「資産95億円超の相続に課税」は妥当? スイス国民投票を解説
スイスでは11月30日、超富裕層に相続税を導入するかどうかが国民投票にかけられる。提案者らは、増えた税収を気候変動対策に充てるとして支持を訴えるが「富裕層が国外に流れ、かえって税収が減る」との反論も。ポイントを整理した。
30日に国民投票にかけられるイニシアチブ(国民発議)の正式名称は「社会的な気候政策を目指して~課税を通じた公平な資金調達(未来のためのイニシアチブ)」。名称には相続税の語はない。
だが人々が議論するとき、たいてい「相続税イニシアチブ」と呼んでいる。実際は、非常に大きな資産に対する相続税の導入が提案の柱だからだ。
イニシアチブ(国民発議)はスイスの直接民主制の根幹を成す制度の1つで、10万人分の署名を18カ月以内に集めれば、憲法改正案や新法を提案できる。イニシアチブは国民投票にかけられ、国民と州の過半数の賛成を得られれば成立となる。
イニシアチブの狙い
具体的には、5000万フラン(約95億円)を超える資産を子孫に遺贈または贈与した場合、5000万フランを超える部分に対して50%の連邦税を課す内容だ。その税収を、政府の気候変動対策に充てると定める。
つまりこのイニシアチブは、一方では富裕層への課税強化、他方では気候変動対策という二つの側面を備える。
これら二つの問題意識は、「富裕層への課税」と、温暖化対策に公平性を求める「気候正義」という世界的な潮流にも沿っている。2024年には主要20カ国(G20)諸国が超富裕層への増税を推進することで合意している。
G20では議長国ブラジルが十億ドルを超える資産に対し2%課税する案外部リンクを提案した。気候正義の考え方も既に数年前から世界中で議論されている。
以下のグラフが示すように、多くの国では相続税収が国の歳入に占める割合はごく小さい。
誰が課税対象になる?
連邦内閣(政府)の試算では、国内には5000万フラン以上の資産を保有する人が約2500人おり、資産総額は推定5000億フランに上る。ローザンヌ大学の調査外部リンクによると、イニシアチブが実現した場合に主に課税対象となるのは資産額が2億フランを超える約300世帯だ。
経済誌「ビランツ」によると、10億フラン以上の資産を持つスイス在住者は152人。人口100万人当たりに換算すると17人と、世界で最も「億万長者密度」が高い。
現行制度は?
スイスの相続税は州政府に課税権があり、連邦税としては存在しない。一部の州では基礎自治体レベルで相続税を課しているところもあり、このため州間のばらつきが大きく数十種類の課税方法が存在する。
ほとんどの州では、直系子孫は非課税となるか、高額の非課税限度額が設定されている。例外はアッペンツェル・インナーローデン準州、ヴォー州、ヌーシャテル州だ。
各州における相続税は比較的低く、平均すると約1.6%。だが常に低かったわけではない。ローザンヌ大学の調査によると、「過去30年間、富と相続に対する税金は大幅に軽減された」。
富裕層の相続財産に連邦税を課す案は、2015年にも議論されたことがある。当時は税収を老齢・遺族年金(AHV/AVS)の財源に充てることを想定していた。スイス福音国民党(EVP/PEV)や社会民主党(SP/PS)、緑の党(GPS/Les Verts)の提案だった。だが国民投票で71%の圧倒的多数で否決された。全ての州票も反対を示した。
国外在住者の相続には別のルールがある。被相続人が外国に住んでいた場合、相続人がスイス国内に住んでいても原則として相続税を支払う必要がない。
高額資産に対する課税ルールは?
