独裁政治の終わらせ方
ネパールやバングラデシュといった国々では、民主主義の覚醒がはっきりと感じられる。一方で、ハンガリーではヴィクトル・オルバン氏が選挙で敗北した。これは、世界の他の地域でも政策転換と民主主義の覚醒が起こっていることを意味するのだろうか?抗議活動研究者、独裁政権の専門家、そして1956年のハンガリー革命を経験したスイス系ハンガリー人が、その答えを提示する。
民主主義を求めて、若者たちが政府を転覆させている。それも10年、20年前ではなく、ドナルド・トランプ米大統領、中国の習近平国家主席、ロシアのウラディミール・プーチン大統領といった面々が世界の政治を牛耳っている2020年代にだ。
ジュネーブにある平和団体「インターピース」のプラティット・シン氏は、ネパール、バングラデシュ、スリランカでこうした動きが見られると指摘する。他の国々でも似たような動きが起こったが、期待された変化はもたらされなかった。「バングラデシュでの運動開始を機に興味を持つようになった」と語るシン氏は、青少年・民主主義プログラム主任を務める。運動は地域的なものにとどまらず、世界的な現象へと広がったという。「東アフリカや南米でも同様の運動が始まった」
シン氏によれば、今回の抗議活動はこれまでの民主化運動とは異なる。バングラデシュのシェイク・ハシナ首相のように、権力者たちは自らと自国政府を民主的だと称していた。若者たちは、政府自ら掲げた基準を守るよう立ち上がった。
シン氏は「若者運動は皆、同じような不満と、既存の制度を取り戻したいという強い願望を共有している」と話す。ある国で起きた抗議活動の熱気は、SNSを通じて隣国の若者たちを刺激した。ただしこれらの運動は、少なくとも今のところ、直接交流しているわけではない。
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民主主義の「終わり」を考える
民主化運動は成功できる
シン氏によると、各地の抗議活動はすべて似たようなパターンを経ている。まず若者らが政府の責任を明確にするよう求めるが、政府はそれに弾圧で応じる。そして弾圧が若者たちの反発を増大させる。
各地の事例に共通しているのは、これらの国々の多くの若者は経済的な見通しを持てないということだ。「アラブの春以来、これほどの規模の運動はなかった。だが当時とは異なり、最近の運動の多くは成功している」(シン氏)。バングラデシュでは運動後、民主的な政府が選出された。ネパールでは、中国を真似てネット遮断を企てた人々が選挙で落選した。最近では、ハンガリーを「非自由主義的民主主義」に変えたヴィクトル・オルバン氏が議席を失った。これらの事例は、民主化運動が今日でも成功しうることを示している。
過去20年以上、独裁政権の数は増加の一途を辿っている。クーデターによって軍事政権が権力を掌握する地域もあれば、かつて民主主義国家だった国で制度が崩壊しつつある地域もある。研究者たちはこれを「第三の独裁化の波」と呼んでいる。その起点を2010年の金融危機以降とする見方もあれば、1994年という早い時期に遡る見方もある。
スウェーデンの民主主義研究機関V-Demの報告書(2006年)によると、独裁政治の終焉は見通しがつかない。現在、民主化が進んでいる国はわずか18カ国。それに対し、過去最多となる44カ国が独裁に向かう道を進み、その住民は34億人に上る。
今日の指導者の多くはいずれも高齢だ。政治情勢に不満を持つ人々は、独裁者たちはいつか死ぬだろうと考えるかもしれない。しかし、だからといって民主化が進むと期待するのは誤りだ。ミシガン州立大学の政治学者エリカ・フランツ教授によると「それと反対のことが示されてきた」。ほとんどの場合、独裁的な指導者が亡くなっても政権は存続してきたという。
フランツ氏によれば、権力が1人の人物に強く集中している場合、変化が起こる可能性はわずかに高くなる。だが通常は、指導者の死後も政権は存続する。フランツ氏は、権威主義国家の社会エリート層が後継者を支持するためだと分析する。エリート層の多くが「弾圧、腐敗、その他の不正行為」に関与しているためだ。いかなる変化でも訴追される可能性を産むことを恐れ、彼らは現状維持を求めるという。
暴力が少ないほど成功確率が向上
火には火で対抗しようとする試みは、往々にして失敗に終わる。フランツ氏は研究で、クーデターが国の民主主義化につながることは極めてまれだと結論付けた。
フランツ氏がまとめたデータは、民主化運動や大規模な蜂起は、暴力の使用が少ないほど成功する可能性が高いことを示した。また独裁者に亡命という道を残すことが民主化運動にとって有益であることもわかった。自身が投獄や死刑に処される恐れがなければ、独裁者は暴力的な弾圧を手控える傾向があるという。
