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「私たちは、詩人は知っていても建築家は知らない」

エヴェリン・シュタイナー氏
2021年ベネチア・ビエンナーレ国際建築展でサロン・スイスの責任者を務める建築家、美術史家でキュレーターのエヴェリン・シュタイナー氏 Christian Beutler/Keystone

ベネチア・ビエンナーレ国際建築展では、今年もスイスの芸術評議会「プロ・ヘルヴェティア文化財団」の主催でサロン・スイス外部リンクが開かれる。今年のサロンは「Bodily Encounters(仮訳:身体的な出会い)」というタイトルの下、パビリオンでの展示やイベントなどを通じ、建築空間と人間の体の関係について議論を喚起する。サロンのキュレーターを務めるエヴェリン・シュタイナー氏にチューリヒのアトリエで話を聞いた。

swissinfo.ch:あなたが手がけたサロン・スイスは新型コロナウイルスの影響で開催が1年遅れました。今の状況を鑑みると「Bodily Encounters(身体的な出会い)」というタイトルからは、訴えにも似た印象を受けます。

エヴェリン・シュタイナー:自宅外での集まりが不可能だったり制限されたりした時期を経てみると、確かに主張の強いタイトルかもしれません。

今こそ、そのような状況を変える時です。そして、公衆衛生上の危機的状況下であっても、出会いを可能にしたり促したりするような空間作りが、建築に課せられた1つの使命だと思っています。

swissinfo.chサロンではどんな出会いを扱いますか?

シュタイナー:建築と様々な知識や学問分野との出会いです。これらを通じて空間と体の多様な関係を探るのが目的です。

オープニングイベントでは、オーディエンスにそれを肌で感じてもらえるようなパフォーマンスを用意しています。オペラ歌手が建築理論や建築史を盛り込んだオリジナル曲を歌う傍ら、スイス人アーティスト、カタリーナ・アンナ・ヴィーザー氏外部リンク製作の木の彫刻3体が生き物のように動いて人々と交流するという内容です。

 1981年生まれ。建築家、美術史家、キュレーター。連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)およびアルゼンチンのブエノスアイレスで建築を専攻後、ローマ、バルセロナ、チューリヒの建築事務所で働く。2012年、ベルン大学で美術史修士号を取得。

これまでに「Aristide Antonas. Protocols of Athens(仮訳:アリスティード・アントナス。アテネのプロトコル)」(2015年)、「Constructing Film. Schweizer Architektur im bewegten Bild(仮訳:映画を構築する。映像の中のスイス建築)」(2016年)、「Frau Architect. Über 100 Jahre Frauen in der Architektur(仮訳:女性建築家。建築における女性の百年)」(スイス開催版、2020年)など数々の建築展のキュレーションを担当している。

swissinfo.ch:建築が以前から「体」というテーマに着目していたことが史実のコラージュで明らかにされるわけですが、この関係を今改めて議論する理由は何ですか?

シュタイナー:人文科学では50年前から、体について熱心な研究が行われてきました。生殖医療をはじめとする人体への介入の増加や、人工知能分野でのコンピューター技術との組み合わせなどがその背景にあります。

ジェンダー研究では、体はアイデンティティー政治との関わりで議論されています。しかし、建築において、こうした議論は全てまだ付随的なものでしかありません。建築を様々な領域と結び付けることで、驚きをもたらすような型破りな組み合わせが生まれます。

作品
カタリーナ・アンナ・ヴィーザー氏による「Bodily Entcounters(身体的な出会い)」。可動式立体、木製ボード、角材、遠隔操作のキャタピラー式ビークルを使用 katharinaannawieser.ch

swissinfo.ch:例えばどんな組み合わせでしょうか?

シュタイナー:建築とトランスヒューマニズム(超人間主義)がその1例です。トランスヒューマニズムとは哲学の1分野で、主に埋め込みチップなどの技術を使った人間の体の肉体的・精神的強化に注目しています。

こうした医学や神経科学における最新の成果を、建築の認識や計画にどう生かせるか。「最適化された」居住者のための空間や都市構造とはどういう形なのか、という点です。

ロボットのイラスト

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swissinfo.ch:人間をサイボーグとして考えた場合の話ですね。しかし、「スマートホーム」においてはもうとっくに住まい自体がサイボーグなのでは?

