ダボスの片隅でAIを叫ぶ
先月開かれたダボス会議では人工知能(AI)の未来が主要議題の1つとなった。数十億ドルプレイヤーが議論を牽引するなか、小さな組織や起業家も公正な未来のために声を上げようと奮闘した。ダボスの周縁を、スイスインフォの記者が歩いた。
タミー・マッケンジーさんがダボスを訪れたのは、商談や投資家の誘致のためではない。大手テック企業とは異なる視点でAIについて論じるのが目的だ。
「一般人から大国の代表者まで、誰でもAIに関する発言権がある。私たちはそんな世界を目指しています」。こう語るマッケンジーさんは、インクルーシブ(包括的)なAIを推進するカナダのシンクタンク「アウラ・フェローシップ」の代表を務める。
マッケンジーさんは、AIをめぐる権力の集中を案じる多くの技術者や起業家の1人として、研究やデータ収集、啓発運動に長年取り組んできた。社会的に疎外された集団に配慮してAIを設計しなければ、排除を助長する恐れがある、と訴える。現に、採用プロセスや医療現場で使用されているAIツールの中には、開発者のバイアスを反映して機械的に意思決定するものもある。
マッケンジーさんにとって最大の課題は、このメッセージをいかにしてしかるべき人々に届けるか。その点、スイスの山奥に世界中から意思決定者が集まる世界経済フォーラム(WEF)の年次総会、通称ダボス会議は特に重要だ。
「誠実で勇気ある」人材はどこに
会議は、ダボスをハイレベルな国際ネットワーキングの中心部に変貌させる。多くの小規模組織にとって、高額な参加・滞在費は捻出が難しい。
1月22日、マッケンジーさんと筆者はダボスの文化広場の真ん中にある小さなソファに座っていた。普段は簡素な広場だが、ダボス会議中はソーセージの屋台やテック企業の販促、プロムナード沿いで開かれる非公開会議の合間に休憩する人々でにぎわう。
普段は静かなこのプロムナードにブースを置きたい企業や国は、100万ドル(約1億5千万円)を超える出展料を支払わねばならない。今年はAIに関するスローガンや看板であふれている。会議のゲストの中では、アンソロピックのダリオ・アモデイ最高経営責任者(CEO)やエヌビディアのジェンスン・フアンCEO、マイクロソフトのサティア・ナデラCEOといったテック大手の重鎮たちがひときわ注目を集めた。AIの存在を脅かすリスクと、社会にもたらす計り知れない可能性について議論が交わされた。
マッケンジーさんにとって、ダボス会議はAIの未来、ひいては何百万人もの人々の未来を形作る権力の中枢に近づくための手段だ。マイクロソフトや軍事用AIシステムを手がけるパランティアといった大企業を、研究者や政策立案者だけでなく、彼らの技術の影響を受ける一般市民と同じテーブルにつかせたいと考えている。マッケンジーさんの優先事項の一つは「私たちが直面する最大の課題に、誠実で、勇気があり、自信を持って立ち向かう」影響力のある人材を見つけることだ。
「歴史上の偉大な変化はすべて、人々が共に腰を据えて、もはや機能していないものを変えようとしたからこそ起こったのです」。マッケンジーさんは筆者の目をまっすぐに見据えてこう語った。少し世間知らずなのではないか――そんな気もしたが、マッケンジーさんはそれを心から信じていると言い切った。生まれつき楽観主義者で、本当に怒りを覚えるのは「不正義」だけだ、と言う。
高額な滞在費
数週間前まで、マッケンジーさんはダボスへの旅費を捻出できるかどうか分からなかった。ダボス会議や関連イベントへの参加は招待制で、宿泊費は法外なほど高額だ。期間中にダボスでアパートを借りると、1週間の賃料は最大9万5000フラン(約1900万円)にも及ぶ。
マッケンジーさんらアウラ・フェローシップのメンバーが飛行機と最安ホテルに5泊滞在するには9000カナダドル(約103万円)が必要だったが、その予算はなかった。マッケンジーさんがダボス会議に参加できたのは、友人や同僚、家族、そしてインクルーシブAIの推進に取り組む財団からの寄付のおかげだ。
招待制のダボス会議への参加が叶ったのは、数カ月前にモントリオールでダニエル・ドボスさんと偶然出会ったことがきっかけだった。ドボスさんはスイスの通信大手スイスコムの研究ディレクターで、ダボス会議で開催されるAI関係者の交流スペース「AIハウス」の共同設立者でもある。ドボスさんは「タミーは素晴らしい人です。エネルギーと情熱に満ちあふれています。彼女の組織に、ぜひダボスに来てほしいと思いました」と振り返る。
AIハウスの片隅で
ドボスさんは、ダボスの多くの取り組みがマッケンジーさんのような小さな声を取り込むのに苦戦している、と話す。知名度と資金力を生かしてパネルディスカッションに参加できる大企業と、参加が財政的にも物理的にも難しく影響力の低い小規模企業との間でバランスを取るのが大きな課題だという。
