「伝統芸術とフランシス・ベーコン」展

展覧会の質の高さで定評のある、バーゼルのバイエラー財団美術館が英国人画家、フランシス・ベーコン(1909-1992)の回顧展を開催中。型にはまらないベーコンの作風のように回顧展も意表をつく展示になっている。
展覧会はベーコンの作品約40点余りと共にベーコンが影響を受けた美術史上の同数の傑作を展示。スイスで初めてのベーコンの回顧展というだけでなく、彼が影響を受けた巨匠たち、ティツィアーノ、ベラスケス、レンブラント、アングルやピカソなど世界中から集められた第一級の作品が見られる。
展覧会の見所
このユニークな展示の醍醐味はベーコンがインスピレーションを受けた巨匠の作品を直接、対比できるだけでなくベーコンがその変容に使った写真や映画など材料(資料)も展示され、画家の思考の過程が理解できる。バイエラー財団美術館、美術史家フィリップ・ビュットネール氏は「ベーコンは直接モデルから描くことはなく、必ず伝統芸術をもとに描いた。巨匠の絵を基にビジュアルなショックを与え、伝統を自分の時代の表現にした」と語る。例えば、ベラスケスが描いた数々の肖像画ではベラスケスが宮廷画家として見せることが出来なかった人物の残酷さなどを表現しているという。
また、フランス人監督、コラルニク氏による「英国人画家フランシス・ベーコン」という映画ドキュメンタリーを見ると、恐怖や悲惨なイメージの作品と正反対のベーコンの暖かく陽気な性格に驚く。
叫ぶ教皇シリーズ
ベーコンと言えば、歪んだ自画像や叫ぶ教皇シリーズ、または巨大な3枚組みの作品(トリプティック)を思い浮かべる人が多い。何故ベーコンは「教皇」のイメージにこだわったのかについて、キュレイターのバーバラ・シュテファン氏は「ベラスケスの描く教皇の後光に魅惑され、宗教的に最高地位にある人物が苦悩する姿を表現した理由はベーコンの人生を探れば分かる」という。ベーコンは16歳で同性愛を自覚して以来、父親に受け入れてもらえず、ダブリンの家を出た。美術史家のビュットネール氏も「父性的な存在への反抗の現れ」としてもとらえられるという。
ここでも、彼の有名なトリプティックである「三つの肖像画—故ジョージ・ダイア像、自画像、ルシアン・フロイト像」(1973年)や自殺した彼の恋人をモデルにした「トリプティック—1972年8月」などが鑑賞できる。巨匠の作品としてはレンブラントの自画像やベラスケスの傑作、「青いドレスの王女マルガリータ」(1659年)、ティツィアーノの「パウロ三世の肖像」(1546年)などがスイスで初めて見られるのも嬉しい。
バイエラー財団美術館
バイエラー財団美術館は画商エルンスト・バイエラーが自身のコレクションを財団化し、1997年に美術館として開館した。ドイツ国境に近い、緑豊なリーエンに建てられた美術館は関西国際空港ターミナル・ビルの設計者で有名なレンゾ・ピアノが手掛けた。周囲の自然と調和の取れた、光を十分に取り入れた展示室と彫刻の溢れる庭は美術鑑賞にピッタリの環境だ。常設コレクションはピカソ、ジャコメッティーやカンディンスキーなどモダンアートが主でバイエラーが画廊時代からどれほど先見の目があったのか驚かされる。バイエラー画廊が開いた個展は美術界でもカタログの素晴らしさで有名だったが現在も、欧州ではバイエラー財団美術館の開く展示のためにバーゼルを訪れる人も多いほどの評価を得ている。
スイス国際放送、 屋山明乃(ややまあけの)
<ベーコンの経歴>
– 1909年、アイルランドのダブリンで英国人家庭に生まれる。父親は競馬調教師。
– 1925年、同性愛を認めない父親と折り合いが悪くなりロンドンに移住。インテリアデザインの仕事に就くがピカソの展覧会を見て画家になる決心をする。
– 1934年、ロンドンで初めての個展を開くが不成功。
– 1945年、「磔刑のもとにいる人物のための習作」で話題になる。
– 以降、数々の展覧会で成功を収めた後、1992年友人を訪ねたスペインで死去。享受83歳。

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