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スイスのチーズ職人

2002年、北朝鮮でチーズの作り方を教えた。左から、運転手、キルヒマイヤーさん、通訳、コーディネーター ( 写真 :キルヒマイヤーさん提供 )

スイスといえばチーズ。チーズはどのような人たちによって作られているのか。酪農が盛んなトゥールガウ州ヴェンギ村のチーズ職人マルクス・キルヒマイヤーさん ( 40歳 )を訪ねた。

国内外で今、人気上昇中のアッペンツェルチーズはアッペンツェル地方の生産だけでは需要に追いつけない。ザンクトガレン州やトゥールガウ州のキルヒマイヤーさんの働くチーズ組合でも作られている。

きつい仕事

 早朝4時、キルヒマイヤーさんは起きる。歩いて5分もかからないチーズ工場での仕事は4時半からだ。ここで、真夜中の12時から働いている同僚と合流する。工場は3交代で24時間操業。朝だけ仕事をする日は12時で終業となるが、1日中働く日は午後2時から6時までと11時間の労働となる。週末も農家がミルクを運んでくるので、工場は休めない。2週間に1度は週末当番が回ってくる。
「乳業関係の労働時間は法律で週50時間まで認められているから、うちの工場は46時間を理想としているけれど、それ以上になることもしばしば」
 とキルヒマイヤーさん。仕事が大変なことを訴える。

 時間の束縛だけではない。チーズ1個ならさほど重いわけではないが、扱う個数が半端ではない。キルヒマイヤーさんの働くチーズ組合の工場は、組合としてはスイスでも比較的大手。毎日360個のチーズが生産されている。固いコンクリートの床の上、長靴を履いて働く。何度もチーズを持ち上げるので「関節がボロボロになってしまう」。しかも、室温は発酵のため12度から13度と低いのが体には良くない。

 きつい職業を選んだのは、家が酪農をやっていたことと、親友の父親がチーズ職人で、親友もチーズ作りを学んだからだ。19歳で職業訓練を終えベルン州で仕事を始めた。20歳の兵学校を終えてからすぐ「英語ぐらいできなくちゃ」と3カ月間イギリスで英語を勉強した。その後、これまでに職場を変えること5回。チーズ職人としては普通な方だ。
「一口にチーズと言うがいろいろ。エメンタールのようなハードチーズ、アッペンツェルのようなセミハード、カマンベールのような白カビで覆われたチーズ。それぞれ違う作り方を学ぶには、いろいろなところで働かないとだめなんだ」

 今は大分機械化された。しかしその分、増産のプレッシャーがかかる。精神的なストレスが多くなった。専門学校の同僚16人のうち、今でもチーズ職人をしているのはキルヒマイヤーさんを含めて3人だけ。
「もう一度チーズ職人になるかと聞かれたら、ならないと答えるなあ」
と言う。

北朝鮮でチーズ作り

 1995年にはチーズ職人のマスターの資格を取った。その後、今働くヴェンギ( Wängi ) 村のチーズ組合工場で働いたが、工場のトップが引退してキルヒマイヤーさんも転職。大企業では労働力を節約するために、チーズのことを知らない外国人が多く雇われ、キルヒマイヤーさんの仕事はますますきつくなった。いったん休憩が必要となったキルヒマイヤーさんは兄弟が経営する大工工房の手伝いをすることにした。

 そんな時、チューリヒにあるキリスト教系人道援助団体「キリストのためのカンプス ( Campus für Christus ) ( 以後カンプス ) 」から、北朝鮮でのチーズ作りの講師を頼まれた。キルヒマイヤーさんは緊急に必要とされ、ビザは3週間もしないうちに発行されたという。異例なことだった。こうして2002年4月から約3カ月間、北朝鮮での人道援助活動に参加することになった。

 カンプスは1995年から、北朝鮮政府の要請を受け農業技術の面で援助活動を繰り広げていた。まずヤギを国外から持ち込み、その飼育と飼料の栽培技術を現地に広め、ヤギの乳でヨーグルトやチーズを作るようになっていた。キルヒマイヤーさんが指導したのは2002年までに6カ所のチーズ工場を建設する計画だった。

