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デュレンマット生誕100周年「女性に男性のような思考は必要ない」②

1970年9月、チューリヒの劇場でリハーサルをするフリードリヒ・デュレンマット(右) Keystone / Str

フリードリヒ・デュレンマットは若くして「老婦人の訪問」「物理学者たち」を世に送り出し、瞬く間に世界的な評判と知名度を手にする。そこに不安はあったのか。

このコンテンツは 2021/01/06 06:00
Sven Michaelsen, Tages Anzeiger

フリードリヒ・デュレンマットの生誕100周年を記念し、DAS MAGAZIN誌に掲載された同インタビュー・モンタージュ記事の第2話です。第1話はこちら

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Das Magazin:あなたの最初の戯曲は26歳の時に初演されました。「老婦人の訪問」は35歳の時。「物理学者たち」の初演後に名声は絶頂を極め、41歳でドイツの週刊誌シュピーゲルやシュテルンの表紙を飾りました。その年齢で現代の古典になったことに喜びを感じましたか。それとも持ち上げられてばかりでは才能が駄目になってしまうかもしれないという不安を感じましたか?

デュレンマット:名声には抵抗しなければならない。堕落させ、気力を奪うものだから。名声を得た人はそれを手放したくないばかりに常に期待に応えなければならなくなる。名声は解放しない。名声は奴隷にするのです。

Das Magazin:80年代末までにあなたの本は2千万部を売り上げました。1950年、破産がきっかけで書き始めた推理小説のおかげでもあります。あなたの代表作「判事と死刑執行人」は元々スイスドイツ語圏の週刊誌シュバイツァリッシェ・ベオバハターに8回に分けて掲載されたものです。

デュレンマット:私は苦しい時も含め常に貴族のように暮らしていました。それで執筆依頼を受ける形で「判事と死刑執行人」と「疑惑」という推理小説を書くことになったんです。報酬は前者が1千フラン(約11万6000円)、後者が2千フランでした。

Das Magazin:「塔の建設」であなたは最初の夫人の死と出棺を描きました。「葬儀社の2人の男、背の高い太った男と背の低い痩せた男は安っぽい喜劇映画から飛び出してきたかのようで、私は『ローレル&ハーディ』を思い出した。2人は四苦八苦しながら階段で棺桶を下ろした。棺桶は逆さになったり立ち上がったりした」。こうした悲劇の最中にもあなたはグロテスクな要素を見いだしています。

デュレンマット:実際グロテスクだったのです。人は家について、誰かが死んで下に運ぶことになったらどうなるかなど考えもしない。階段はとても狭く、棺桶を運ぶことはできない。そこにさっそく異化効果(独劇作家ブレヒトの演劇論用語で、日常見慣れたものを未知の異様なものに見せる効果)が生まれる。物語を最後まで考え抜いたと言えるのは、考えうる最悪の展開が起こった時です。

Das Magazin:喜劇と悲劇の違いは何ですか?

デュレンマット:悲劇は世界に当たって砕ける。喜劇は跳ね返されて尻餅をつき、笑われる。

Das Magazin:60年代半ばに作品の一つが酷評された時に、あなたはこんな粋な一文を公表しました。「自作についての批評を読んだ後、私は批評を読まないことに決めた」

デュレンマット:評論家は最悪の観客です。だから評論家なのです。演劇というものは1つのイベント。イベントは体験するものであり、厳密には体験と批評を同時に行うことはできません。演劇批評家には4つの階級があり、一つ目は書くことも批評することもできない、二つ目は書くことはできるが批評することはできない、三つ目は書くことはできないが批評はできる、四つ目になってようやく批評することも書くこともできる。一つ目の階級の人数が最も多く、二つ目は有名人が多い。四つ目の人々は演劇をまあまあ理解している批評家です。第3の階級には誰もいない。純粋に仮定の話です。

Das Magazin:批評家よりも嫌いなものが小説だそうですね。

デュレンマット:小説は死ぬほど退屈です。同業者が書いたものを読まずに済む時はほっとします。自分の小説だって自分で書いたから読むに過ぎない。校正作業を始める前にうんざりしています。丁寧に読み込む私にとって小説はいつも長すぎるのです。ほとんどの場合それで自分自身の世界に戻ってしまい、途中で挫折してしまう。

Das Magazin:どんな本を読みますか?

