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ローマ帝国の息吹がスイスでよみがえる

毎年恒例の「ローマ祭」で戦う剣闘士

(Keystone)

スイス最大の古代ローマ都市、アウグスタ・ラウリカ(Augusta Raurica)の遺跡。今年は発掘されてから、50周年にあたる記念の年だ。当地では、様々な特別プログラムが催されている。

この遺跡は、ローマ帝国がライン川流域に建設した最古の植民地で、現在はバーゼルから足を伸ばせばすぐの所にある。古代ローマ人がそぞろ歩いたであろうこの土地も、今では年間14万人の観光客でにぎわう。何しろ当時のローマ人の生活が垣間見れる趣向がいっぱいなのだ

 遺跡に残る貯蔵庫には銀食器があふれ、博物館には考古学上、非常に重要な品々が陳列されている。知恵の女神、ミネルヴァ(ギリシャ名アテネ)の胸像もその1つだ。

一大国際都市

 この地域は紀元前44年、カエサルの部下ムナティウス・プランクス将軍率いるローマ軍に屈服してローマ帝国の植民地となった。ローマ帝国にとっては、ガリア帝国の占領に続いて、ライン川流域も支配下に置くための要塞が必要だったのだ。

 立地条件の良さから、アウグスタ・ラウリカは軍事都市からすぐに貿易都市へ発展していった。最初にローマ帝国が建設してからたった数十年の月日しか流れていないというのに、軍事目的の植民地は、世界でも有数の国際商業都市に変貌した。要塞の役目を果たしていた軍事設備は消え、代わりに交通の便を考えた幅広い道が網の目のように張り巡らされた。

 その道を行きかう人々や品物は、なんと北は英国、南はアフリカ、西はイベリア半島、東はアジアまで、と交易範囲は非常に国際的だった。

平和な共同体

 「アウグスタ・ラウリカは植民地が見事にローマ化した好例でした。統治する何千人のローマ人と当時この地に住んでいたケルト人が平和的に暮らしていました」と遺跡の広報担当、カリン・コブさんは語る。

 「ローマ人は素晴らしい設備や新しい思想、エンターテイメントを持ち込んで、ここに住んでいたケルト人の生活を一変させました。贅沢な邸宅、野外円形劇場、公共浴場、市場、旅館、舗装道路、上下水道、床下暖房など、ローマ人がここに持ち込んだものは数え切れないほどです」

 「ローマ人は貿易・運輸システムも整えました。また食材についても、オリーブオイルやワインが地中海からやってきました。それまでケルト人が見たこともなかった魚介類や果物、野菜などが何千キロも遠くから運ばれてきました」

夢のあと

 このようなローマの豊かな繁栄は、後に侵略してきた「野蛮な」ドイツ語を話すゲルマン系民族が土をかけて埋めてしまったおかげで、かなり近代になるまで存在が知られていなかった。コブさんによると、当時アウグスタ・ラウリカは最低でも2万人の人が住んでいたらしい。今ではたった800人しか住んでいない。

 しかし、大掛かりな発掘事業のおかげで、ローマ時代の遺跡は息を吹き返した。年間に訪れる14万人の観光客のうち、1万5000人は8月に催される「ローマ祭り」を目当てにやってくる。

 「ローマ祭り」では、ローマ時代を彷彿とさせるサーカスや剣闘士の見世物、古代2輪馬車に乗った勇士のレースや音楽、踊りなどが観光客を楽しませる。こうして、「ローマ人の人生の楽しみ方」をじっくりと味わうことができるのだ。

Swissinfo、アルマンド・モンベーリ 遊佐弘美(ゆさひろみ)意訳

キーワード

バーゼルに近いアウグスタ・ラウリカは、ローマ帝国がライン川流域に建設した最古の植民地。
観光客は年間14万人。
今年は遺跡が発掘されてから50周年。

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補足情報

-アウグスタ・ラウリカは紀元前44年にローマ帝国によって作られた。

-数十年で国際商業都市となり社会システムが整備された。

-「ローマ祭り」では、ローマ時代を彷彿とさせる催しで観光客を楽しませる。

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