 「その当時は大工をしていて。土地の人に良いことができるならと思って。そうでなければ絶対に行くような所ではありません。珍しい経験ができるなら、とも思ったことは確かです」
キルヒマイヤーさんの北朝鮮での4カ月間の援助活動は「問題だけしかなかった。毎日が戦いだった」と言う。チーズ工場の外に掘った井戸から水を通すためのホースが「平壌中、探してもない」。結局ドイツ大使館から譲ってもらった。キルヒマイヤーさんのチーズ作りの説明は、通訳を通しコーディネーターに、それから村長を通し作業員に伝わるという長いプロセス。そこで、通訳を通し直接作業員に教えることができるようにと主張した。

 「ヨーロッパだったら直接話すのが普通。あの時は、そうしなければ何も話さないと頑張ったんです。時々、頑張ることは必要です」
 指導を受けた人たちはチーズ作りをほとんど知らなかったが、非常に興味を持って話を聞いたという。現地の人が感謝の心を持って接してくれ、やる気にさせてくれたので続けられた。しかし、事務手続きで無意味に流れていく時間。決めたことがすぐ覆される会議。「多くのお金と時間が、不必要に浮上する問題の解決に使われる。当時の日記には、もうスイスに帰りたいと書いてあります」
 カンプスの援助は2006年に打ち切りとなった。「わたしのしたことが、どのような成果をもたらしたのか。今は知る由もない」

10カ月間連続満点

 現在スイスの酪農家はミルク価格の下落にあえぐ。チーズ職人のキルヒマイヤーさんも、給料削減の圧力があり失業への不安もあるが「わたしたちはまだましな方」。自由貿易が進めば、中小のチーズ工場は大手に合併されていくと見ている。大手で働くようになったとしても、職場環境が大して変わることはないのだ。

 「チーズ職人としての誇り? そりゃあるよ。珍しい職業だと思うしね。金属工場で働くのとはわけが違う」
チーズ作りには自然との対話が重要だ。農家が運んでくるミルクも季節ごとに性質が違う。牧草、飼料、干し草といった牛が食べた物によって影響される。酵素の扱いも温度に左右される。こうしたことを熟知しているのが本当のチーズ職人だという。

 チーズはその出来によって値段が決まる。0.25ポイントごとに最高は20ポイント。キルヒマイヤーさんが作ったアッペンツェルチーズは連続10カ月間20ポイントを出し続けた。
「その時は、季節ごとに変わるミルクの性質にもっと注意してみたり、衛生管理を徹底するように努力したり。ともかくチーズの質を良くしようと頑張ったものさ」

佐藤夕美 ( さとうゆうみ ) 、ヴェンギ ( トゥールガウ州 ) にて、swissinfo.ch

スイスのチーズ ( スイス農業情報のサイトから)

年間生産量16万トン。うち半分は輸出される。主な輸出先はイタリア、フランス、ドイツ。チーズ製造所は約1000軒ある。
スイスには約450種類のチーズがある。大まかにフレッシュ、ソフト、セミハード、ハード、ハイハードと分かれる。1キログラムのチーズを作るために約10リットルのミルクが使われる。スイスのチーズの3分の2はフレッシュミルクから作られる。たんぱく質を成分とする酵素と乳酸菌を入れることで発酵させチーズとなる。乳酸菌の種類によってチーズの違いを出す。

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アッペンツェルチーズ

セミハードチーズ。約70軒の製造所で作られている。アッペンッツェル地方のほか、ザンクトガレン州、トゥールガウ州で合計年間生産量は1万トン。サイロの発酵飼料を与えられた牛のミルクは使われない。
センティス ( Sentis ) 山の農家がフレッシュミルクから作ったというアッペンツェルチーズの最古の記録は700年前にさかのぼる。3か月間の発酵期間を経て完成するが、数百年も引き継がれているレシピは門外不出。

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