
デジタルID僅差で可決、市民社会がどう貢献したか

スイス有権者が2021年の国民投票でデジタルID導入を拒否し、政府は反対派の意見を取り入れて法案を練り直し、それが今回の国民投票で可決された。デジタル・ソサエティ協会のエリック・シェーネンベルガー氏は、このプロセスを「模範的」と呼ぶ。
28日の国民投票で、スイス有権者の50.4%がデジタルID(e-ID)の導入を支持した。4年前の2021年3月7日に旧法案が国民投票にかけられたときには、有権者のほぼ3分の2が反対票を投じた。
国民投票での否決から4年後の2025年3月10日、超党派の議員が政府主体のデジタルIDを求める動議外部リンクを出した。これはどういうことなのか。
注目すべきは、この動議には先の国民投票で批判された点を修正するよう求めた点だ。2021年時の旧法案は民間企業が発行主体である点が批判された。このため動議では、発行プロセスと運営を政府の専門機関が責任を持ち、データの分散型保存に重点を置いた「国主体のデジタルID」を創設するよう求めた。

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レファレンダムは「賛成/反対」以上の意味を持つ
レファレンダムは単なる「賛成・反対」以上の意味を持つ。
「否決されたレファレンダム(国民表決)の内容は大半の場合、再スタートを切る。その際には批判された点を修正しようとする試みがなされる」と、ベルン大学教授でスイス政治年鑑(Année Politique Suisse)の共同ディレクターである政治学者マルク・ビュールマン氏は言う。

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しかし、有権者の「拒否」がどう解釈されるかは、それ自体が政治的な決定だという。その例が2021年に51.6%の僅差で否決されたCO₂法だ。ビュールマン氏は「緑の党の観点からすれば、新しいCO₂法(国民投票にはかけられなかった)は、最初のものよりも真に『良い』とは言えないだろう」と指摘する。
デジタルIDの場合、状況はやや異なる。法律が批判を受け否決され、その批判理由が有権者の支持を得る新しい法律につながった。また、有権者の多数を納得させなければならないという圧力の下で、当局は批判や市民社会の声を新たな法案に取り入れることができる、という証左でもある。
「投票日には敵、翌日には仲間」

デジタル・ソサエティ協会外部リンクの共同マネージング・ディレクターのエリック・シェーネンベルガー氏は、2021年当時のデジタルID法には反対した。2025年の国民投票では、賛成に回った。
「今回の投票キャンペーンと比べると、2021年の時の雰囲気は違った」とスイスインフォに語る。2021年の国民投票では、投票日前からすでに「否決後どうするか」を考えていたという。
「デジタル・ソサエティ協会は、デジタルID自体に反対しているわけではなかった」。そのため、反対側の陣営にも接触した。「投票日は敵、翌日は仲間になった」
デジタルID導入を求める動議は議会で多数の賛成を得た。「法律が成立するまでの間、それらはその具体的な形を定めるための指針となった」と、シェーネンベルガー氏は言う。自身も市民社会代表として関与した。
2021年秋、スイス政府は反対派、利害関係者を協議に招いた。「当局は、スイスがどんなデジタル身分証明を求めているかを知ろうとした。行政手続き上の本人確認なのか、それともデジタル図書館カードといったものの基盤となる信頼インフラの構築なのか、と」
市民社会と学術界の意見
最初の協議には数十件の回答が寄せられた。参加団体の中には、2025年に再びデジタルIDに反対した海賊党(Pirate Party)もいた。会議や追加協議で活発な議論が行われた。「連邦司法省は、市民社会や学界の視点を欲しがった」とシェーネンベルガー氏は言う。
最終的に、2022年6月に法案が協議に付された。スイスの法律では通常、政府が法案を公表したあとに市民社会の意見を募る。デジタル・ソサエティも意見を提出した。「方向性は正しかったものの、本人確認が過剰である問題が残っていたため、私たちは依然として法案には批判的だった」
今回の国民投票にかけられたデジタルID法は、必要な情報だけをその都度開示する。たとえば、オンラインで酒を買う場合は成年であることだけを証明すればよく、生年月日や他の情報まで開示する必要はない。
参加プロセスは単なる政治マーケティング以上?
その後、法案は議会に送られ、さらに修正・強化された。シェーネンベルガー氏は、技術的な実現可能性の観点から政治家や当局から意見を求められたという。「例えば、どうすればデジタルIDを1つの携帯電話に安全に紐づけられるのか、といった議論があった」
政府は無論、協議や参加プロセスをマーケティングツールに活用できる。スイス当局も国民投票で否決後、協議を宣伝手段に使った。例えばデジタルIDに懐疑的な国民に向け「議会が新しい法案を審議する前に、皆さんの意見を聞かせてください」というアニメーション動画外部リンクを公開した。
シェーネンベルガー氏は、このプロセスは単なるマーケティング以上の意味があるという。これは「模範的」であり、他のデジタル政策課題も同様のプロセスを踏んでほしいと話す。
市民社会の役割
市民社会がこのような役割を果たすのはスイス特有だろう。国際民主主義・選挙支援機構(IDEA)の「世界の民主主義の現状」報告書で、スイスは「参加」分野で3位だった。投票率は低いにもかかわらず、市民参加と市民社会の分野が高く評価されたのが高順位につながった。
シェーネンベルガー氏は、市民社会が重要な役割を果たせるのは、スイスの合議制(concordance)と名誉職制度の存在も大きいと指摘する。もしこれがEUだったら、デジタル・ソサエティのような団体の意見がここまで存在感を持つことはなかっただろうという。
ただしスイスは鈍重だとも指摘する。例えばEUはAI規制の法的枠組みをすでに採択しているが、スイス政府は1年半後に予備草案を発表する予定だ。それでは遅すぎるとシェーネンベルガー氏は話す。

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デジタルIDのようには進まない分野も
シェーネンベルガー氏はその一方で、監視国家化を懸念する。「スイスでも通信データの保存や通信監視が行われている」。今後の「強化」は「正当な監視が大量監視に傾くことになる。私たちデジタル・ソサエティはこれを止めたい」という。
今回の国民投票の結果もそれを裏付けるという。多数が賛成したとはいえ、49.6%は反対した。「多くの人々はデジタル化に打つ手がないと感じている。だからこそ、この結果は熟考を促すものだ」。政府が多数を説得できるのは、市民社会の批判的な声を取り込む場合だけだ、とシェーネンベルガー氏は言う。
デジタルID実現における「模範的」参加プロセスへの賛辞は、政府への警告ともいえる、と指摘する。「市民の参加、また批判を聞く姿勢なくして、デジタルID実現に向けた施策はおそらく多数派を得られないだろう」
一方、人工知能(AI)や大手テック企業の規制に関しては、同様の市民社会参加の兆候は「今のところ見られない」とシェーネンベルガー氏は言う。
デジタルID反対派は、IDの任意性やデータ保護に関して今後も強く注視していくとすでに表明している。
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編集:Samuel Jaberg、独語からのDeepL翻訳:宇田薫
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