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安楽死、賛成?反対?

担当:

専門はスイス外交、日スイス関係、自殺幇助。日本語編集部の編集者。 日本の新聞社に10年間勤務し、犯罪、政治、スポーツなど幅広いテーマを担当。2017年からはSWI swissinfo.chで社会問題、特に自殺幇助を中心に執筆。

スイスでは1940年代の刑法改正で、利己的な理由によらない自殺ほう助が合法化されました。1980年代以降に国内で生まれた自殺ほう助団体は、この刑法の条項を法的基盤に末期患者らへの自殺ほう助を行っています。

現在では年間1千人を超える人たちが不治の病や障がいを理由に、自殺ほう助団体の助けを借りて自らの生を終えています。

日本など多くの国では、こうした自殺ほう助は法律で禁止されています。

スイスで安楽死の権利を得た日本人が思うこと

安楽死は、認めても良いと思いますか。それとも反対ですか。

スイスの安楽死支える「死の介添人」

swissinfo.chではこのほか、様々なテーマの議論コーナーを設けています。下の関連記事からご自身の興味のある分野を見つけて頂き、ぜひ対話に参加してください。またこれらのページは、言語や文化を超えて議論できる場になっています。あなたの投稿はDeepLを使って各言語に自動翻訳されます。

記事より 安楽死はなぜOK?スイスに住む人達はこう考える

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松野家代表
松野家代表

安楽死には賛成、少なくとも反対ではありません。__僕は直接、親とか誰かに言ったことはないですが、安楽死ができるならやりたいのが本音です。__ですが、今の日本ではできないからこそ、自殺という選択肢になってしまう人は、少なくないと思います。____僕は広汎性発達障害であり、持病(難病とは違うと思うし、薬は飲んでいる)もあります。__ですが、僕は安楽死が認められない気もしています。__発達障害というだけで、人生ハードモード。__それだけでなく、両親の病気や高齢化に加え、親だけでなく様々な人々を見て、「長生きするもんじゃねぇな!」と思っています。____人はいずれか死ぬのです。__だったら、一分一秒でも早いほうが良いと思うんです。__80代90代になっても、身体が元気で認知症も何もなければ良いんですが、そうとは限らないでしょう。__病気や事故で、身体が自由に動かなくなることもあり得ますし、単に高齢でそうなるかもしれません。____現に、障害は給料が健常者よりも少ないとされる中、僕はB型の作業所に行って、工賃をもらってますが、平均1万5千円、多くても2万円程度と言われることが多く、僕も1万数千円の工賃しかもらえません。__障害年金ももらってますが、将来的に施設やグループホームへ行けば、ほぼ全額持っていかれるでしょう。__それに加え、自由がない(あるいは、制限される)生活を半ば強制的に送らないといけなくなるのです。__そうしてまで、生きるべきなのでしょうか?__障害者ってだけで、健常者よりも選択肢の幅が狭まります。__障害者年金の不支給もあると聞きます。__今の日本では、障害者に対して、理解ではなく、排除が行われていると感じます。____2016年頃だったと思いますが、津久井やまゆり園という障害者施設で、障害者殺傷事件が起きました。__その事件が起きてから、犯人に同情する声、「よくやった!」という声をネット上で見かけるようになりました。__これが、健常者や定型発達の本音なんだと、僕は知りました。____AIが発達し、高性能な動画生成や画像生成等ができるようになっていっており、人間の仕事を奪うと言われている中で、障害者が働いて収入を得るということが、今以上に難しくなる気もしています。__その中で、障害者に対して、生きろというのは酷じゃありませんか?__障害の有無関係なく、長生きしたい人の中で、長生きできる人はすればいいと思ってますが、僕みたいに長生きしたくない人に長生きさせるのは、苦しみを延長させるような感じがしませんか?____現状の日本では、安楽死が認められないので、仕方ない部分もありますが、安楽死だけでなく、死ぬことについて、タブー視せずに考えていくことは大切だと僕は思います。__安楽死が日本で認められれば、喜んでやりたいと言うような気持ちです^^;

Fabrizio
Fabrizio
@松野家代表

こんにちは、私はアルゼンチンの青年です。__あなたの人生の状況や、世界の反対側でどんな暮らしをしているのかは分かりませんが、__あなたには私の支えがあります。__そして、これからの日々が少しでも良いものになるよう願っています。__人生は残酷ですが、決して諦めてはいけません。__あなたが苦しんでいることは分かっていますが、__このメッセージがあなたの状況を少しでも楽にしてくれることを願っています。__幸運を!

