農作業を手伝う修道女。1942年
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通関士。1942年
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農作業。1942年
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戦争中はあらゆる人が労働力として駆り出され、子供もその例外ではなかった。1942年
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道路工事の作業員。1942年
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水肥を運ぶ農民。1942年
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1945年に撮影された「最後のリヒテンシュタイン兵士」。リヒテンシュタイン侯国にて
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侯爵フランツ・ヨセフ2世の埋葬式に、伝統衣装を着て参列する女性たち。1939年5月29日、ファドゥーツ
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1978年8月15日の夜、フランツ・ヨセフ2世の侯爵在任40周年を祝い花火を上げるファドゥーツ城
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リヒテンシュタイン侯国では第二次世界大戦中に新しい産業が誕生し、戦後の国の姿をがらりと変えた。貧しい農業国から工業・サービス立国に変身したのだ。
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Photopressarchiv/Keystone(写真)&Ester Unterfinger (写真編集)
工業化の波によって金属・機械工業が花開いた。それを受けて、多くのリヒテンシュタイン国民は農民から機械工に職を変えた。1950年代には金融産業が大きく発展し、金融業界で働く人の数は10倍に膨らんだ。
債務ゼロの小国
リヒテンシュタインに現在暮らす3万8千人の国民のうち、サービス産業に属する人が最も多い。工業・商業に従事する人は38%と、スイスの25%よりも高い。国内市場は小さく、多くの産業は国外市場に輸出される。リヒテンシュタインは現在、一人当たり国内総生産(GDP)が最も高く、公的債務がゼロの5カ国のうちの一つだ。
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スイスの仲良しお隣さん、リヒテンシュタイン 誕生から300年
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300年前の今日、誕生したリヒテンシュタイン侯国。また今年は、スイスがリヒテンシュタインの領事を代表するとの合意を結んだ1919年から100周年を迎える。この間、二国間では密接な関係が築かれた。今ではリヒテンシュタインをスイスの州の一つと勘違いするスイス人さえいる。その仲良しぶりをご紹介しよう。
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(独語からの翻訳・ムートゥ朋子)
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