シュタイナー:確かに高度にネットワーク化された「スマートホーム」やいわゆる「知覚する環境」は、住人との間にユニークな関係を築きます。しかし、建築物は、たとえデジタル化されていない状態でも静的オブジェではなく、私たちに語りかけ、私たちと対話する主体なのです。

建築物は公的かつ私的で、集団的記憶と同時に個人史や個性を形成します。私たちの生活の中に占める建築の存在は非常に大きい。それなのに建築は教養の一部とされていません。私たちは、詩人は知っていても建築家は知らないのです。

  • 9月「Kindred Spirits(仮訳:魂の同類)」2021年9月23〜25日
  • 10月「Realities(仮訳:様々な現実)」2021年10月21〜23日
  • 11月「Alterations(仮訳:改変)」2021年11月18〜20日

swissinfo.ch:11月のサロンのテーマは建築規格や建築標準ですが、これらは価値観を反映するものです。現在社会で進行中のアイデンティティーを巡る議論からも、建築への影響は認められますか?

シュタイナー:この点に関しスイスは遅れています。例えば体の不自由な人のためのアクセシビリティーもそうです。建築はアートに比べて動きが鈍く、社会で起こっている事への反応も遅れがちです。例えば新しい同居の形態が登場して久しいのに、いまだベースとなるのは圧倒的に4人家族モデルなのです。

swissinfo.ch:そうですか?チューリヒでは今年、「ツォルハウス」がオープンして注目を浴びましたが、ここでは入居するコミュニティーがそれぞれ抱く共同生活のスタイルを、可動ユニットを使って建築に反映させる「Hallenwohnen(ロフト型住宅)」という方式を採用しています。

シュタイナー:「ツォルハウス」は、全国的にはまだまだ例外的な存在です。こうしたプロジェクトは都市部以外ではほとんどありません。

ツォルハウス/Hallenwohnen(ロフト型住宅)
Zollhaus/Hallenwohnen

swissinfo.ch:「フルイド(流動的)な空間」は解決策になりますか?フルイドという言葉は主にノンバイナリー(男女二元論に当てはまらない性自認)なジェンダーアイデンティティーとの関連で知られますが、建築ではどのような意味になりますか?

シュタイナー:私にとっては、明確に定義しないままに多くを受け入れる空間を意味します。これについてサロン・スイスでは、ジョエル・サンダース外部リンク氏とディスカッションを行います。サンダース氏はいち早くクィア理論に取り組み、ノンバイナリーなアイデンティティーと建築について活発に執筆活動を行っているニューヨークの建築家です。その最新プロジェクトで彼は、フルイドのコンセプトを美術館の空間に応用し、これらをより包括的に考えようとしています。

swissinfo.ch:ビエンナーレ総合キュレーターのハシム・サルキス氏は今回のビエンナーレ「How will we live together?外部リンク(仮訳:我々はいかに共存していくのか)」で、グローバルな問題への対応を含め、個人個人がより広いコミュニティーの中で共生していくにはどんな空間面での解決策があるかを問いかけています。展示の第1章「Among Diverse Beings(仮訳:多様な存在の間で)」のテーマは自分自身の体です。問題解決の出発点はそこなのでしょうか?

シュタイナー:やはり、まずは自分自身から始めねばならないでしょう。自分は何者なのか。自分は他者の、未知の、時には病んだ身体とどう向き合うのか。インクルーシブ・アーキテクチャーを考えるためには、様々なアイデンティティーや暮らし方の他に、医学的に改変されたり技術的に強化されたりした体という可能性も考慮しなければなりません。

swissinfo.ch:11月のサロンのテーマは体の老化です。「アンチエイジング建築」とはどのようなものですか?

シュタイナー:このコンセプトを考案したのはマドリン・ギンズと荒川修作です。2008年、2人はニューヨークに「バイオスクリーブハウス外部リンク」を完成させました。これは、あえて住人との間に難しい関係を作り出そうという建物です。

内部は仕切りがなく床には凸凹がある。米国を拠点としたこの2人組アートユニットは、常に刺激のある状態は老いのプロセスを遅らせると考えました。

(独語からの翻訳・フュレマン直美)

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