変わりゆく国境を撮るスイス人写真家

During WWII, Switzerland wanted to include neighbouring Liechtenstein in its National defence program because its position was ideal for an attack on the Swiss border. Liechtenstein was unwilling to hand itself over due to its relations with Germany at the time. Finally, after negotiations, financial and territorial compensation, Liechtenstein handed over various locations of strategic and military importance to Switzerland, including the striking Ellhorn, pictured above. The 758-metre mountain belongs to the municipality of Fläsch, Switzerland since 1949. Roger Eberhard

複数の国と国境を接する小国で暮らすスイス人にとって、国境は馴染みのある存在だ。新型コロナウイルスの感染拡大で閉鎖された間は、一層注目を集めた。スイス人写真家のロジャー・エーベルハルトさんは、さまざまな国境の風景を写真に収めるプロジェクトを3年以上に渡って行った。その結果、特に今の世の中を反映した写真集が出来上がった。

このコンテンツは 2020/05/27 08:30
Helen James(文)&Roger Eberhard(写真)

チューリヒ出身のアーティストで出版社を経営するロジャー・エーベルハルトさんは、「私たちの世界は、目に見える、常に変化を続けるパズルであること」を表現するために、国境をテーマにした本を作りたいと思ったという。エーベルハルトさんは、1960年代以降に世界の国の数がいかに変化してきたかを挙げながら、国境は「流動的で」政治に結びついたものだと話す。

入国禁止や国境の壁、大量移民といった話題が国際ニュースに頻繁に登場する中、エーベルハルトさんは写真を使い、「人間が決めた区分の一時性」に光を当てたいと考えた。

ツェルマットのフルックザッテル氷河のスキーリフトの山頂駅はかつてイタリアにあったが、現在はスイス領となっている。気候変動によってこの地域の氷河が縮小し、2国間の分水界が移動したためだ。 Roger Eberhard

エーベルハルトさんは国から国へと旅しながら、2020年3月に出版された「Human Territoriality(人間の領土意識)」のための写真を撮った。狙いは、地図上の線が現実世界において時に消えたり、移動したり、雑草が生い茂ったりする様子をフレームに収めて見せることだ。そのため、国境が変わったり消滅した場所、あるいは国境の両側にあった2つの国がもはや存在しなくなってしまったような場所のみを写真のモチーフに選んだ。

中国第二の大河である黄河は、5464キロメートル以上にわたってチベット自治区付近を蛇行しながら流れ、渤海に注ぐ。紀元前230年、最も西にあった秦の王子嬴政(始皇帝)が他の4つの王国の征服に乗り出した。15年続いた秦王朝は中国史上最短の王朝である。紀元前210年の始皇帝没後は漢王朝が成立したが、秦王朝が確立した中央集権体制は、その後1912年まで2千年以上、わずかな変更を加えたのみで続いた。 Roger Eberhard


ラコフはミンスクから西に39キロメートルの地点に位置する、人口約2100人の村だ。1905年にラコフで生まれ、それから90年間そこで暮らした人がいたとすれば、20世紀の間に複数の国籍を経験したことになる。まずロシア帝国に生まれ、第一次世界大戦でドイツによる占領を経験する。1922年にポーランド第二共和国、1939年にはソビエト連邦の国民となる。またラコフは第二次世界大戦中の短期間、第三帝国の占領下にあった。1991年のソビエト連邦崩壊後は、新しい独立国ベラルーシのパスポートを受け取ったはずだ。 Roger Eberhard

このプロジェクトの写真一枚一枚には物語がある。時代と歴史に占める位置を詩的に表現し、政治や気候変動によって私たちの世界の見方が変わる時に何が起こるかを見せてくれる。

スイス国内でエーベルハルトさんの撮影目的に合った場所は2カ所あった。1つはスイス南西部のヴァレー(ヴァリス)州にあるフルックザッテル峠だ。もう1つはスイス東部のエルホーン。第一次世界大戦中にスイスにとって焦点となった場所だった。

スイスは、スイス国境を攻撃するのに理想的な位置にあった隣国のリヒテンシュタインを自国の国家防衛計画に組み込みたいと望んでいた。リヒテンシュタインは当時のドイツとの関係から、自国の領土をスイスに譲渡することを渋った。交渉の末、経済的、領土的な補償と引き換えに、リヒテンシュタインは戦略的・軍事的に重要なさまざまな地点をスイスに譲渡した。その中には印象的なエルホーン(1枚目の写真)があった。標高758メートルのこの山は、1949年よりスイスのフレーシュ村に属している。


ポルトガル帝国とカスティーリャ王国(スペイン)は1494年、ヨーロッパ以外で新たに発見された土地の分割方式を取り決める条約を結んだ。この条約には国境の経度と緯度の座標値が厳密に定められていたわけではなく、いずれの国もこの線がブラジルの先端を横切っていたことに、この時気付いていなかった。ポルトガル帝国は1500年に現在ブラジルと呼ばれる国の領土権を主張し、1532年に設立されたサン・ビセンテが初の植民地となった。 Roger Eberhard


ロジャー・エーベルハルト:1984年生まれ。米カリフォルニア・サンタバーバラのブルックス写真大学とチューリヒ芸術大学で写真を学んだ。

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