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マルティニとバーニュ谷での小休暇 第二話

セント・バーナード博物館。セント・バーナード犬のかつての役割や活躍についての展示と、犬の養育場がある。館内には売店、レストランがあり、暖かい日はテラスでの食事も可能。 swissinfo.ch

バーニュ谷への起点・マルティニ滞在二日目。夫と次女は再び金管楽器ソロコンクールを聴きにル・シャーブル(Le Châble)村に行った。一方、私と長女は前日も乗った「サン・ベルナール・エクスプレス(SAINT-BERNARD EXPRESS)に乗り、一駅目「マルティニ・ブール(Martigny-Bourg)」で降りた。この無人駅から徒歩で、マルティニを代表する2つの博物館に行ける。1つはジアナダ財団(Fondation Gianadda)、もう1つが、この日、訪れたセントバーナード博物館(Musée et Chiens du Saint Bernard)である。

 セントバーナード博物館のすぐ傍には、ガロ・ロマン時代の遺跡や円形闘技場がある。マルティニはガロ・ロマン時代の名前を「オクトドゥルス(Octodurus)」という。紀元前57年から56年にかけてのガリア戦争では、この町でローマ軍対土着民ウェラグリ族の攻防戦が繰り広げられた。ウェラグリ族は近隣住民のセドゥニ族やナントゥアテス族と協力してローマ軍を奇襲し、苦しめた。この地方が完全にローマに屈したのはそれから40年もの時を経てからであった。

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 紀元47年頃、ローマ皇帝クラウディウスの支配下で都市(Forum Claudii Vallensium、クラウディウスの谷のフォーラム=公共広場)が、ここに建設され、交通・商業の要所として栄えた。現在のマルティニ市の中心部から南部にかけて、当時の遺跡が数多く発掘されている。貴重な遺跡は柵で囲んだり立ち入り禁止にしなければならないのではと、つい気になってしまうが、この町では、遺跡群は団地街の一角だったり道路脇だったり、人が自由に歩けるところにあることも多い。アイススケート場の地下やマンションの地下にある遺跡はフェンスで囲まれているが、マルティニ市観光局主催の見学ツアーで訪れることができる。

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 まず、見学自由の円形闘技場に入ってみた。2世紀初期の建造で、皇帝トラヤヌスの時代のものと言われている。小規模だが、よく保存されている。現在はスイス連邦の所有となり、野外映画祭などのイベントに使用されている。闘技場の傍には森林沿いに小道が延びており、散歩に最適である。その脇に流れる小川も当時の水路である。幹線道路を挟んで向かい側には、「ポエニナエ街道(Voie poenine)」と名付けられた石畳と建物跡がある。この遺跡も自由に訪れることができる。石を踏みしめながら、今から2000年も前にヨーロッパを縦断する旅人や商人がこの上を行き交っていたのかと思うと、感無量であった。

 古代世界に思いを馳せた後は、スイスを代表する犬-セントバーナード犬に会いに、博物館に入った。ここでは、セント・バーナード犬に関する歴史が学べると同時に、犬の飼育場が見学できる。係員に申し出れば、犬を柵から出してもらい、撫でたりその場で遊んだりすることができる。戸外での犬との散歩は夏の間、受け付けているそうなので、博物館に問い合わせしてみるとよい。

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 建物の1階に受付、ブティック、レストランがある。犬の飼育場と庭の見学は、受付で建物全体の展示見学チケットを購入した後にできる。セント・バーナード犬と、マルティニとイタリアのアオスタ(Aosta)を結ぶグラン・サン・ベルナール峠にまつわる展示は2階にある。

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 セント・バーナードという犬種は元からあるわけではなく、ローマ軍が遠征中にアルプス付近に置いていった犬が独自の発達を遂げ、姿形が変わっていったらしい。この軍用犬はアルペン・マスティフという種として作出され、後々のセント・バーナードの原種となった。

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 アルペン・マスティフは、17世紀ぐらいから、グラン・サン・ベルナール峠のホスピスで飼われ、番犬や雪山遭難救助犬として活躍し始めた。現在の役割とは違い、元々、ホスピスは中世ヨーロッパで修道院が作った巡礼者の宿泊施設であった。また、病や怪我などで旅人がすぐに旅立てない場合は看護にあたり、病院の役割もした。当時の犬の活躍は数々の絵画に残され、この博物館に多く展示されている。犬の名前の由来は、この峠からきている。

 峠の名前は、アオスタ大聖堂の助祭長ベルナール・ド・マントンの功績にちなんで名付けられた。古来より多くの商人や巡礼者がこの峠を行き交ったが、山賊の出没や悪天候、雪崩などにより遭難者が数多く出ていた。1050年、ベルナールは峠の山頂(2469m)に遭難者の救助をも目的としたホスピスを建設し、人々に宿泊と食事を提供した。後に、ベルナールは1681年に教皇インノケンティウス11世によって聖人に列せられた。このホスピスは、現在でも登山者向けの救護・宿泊施設として機能している。

 博物館には、グラン・サン・ベルナール峠を通ったと言われる古今の有名人が紹介されている。このうち、近世で最も有名な人物はナポレオン・ボナパルトであろう。ナポレオンは1800年、イタリア遠征のため4万人の軍勢を率いてこの峠を越えた。また、それよりはるか昔にも、カルタゴの将軍・ハンニバルが紀元前217年に軍象を連れてアルプス越えをしてこの峠を通ったと伝えられている。図体の大きな象を連れた苦難の峠越えの様子は絵画にも残されているが、物資調達の借用証をホスピスに残していったナポレオンと違って何の歴史的根拠もなく、史実とは異なっている可能性が大きいというのが、この博物館の見解である

 3階は、特別展示場である。私が訪れた2013年4月は、「芸術の中のアルミニウム」がテーマだった。(この展示は2013年5月末まで)アルミニウムがどのように開発され、商品化され、さらには芸術分野で利用されるようになっていったかが分かる、興味深い展示であった。

 展示をすべて見た後は、1階に降り、レストランで昼食を取った。軽食から量たっぷりの本格的メニューまで色々な料理がある。週末なのでランチメニューはなかったが、私はこの日のお薦め料理・魚と野菜のホイル焼きを食べた。スイスにしてはあっさりとした味付けで、魚や野菜の旨みが封じ込められ美味であった。このレストランでは、天候が良ければ庭に出て食事ができる。

 前日に続き、この日もあいにくの寒空であったが、古代ロマン探訪に加えて可愛らしくもたくましいセント・バーナード犬との初対面を果たし、中身の濃いマルティニ滞在となった。

マルキ明子

大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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