デュレンマット:ほぼ科学と哲学の本だけ。世界を変えるのは政治でも芸術でもなく、科学です。今最も重要なのは自然科学的な文化です。故意に科学的に盲目でいるような作家を私は理解できない。純粋に私的な体験に引きこもっていると、あまりに多くのものを見逃してしまう。

Das Magazin:あなたにとって子供は本より大切ですか?

デュレンマット:いや、子供が欲しくてたまらなかったのは妻です。女性が子供を持ちたいという気持ちの強さは信じられないほど。女性にとって子供は男よりもずっと大切な存在です。男にとって子供はどこまでも抽象的です。

Das Magazin:出産には付き添いましたか?

デュレンマット:付き添いました。ある生き物が別の生き物から出てくる様はとてつもなくグロテスクでひどくシュールでした。女性はこれを決してそんな風には経験できない。女性側の経験は痛みや一種の怒りを伴う。男の方はそれを気違いじみたものとして体験するのです。

Das Magazin:父親になって誇らしかったですか?

デュレンマット:そう、途方もなく。初めて子供を持った人は誇大妄想的になるものです。

Das Magazin:あなたが「システィーナ礼拝堂」と呼ぶ自宅のトイレは、天井と壁の隅々まで絵が描かれています。貯水槽の上では裸の少女が脚を広げ、天井からはギョロ目の覗き魔が見つめています。あなたが描いたのですか?

デュレンマット:壁は元々剥き出しで、私は今の時代フレスコ画が無いのはなぜだろうと思いました。私たちは引きこもる場所を持たない。自分用の礼拝室も無い。唯一の場所はトイレです。それで、冗談のつもりでやったのです。

Das Magazin:トイレで本を読みますか?

デュレンマット:読みません。でも、トイレではたくさんアイデアが湧きます。それも「排泄(はいせつ)」です。昔、トイレは血を抜いたり、浣腸をしたりするのに使われました。トイレには何か瞑想的なものがある。私はよく、トイレの壁画家を生業にすべきではないかと考えたりしました。

Das Magazin:あなたはベルトルト・ブレヒト以来、最も重要なドイツ語劇作家とされていますが、70年代以降は主に批判の対象になりました。

デュレンマット:そんなことはどうでも良い。ベートーベンを見てみなさい。第五交響曲の後、評判は地に落ち、最後は馬鹿も同然に扱われていたんです。

Das Magazin:あなたの魂はどれほど暗いのですか?

デュレンマット:私は実はとても明るい人間です。面白いことやユーモアが大好きです。だが、人は元々暗いものです。

Das Magazin:第三者を犠牲にするような笑いは別にして、よくユーモアを発揮する方だと思いますか?

デュレンマット:私は主にユーモアでできています。

Das Magazin:1人の時でもユーモラスですか?

デュレンマット:そんな時はなおさら。

Das Magazin:ユーモアは諦めからしか生まれないのですか?

デュレンマット:いや、ユーモアは距離から生まれます。ユーモアは賢さの仮面。仮面をつけない賢さは容赦がなさすぎる。

Das Magazin:ユーモアがあるから耐えられるものとは?

デュレンマット:笑うしかない、ユーモアでしか耐えられないような痛みを私は知っています。

Das Magazin:年齢と共にユーモアは変化しますか?

デュレンマット:ますます深まる。年を取るほど人は喜劇となります。

Das Magazin:それは自己防衛のため?迫りくる死に絶望を感じるから?

デュレンマット:ああ、絶望に対する自己防衛!私にとって絶望というのはロマンチックすぎる言葉です。頭に弾丸をぶち込んだ場合のみ私は絶望を受け入れます。私は時々とてつもない疲れを感じるけれど、それは絶望ではない。疲れの理由も知っています。一生病気と戦っていると、時にはひどく疲れるのです。ここで言ってしまって構わないから言いますが、私は重度の糖尿病患者です。糖尿は不治の病であり、死と向き合わざるを得ない。

Das Magazin:あなたは25歳の時糖尿病にかかりました。どのような疲れがあるのですか?

デュレンマット:山に登って疲れた時に使える言葉はあるけれど、糖尿病患者の疲れを表す言葉はない。だから今に至るまでどう表現すべきか解決しないままです。ベースとしてそこにあるのに突然消える―― そして、また戻ってきた時にショックを受ける。慢性的な疲れに効くのは文章を書くことだけ。病気でなかったら物書きになっていなかったかもしれません。

Das Magazin:血糖値が危険域に入るとどうなるのですか?