「信頼性を確保したいのであれば、小規模な組織にもより多くのスペースを振り向ける必要があります」(ドボスさん)
AIハウスには選りすぐりの起業家や研究者、AIの「指導者」が集結する。ある日には、メタ(旧Facebook)の元AI研究責任者、ヤン・ルカン氏が登壇した。また別の日には、アラブ首長国連邦(UAE)が設立した鳴り物入りのAI企業「G42」タラール・アル・カイシ暫定CEOが招かれ、AIにおける主権について熱弁をふるった。
マッケンジーさんのような高尚な理想を掲げながらも資金力に乏しい組織や、人脈を探している若いスタートアップ創業者たちはその周縁でもがいている。マッケンジーさんはパネルディスカッション終了後、名刺交換に励んでいた。そしてオブザーバーでもあったAIの軍事利用を議論するパネルでありながら、実戦で利用されている技術の開発企業がその場にいないことを嘆いた。
「そうした企業を交渉のテーブルにつかせなければなりません」とマッケンジーさんは強調する。彼らのシステムが不平等や損害を広げるのではなく、それらを減らす方向に確実に機能させるには最も効果的な方法だという。
「サークル」の仲間入り
快適なソファとハイテーブルが置かれたAIハウスで、筆者は30代の起業家ジェニファー・アイさんにも取材した。マッケンジーさんと同じカナダ出身で、ダボス会議は初参加。テック業界へのアクセスの民主化を目指している。
アイさんが直近設立したベンチャー企業は、AIを活用して世界中のスタートアップ企業の資金調達プロセスをデジタル化することを目指す。中小企業の資金調達は、適切な場所にいて、適切なタイミングで適切な人に出会えるか、という運に大きく左右される。「イベントに出席し、法外な費用を払い、手あたり次第に人に会おうと努力することになります」とアイ氏は話す。
アイさん自身も駆け出しの頃は知り合いがおらず、投資家を探したり、メールを書いたり、チャンスを掴む方法を学ぶのに何時間も費やした。「本当に大変でした」。こう話すアイさんはついに粘り強さが報われ「サークル」の仲間入りを果たしたことかみしめ、まばゆいばかりの笑顔を浮かべた。
パスタしか食べられない
ダボスデビューしたマッケンジーさんもアイさんも、大手テック企業幹部のセレブ生活とは程遠い日々を送っている。2人ともダボスで値ごろな宿泊先を見つけることができなかった。アイさんはチューリヒから毎日電車で2時間以上かけて「通勤」。マッケンジーさんも2時間近く離れた場所にあるドミトリータイプの共同部屋に泊まっていた。電車代は1日約112フラン、宿泊代は1泊約150フランだ。
「あらゆるものがカナダの2倍くらい高く、贅沢な選択肢しか選べないことも多かった」とマッケンジーさん。節約のため、果物やパン、シリアル、干し肉を買って食べた。温かい食事をとったのは4回だけで、うち3回はパスタだった。
「テーブルを用意することだけ」
困難はあれど、マッケンジーさんはダボスに来た甲斐はあった、と語る。プロムナードを歩き回り、大手テック企業が借りているスペースの前で立ち止まり、スタッフと対話した。企業が製品を利用する人々のニーズに耳を傾けることで、より良い製品を開発できる、と熱く語った。「これはマーケティングの基本ルールです。しかし、これを効果的に機能させるには、企業、テック専門家、一般の人々が腰を据えて話し合う必要があります」
マッケンジーさんは訪問した企業名や会話の詳細は明かさなかったが、歓迎されていると感じたという。そして大手テック企業は正当性の喪失を恐れたときにしか態度を変えない、と確信する。
労働搾取に関する討議の会場を探したが見つからず、私たちは再びAIハウスの外に立った。足は凍え、空腹でぐうぐうお腹が鳴っていた。マッケンジーさんは相変わらずはつらつとしていた。それはメリノウールを重ね着しているおかげなのか、それとも楽観的な性格のためなのか。
ダボス会議が終わればプロムナードはまるであの大勢の人が集まったことなどなかったかのように空っぽになるだろう。別れ際に、私はマッケンジーさんにこう尋ねた。ダボスで名刺交換するだけで、大手テックに数十億ドル規模の取引を諦めさせることができると本当に思っているのか、と。マッケンジーさんの答えはこうだった。「私は誰かを説得するためにここに来たのではありません。私たちにできることはただ一つ、テーブルを用意することだけです。人々が集まって座っていれば、何かが変わるはずです」
編集:Gabe Bullard/ts、英語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫
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