さらにばらつきが多いのは、相続資産ではなく保有資産そのものに課される資産税だ。州・自治体の双方に課税権があり、連邦政府は関与しない。
資産税は、保有資産が一定の非課税限度額を超えた場合にのみ課税される。非課税限度額は州によって異なり、10万フラン(約1900万円)から100万フランと幅広い。スイスの富裕税は世界でも類を見ない、真の「富裕税」と言える。
大半の州では資産税は累進課税を採り、資産額が多ければ多いほど税率も高くなる。その結果、富裕層の中でも上位10%が資産税の約86%を納めている。
以下の表は、スイスの全 26 州が富裕税をどのように構成しているかを示している。
連邦工科大学チューリヒ校景気調査機関(KOF)は研究の一環として、製薬大手ロシュの相続人アンドレ・ホフマ副会長の税負担を試算外部リンクした。推定資産が約26億フランに上る同氏は、ETHZのモデル計算によるとヴォー州に年間約2000万フランの資産税を納めている。
KOFの調査は、スイスは「富裕層にとって最低限の税金」を課していると総括する。イニシアチブが狙い撃ちする富裕層は、すでに税収に貢献しているというわけだ。2022年に州・自治体に収められた資産税は90億フランと、税収全体の1割を占めた。
それでもスイスは富裕層にとっての租税回避地とみなされる。背景には、一部の州で税率が低く設定されていることと、「一括税(Pauschalsteuer/ forfaits fiscaux)」と呼ばれる優遇税制がある。一括税はスイスに住む外国人について、スイスで就業していないことを条件に、国外所得・資産への課税を免除する。その代わり、スイス国内外の年間生活費(家賃、医療費、教育費、保険料など)をベースに課税する仕組みだ。スイス財務省外部リンクによると、2018年には4557人の外国人が一括税として計8億2100万フランを納税した。
賛成派の主張は?
イニシアチブ発起人の社会民主党青年部(JUSO)は、富裕層の生活は庶民に比べ二酸化炭素(CO₂)排出量が多く、気候変動対策にもっと金銭的貢献するべきだと主張する。「2050年に向けた野心的な気候目標の達成には、スイスでは年間約120億フランの投資が必要になる」と見積もる。
JUSOスイスのナタリー・ルオス副会長は、「超富裕層は人々と自然を搾取することによって富を築いた。彼らが気候変動犯罪の責任を問われる時だ」と意気込む。税収は、具体的には住宅や雇用、公共サービスなど持続可能性を高めるプロジェクトに充てられる。
JUSOの試算では、イニシアチブが国民投票で可決されれば税収が60億フラン増える。
反対派の主張は?
だが連邦政府などイニシアチブ反対派の試算は異なる。ローザンヌ大学の推計によると、イニシアチブ可決がもたらす追加税収は25億~50億フランにとどまる。
しかもこの数字は誰も国外移住しないことが前提だ。反対派は、超富裕層や起業家がスイス外に移転する可能性があるとみる。連邦政府は「イニシアチブは最終的に歳入減少につながる」と警告し、イニシアチブに反対の立場をとる(国民投票前にあたり、連邦政府や議会は各提案に対し賛成・反対の立場を表明する。立場表明に拘束力はないが、多くの有権者にとって意思決定の参考となる)。
連邦政府は、イニシアチブが可決されれば、課税対象資産の85~98%にあたる28~37億フランが国外流出すると見積もる。増収効果は1億~6億5000万フランにとどまるとみる。
財界の大物らは、保有する富の大部分は会社に縛られていると主張。納税するためには、会社を売却しなければならなくなると訴える。
また裕福な起業家が雇用を創出しており、イノベーションと投資を通じてスイスのビジネス拠点としての競争力を維持していることも強調する。
不透明な論点
イニシアチブ本文に含まれる「遡及条項」が議論を呼んでいる。本文は「特に国外移住による租税回避を防止する」ための措置を求めており、可決直後に「遡及適用条項付きで課税される」と定める。
つまり、超富裕層が既にスイスを離れている場合でも、追加徴税される可能性があるのか?投票に向けた論戦が始まる前から、この点が関係者の間でかなりの不安を引き起こしていた。
その行方は、イニシアチブ可決後に裁判所が判断することになりそうだ。
編集:Samuel Jaberg、独語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫
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