デュレンマット:ニューヨーク行きの機内で低血糖になったことがありますが、完全にハイな状態になって記憶を失います。後になって妻が私の行動を全て教えてくれました。操縦室に押し入り、注射で落ち着かせようとした医者たちを壁に叩きつけたんです。私は食べることも飲むことも好きです。しかし、自分の思い通りには決して生きられない。この糖尿病は私にとっておそらく大きな、必要なブレーキなのでしょう。このブレーキがなかったら、とうの昔に健康を害して死んでいたはずです。

Das Magazin:1949年、あなたの戯曲「ロムルス大帝」のバーゼル公演にベルトルト・ブレヒトがやって来て、あなたと食事を共にしました。

デュレンマット:ブレヒトはとても優しく、私はシャイでした。彼と話したのは葉巻のことばかり。とても良いハバナを持っていたので彼に勧めましたが、彼はブラジルしか吸わないと言いました。ブラジルの方がずっと強いのだ、と。それに対して私が一番強い葉巻はハバナでブラジルは軽いと言ったもので、彼はびっくりし他の人も巻き込む騒ぎになりました。彼はまったく同意しなかったんです。彼にとってそれは世界観の崩壊だったのです。ブレヒトの劇に出てくる強い男たちはいつもブラジルを吸っています。ショックのあまり、彼は他のことは何も話そうとしませんでした。

Das Magazin:サミュエル・ベケットとはどうでしたか?

デュレンマット:一度彼を訪問したことがあります。パリは溶鉱炉のような暑さでした。延々と続くタクシーの旅。肌着1枚の運転手の汗臭さ。ベケットは親しげに、慎重に我々を迎え入れました。私たちはフランス語で話をしましたが、暑さのために会話は盛り上がらりませんでした。彼はドイツ語ができたが私はそれを知りませんでした。私のフランス語は彼を面白がらせたようでした。最も印象的だったのは彼の窓から眺める刑務所界のルーブルとも言えるサンテ牢獄の景色で、この禁欲主義のアイルランド人が書く戯曲がなぜ荒涼さを増すのかを知りました。私が思うに、彼は「ゴドーを待ちながら」という素晴らしい戯曲を書きました。他はその繰り返しです。

Das Magazin:ジャン・ポール・サルトルは?

デュレンマット:サルトルとは一緒にモスクワに行ったことがありますが、私たちはいつも酔っ払っていました。彼とシモーヌ・ド・ボーヴォワールは夜中、レインコートの下に水のグラスとウォッカを隠して私の部屋に来ました。楽しかったですよ。お互いまったく分かり合えませんでしたが。サルトルはいつも真剣に物事にのめり込みました。全くユーモアに欠けた人間でした。私が仲良くなったのはソーントン・ワイルダーだけ。酔っぱらった彼に肩を叩かれた人間はみな倒れてしまいましたよ。

Das Magazin:マックス・フリッシュとあなたは40年代半ばに知り合いました。彼も生きる銅像です。

デュレンマット:我々は一時期スイスの文芸界においてカストルとポルックスのような双子の星でした。彼は私が本気で相手にした唯一の存命作家です。非常に面白かったのは、彼が私に話したことが、その後ほぼ一字一句そのままに彼の作品に出て来たこと。それは私とはあまりにも対照的でした。

Das Magazin:フリッシュの何を尊敬していますか?

デュレンマット:彼が自分自身を本題と捉えている点だ。これは彼の正直な点です。私の場合、それとは逆にすべてにフィルターがかかって見える。私が経験したことはすべて一旦闇の中に沈み、戻ってくる時は完全に異質な存在になっていて、私がその中に自分を再発見するのにはかなり時間がかかります。

Das Magazin:友情のための懸命の努力、繊細過ぎるがための不協和音、激しいけんか、屈辱の末の何年もの音信不通。あなたとフリッシュの関係が見事なメロドラマと化した理由は?

