この新しい補助金制度外部リンクを発足させたプロ・ヘルヴェティア文化財団は、これまでにもフェスティバルや著者サイン会、翻訳、出版への補助金といった形でコミック界に支援を行ってきた。しかし、新制度の導入で、今後は特定プロジェクトの制作資金を作家に直接支給できるようになる。swissinfo.chは、今回同財団に選ばれた10人外部リンクのうち、ファニー・ヴォーシェさん外部リンクトーマス・オットさん外部リンクの2人にインタビューした。

「補助金レースへの参加は、ロトくじを買うようなもの。審査員の顔ぶれは?競争相手は誰?結局選ばれなかったとしても、自分の作品がだめだからではない」。そう話すトーマス・オットさんは、1987年にチューリヒ造形学校を卒業後、コミック一筋に仕事をしてきた。今やスイスのコミック界を代表する顔に数えられる。

オットさんは、かなり前から新しいプロジェクトのための資金探しを続けている。「今取り組んでいるのは、約300ページという正真正銘の大作だ」。 作品にホラー要素を加味するのが好きなオットさんは、物語が不幸な結末を迎えるのを好む。「だが、年齢を重ねるにつれ、自分の作品は確実に繊細さや心理的色合いを増してきた。最新作のテーマは、一言で言うと『自分探し』だ」

オットさんは、プロ・ヘルヴェティア文化財団から制作補助金の支給を受ける前、2年間も資金の調達に奔走したが、うまくいかなかった。「プロジェクトの性格や質が理由かもしれないが、自分の年齢や、業界内での地位が一応高いせいもあるかもしれない。『オットはルイ・ヴィトンの依頼で本を作ったし、ギャラリーを経営してコレクターにイラストを売ることもできる。お金は必要ないだろう』と思っている人が多いのではないか」

オットさんは、お金について話をするのは大事だと考える。「例えばルイ・ヴィトンの仕事では、前金で4万フランを受け取った。こんなことはめったにない。当時、もし予定通り7カ月以内に本を納品していれば、まとまった額のお金を手にしていただろう。しかし、実際には、自分の理想通りに仕上げるのに2年もかかってしまった」

オットさんは、コミック制作の傍ら10年にわたりチューリヒ芸術大学(ZHdK)で教鞭を執り、そのあいだ子育てもした。「満足だった。家族、職、自分の仕事があり、ある意味安定していた。しかし、子供たちが大きくなり再び自由が訪れたのを機に、大学を辞める決心をした」。 当時は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の「第1波」が襲う直前で、こうした決断に最適なタイミングではなかったとオットさんは付け加える。しかし、心配はしていない。「定期的な収入に慣れてしまうのは、創造性という点ではマイナス。アーティストとしては多少のプレッシャーを抱えていた方が良い。そうでないと、停滞し、安楽を求めるようになる。少なくとも私の場合はそうだ」

山積みの資料
トーマス・オットさんのアトリエの倉庫には、これまでの仕事の成果が山積みされている Thomas Kern/swissinfo.ch

なお、プロ・ヘルヴェティア文化財団は、以前も旅行費用の肩代わりといった形でオットさんをサポートしている。「例えばアルゼンチンで開催されるコミックフェスティバルに招待された場合、主催者側がプロ・ヘルヴェティアに連絡を取って旅費の援助を依頼する。ブエノスアイレスのフェスティバル運営にはそのためのお金が無いからだ。そのおかげで、私は現地に渡航することができる。一種、スイスの文化外交官のようなものだ」

自由か安定か

ファニー・ヴォーシェさんはペンとインクを使って絵を描き、水彩絵の具で彩色するという、伝統的スタイルで作品を制作する。その画風はオットさんに比べ、軽やかで明るい。オットさんがスクレーパーボードの黒い面を引っ掻く画法を使う一方、ヴォーシェさんは真っ白な紙からスタートする。

ファニー・ヴォーシェさん
ファニー・ヴォーシェさん。ドゥレモン・コミックフェスティバルにて Daniel Caccin pour Delémont’ BD 2019

ヴォーシェさんは、ローザンヌ大学で文学の修士号を取得後、ジュネーブに移り応用芸術大学でコミックとイラストレーションを学んだ。絵を描き文章をつづることが好きなヴォーシェさんにとって、この進路変更はごく自然なものだった。コミック特有の物語の伝え方に引き付けられた。

ヴォーシェさんは2年と少し前、ジャーナリストのエリック・ビュルナンさんの原作「Le Siècle d’Emma(仮訳:エマの世紀)」を元に、あるスイス人一家の20世紀における生活を描くコミックを制作した。1900年生まれのエマの目を通し、スイスの政治や社会の出来事を描いたこの歴史コミックは、2020年のドゥレモン・コミックフェスティバルで「スイス・コミック最優秀賞」を獲得した。

ヴォーシェさんは、3年前に編集者のアルバイトを辞めて以来、コミックとイラストで生計を立てている。その収入は、受注仕事の報酬の他、複数の財団からの奨励金が大部分を占めている。主なクライアントは美術館、図書館、メディア、公的イベント組織などの機関で、大手企業からの純粋に商業的な仕事の依頼は断っている。

「『エマの世紀』のように本の売れ行きが良ければ、年収は数千フランほどアップする。しかし、この仕事に2年近く歳月を費やしたことを考えれば、決して多い金額ではない」。 ヴォーシェさんの平均月収は奨励金を含めても2千フラン強に過ぎず、生活は質素にならざるを得ない。「快適さよりも自由を選んだ」と話すヴォーシェさんだが、さすがに今置かれている状況は厳しい。「自分の仕事や活動のスタイルは、国が提供する救済措置に合わないようだ。コロナ禍の所得補償は認められなかった」

プロ・ヘルヴェティアから得た制作補助金も、こうした状況を大幅に改善するには至らないだろう。「このお金で日々の生活費をまかなうことはできる。しかし、現時点で支払われるのは総額の半分、つまり1万フランだけで、残りは作品が完成して出版社に引き渡された時点で受け取ることになっている。そう考えると、プロジェクトが1年近くかかる割には大した金額とはいえない」。ヴォーシェさんはこの補助金を「応援やサポートの印であって、制作費用をカバーするものではない」と捉えている。

彼女にとってコミックは、スイスの文化遺産の1つでもある。「収集や展示、保存と同じように出版も推進するべきだ。コミックはジュネーブ市民のロドルフ・テプフェール(風刺画家ヴォルフガング・アダム・テプフェールの息子)によってスイスで発明された、と主張しながら、業界支援に力を入れないというのは、意味を成さない」

スイスのコミックシーンには3つの柱が存在する。その1つ、今年で40周年を迎える「エディツィオン・モデルネ」は、ドイツ語のコミックやグラフィックノベルの出版社で、その影響力は国外にも及ぶ。

「シュトラパーツィン」はチューリヒで発行されている季刊コミック誌。主に独立系コミック作家に発表の場を提供している。2018年、チューリヒ市から文学分野で文化賞を授与された。

「フメット」は、スイスのコミックフェスティバル。毎年ルツェルンで開催されるこのイベントは、欧州でも最も重要な国際コミックフェスティバルの1つに成長した。

(独語からの翻訳・フュレマン直美)

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