フランツ氏は、非暴力が民主主義にとって不可欠だと主張する。「民主主義が長期的に健全であり続けるためには、平和こそが権力への道でなければならない」。データはこのことを明確に証明している。
ネパールとバングラデシュでは、治安機関による弾圧に、Z世代は暴力で対抗した。ネパールでは、政府庁舎が焼き討ちされたが、それでも成功を収めた。シン氏は、抗議活動内部の重要なグループが、エスカレーションと暴力の使用に反対していたことも強調している。
SNSの功罪
SNSは有効なツールになり得る。だがそれが変化をもたらすかどうかには疑問の余地がある。フランツ氏は、世界中で抗議活動が増えているものの、失敗例が増えていると指摘する。「その原因はSNSにあるのではないかと考えている」。デジタル民主主義運動は人々を動員しやすい一方で、長期的な成功に不可欠な草の根組織を構築する「可能性が低い」という。
フランツ氏は概して、「メディア環境の変化」が「個人主義政党の台頭」を許したとみている。個人崇拝を特徴とする政党の例として、彼女はエルサルバドルのナイブ・ブケレ氏の政党とハンガリーのオルバン氏の政党を挙げた。
ハンガリーの選挙日は、多くの人々にとって民主的な変革への希望を象徴する日となった。一部の人々は、今回の展開を1989年のハンガリー共産主義体制崩壊になぞらえる。フランツ氏も、両者には共通点があるとみる。「どちらも、選挙によって権威主義体制が権力を失った。権威主義体制が選挙で敗北すると、ほぼ必ず民主主義が到来する」
今は権威主義国家でさえも、当たり前のように選挙を実施している。フランツ氏が指摘するように、今日ではほとんどの国が民主主義国家であると主張している。「世界のほとんどの地域で市民が民主的な政体を好むという確かな証拠がある」。したがって、独裁的な指導者が民主主義を装うのは理にかなっている。「今日、独裁国家の大多数は定期的に複数政党制の選挙を実施している」。だがこれらの選挙は自由で公正なものではない。そして、自由で公正な選挙こそ、民主主義を定義する。
フランツ氏は、1990年のハンガリー初の自由選挙と2026年のオルバン首相の失脚との間にもう一つの共通点があると話す。どちらも、「過去の政権の遺産」が影響を及ぼす可能性が高く、ハンガリー社会へのダメージは容易に修復できるものではない。
ハンガリーには民主主義文化がない?
スイス・ハンガリー両国籍のエドン・サボー氏はより楽観的だ。サボー氏の人生は常に民主化運動の影響を受けてきた。1956年、共産主義体制下のハンガリーで民主的な民衆蜂起が起こった。様々な政治陣営の代表者からなる暫定政府が、一党独裁政権に取って代わった。数日のうちに、ハンガリーは中立を宣言し、ワルシャワ条約機構からの脱退を表明した。その直後にソ連軍が侵攻し、民衆蜂起を鎮圧した。
当時11歳だったサボー氏は、家族とともにスイスへ逃れた。
1989年以降はハンガリーで働き、地元企業を経営した。そこでは、物事を二極思考で捉える風潮を目の当たりにした。「共産主義体制下では、人々は悲観的な見方をするか、状況を軽視するかのどちらかに偏りがちだ。賛成か反対かのどちらかしかない」
政権に反対した人々は、静かに抵抗した。そして共産主義体制の崩壊後、「真の民主主義文化は生まれず、ただ資本主義体制が確立されただけだった」。
サボー氏はここ数年、ハンガリーに帰国していない。オルバン氏がハンガリーで民主主義を解体していく様子に苛立ちを募らせている。だがオルバン氏が去った今、何が起こるのだろうか?新たな勢力が権力を握り、諸機関を支配するのを目の当たりにしたハンガリー国民がどう動くのか――サボー氏は最悪の事態を恐れている。
「重要なのは、公平な競争条件を確立できるかどうかだ。そのためには、真の支持基盤を持つ3~4つの政党が長期的に政権を維持し、政党の財政が国家によって透明性をもって管理される必要がある」。こう述べるサボー氏は、その理想としてあらゆる政治勢力が政府を構成するスイスの民主主義を挙げる。そうして初めて、幅広い民主主義意識が育まれると強調する。
シン氏が指摘するように、ハンガリーとアジア、アフリカ、ラテンアメリカの民主化運動を結びつける共通点が一つある。それは、オルバン氏の失脚の翌晩、祝賀ムードに包まれていたのは主に若者たちだったということだ。
編集:Reto Gysi von Wartburg、独語からのGoogle翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫
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