デュレンマット:ああ、彼はとても傷つきやすくて、とてつもなく敏感で、自分と自分の問題にかかりっきりです。良いやつですが、時々ひどいものを書く。失敗の多い奇妙な作家です。自分が気に食わないのは、例えば「モントーク」のように小説の中にもある嘘。彼はこれを自伝的作品と呼びます。でも、彼を個人的に知る人は首を横に振るだけです。全然事実ではない。彼は今までの全ての女性を私に紹介し、もし浮気したら神よ、呪いたまえと誓いました。まったくグロテスクなことです。こういった恋愛のロマンチシズムは私には全く異質なもので、こんな途方もない自虐は私には無理です。こんな問題は現在の世界が抱える困難の前には笑止千万でしかない。現実逃避だ。個人的問題は自分で処理すればよい。自己陶酔には興味がありません。

Das Magazin:我々の人生は政治でなく個人的な出来事に左右されるのでしょうか?

デュレンマット:もちろんです。だからこそ、生まれながらのノーベル賞受賞者、フリッシュの方が私よりおそらく10倍は重要とされるのです。彼は個人の次元で生きていて、その作品は読者が共感しやすい。彼は知識人を魅了する。彼らは自分たちが持っている、あるいは持たなければならないと思っている問題を彼の作品中に見いだす。夫婦問題、社会問題、アイデンティティの問題などです。一方、私は自分のことにそれほど興味がない。自分の個人的な問題は誰にもかかわりのないことです。

Das Magazin:あなたが日記をつけないのはそのためですか?

デュレンマット:記憶にとっては忘れることが一番大切です。忘却は記憶のフィルターです。日記は時を固定し、忘却の邪魔をする。忘れることのできない人はコンピューターに似て、事実をため込み続ける。そんな人生は耐え難いものになるでしょう。すべての記憶の後ろには別の記憶がつながっている。忘れることによってのみ、時に耐えることや、柔軟な形での追想が可能になります。

Das Magazin:フリッシュはあなたについて次のように書いています。「私たちは早くから、違うタイプであることに気がついていた。それぞれが互いの影だった。2人ともそのことにうんざりしていた。やっかいなことに、デュレンマットは相手にユーモアがないと決めつける。彼は相手を笑うが、相手と一緒に笑うことはほとんどない。彼は相手にジョークで勝つ。軽んじられる人に特有の強迫観念でもあるかのように、彼は勝たねばならない。相手が既に知っていることは彼にとって魅力がない。彼は一歩先んじていなければならないのだ。何も思いつくことがなければ、彼はその場にいないも同然だ。もし今も友情が続いていれば、電話して『お前は最低だ!』と言ってやるだろう。そうしたら、彼は『その時は酔っ払ってたんだ』と言うだろう。だが、今はホッとしている。私は解放された。友情は消えてしまった」

デュレンマット:私たちの決別は最初から必然だったのでしょう。互いに傷つけあい、それぞれに傷あとが残りました。

Das Magazin:あなたは自分自身の友人ですか?

デュレンマット:自分の敵ではないのは確かです。問題は「自分を愛しているか」ということ。自分のことを笑わざるを得ない時は、自分自身との間にも距離がある。

Das Magazin:フリッシュは自身をアルコール依存症だと言っています。あなたは大酒飲みで、時に客にシャトー・ラフィット・ロートシルトや1875年物のポイヤックを振る舞うこともある贅沢な酒飲みでもあり、ボトルが空になりかける瞬間を100年物のコニャックで祝ったりもします。

デュレンマット:私はいつも最高級の葉巻を吸い、あなたも今見たように、いつも最高級のワインを飲みます。アルコール依存症傾向で縮んだ分の寿命は散歩に行くなどして取り返しています。

Das Magazin:スイスとの関係は、あなたよりフリッシュの方がこじれているようです。

デュレンマット:フリッシュはスイスに苦しめられています。敵対関係にあるのだが、それが彼の場合怪談じみてきている。数年前にゴールドコーストと呼ばれるチューリヒ湖の右岸にある彼の家を訪ねた時、彼は隣の屋敷を指して「あそこには私の敵が住んでいる」と言いました。

Das Magazin:警察はあなたを10年以上スパイし監視していました。国に対し怒りを感じますか?

デュレンマット:私はスイスに苦しめられてはいない。面白い国だと思っています。カール・クラウスとウィーンの関係に似て、私は都市には機能してほしいと思っている。のんびりするのは自分自身で十分できる。「スイス人に生まれるのは素晴らしい。スイス人として死ぬのも素晴らしい。しかし、その間に一体何をするのだ?」という古い名言がある。私のスイス流の答えは「その間は仕事で浪費する」です。

(続く)

(独語からの翻訳・フュレマン直美)

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