Yo.
Yo.
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精神的に健康で明晰な人は、安楽死させる権利を持つべきだ。持病があろうとなかろうと。私は39歳の人間で、これからの人生を全うすると言われるだろう。私は素晴らしい男性と結婚し、幸いにも子どもはいない。私は何年も前に生まれ故郷を離れましたが、その土地や他のどの土地にも属していると感じたことはありませんでした。私は心理学者に言われたように、故郷の根こそぎ感を持っており、家族の根こそぎ感も持っています。夫は太陽のような人ですが、私にはそれだけでは十分ではありません。毎日、彼の愛にしがみつこうと努力しています。しかし、この社会で生きることが私に与える苦痛を否定することはできません。精神科医に助けを求めたこともあるが、私が物事をはっきり理解していること、私たちが生きている現実を変える方法はないこと、それが人生であることを理解させたところで、彼らは私を助けることはできないとして、私を退院させた。私の患者のほとんどは、精神的に健康な人たちだが、ある時点で、私たちが生きている世界の狂気に対処できなくなり、セラピーを受けることになるのだ。 私は人間嫌いだが、私自身がそうしない限り、私のような人間は、この社会が、生も死も個人の選択であり、批判されるべきでないこと、ましてや、大衆を管理・支配するためだけに別の人間が作り出した宗教的な問題から判断されるべきでないことを受け入れるまで、待ち続けなければならないようだ。

Estoy totalmente de acuerdo, una persona mentalmente sana y lúcida debería poder tener el derecho de que se le aplique la eutanasia. Independientemente de si tiene una enfermedad crónica o no. __Yo soy una persona de 39 años, dirán que con toda una vida por delante; y la verdad es que si que lo he intentado, tener una vida o el plan de vida que la mayoría de los seres humanos se supone debemos tener; soy casada con un hombre maravilloso, afortunadamente en este caso no tenemos hijos. Tengo un trabajo muy bien pagado ahora. Y aún así toda mi vida mi mayor sueño ha sido poder morir y no seguir más acá.__Dejé el lugar donde nací hace muchos años, debo decir que nunca me sentí parte de él o de ningún otro, tengo lo que mi psicóloga me dijo desarraigo de patria, también desarraigo familiar. Por más que me esfuerzo y esfuerzo no logro conseguir amigos, la relación con mi familia era tan tóxica que por mi salud mental me vi en la obligación de cortarla.__Mi esposo es un sol, y aún así para mí esto no es suficiente; trato todos los días de mi vida aferrarme a su amor; pero no puedo negar el dolor que me da vivir en esta sociedad, no encajo en ninguna parte ya sea familia, trabajo, personas en general.__Estoy muy cansada de esforzarme por encontrar mi lugar acá, donde todo parece que está hecho al revés.__E ido a psicólogos buscando ayuda y me han dado de alta porque no me pueden ayudar, una vez les hago ver que tengo las cosas muy claras y que no hay forma de cambiar la realidad en la que vivimos; así es la vida. Una de ellas me dijo una vez; te asombráis a saber que la mayoría de mis pacientes son personas también mentalmente sanas y que terminan en terapia porque en algún punto no pueden lidiar más con la locura de mundo en el que vivimos.__Soy una misantropa y al parecer a menos que lo haga yo misma, personas como yo tendremos que seguir esperando hasta que esta sociedad acepte que tanto la vida como la muerte son una opción personal y no deben ser juzgadas y mucho menos desde temas religiosos que han sido creados por otro ser humano solo para manejar y controlar las masas.

skareha
skareha

国家はが我々が人生を中断する選択をできないようにする権力はあっても人が人生を終了する選択をできないようにする権利はない。__私は安楽死には全面的に賛成する

ShelbyG007
ShelbyG007
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私の身体、私の魂、私の人生、私の選択。 私は尊厳を持って、苦痛なく死にたい。死の観光客になるのではなく、どこで死ぬかを選択したい。

My body, my soul, my life, my choice. I want to die with dignity, pain-free, and have the choice where I die instead of having to be a death tourist.

ああ
ああ

安楽死賛成

Gxfhvggg
Gxfhvggg

精神疾患ではなく判断能力がある人なら病気有無にかかわらず安楽死は受けてもよいと思う。もし自分の国で認められたら最後に美味しいもの食べたいものだ

Volpe
Volpe
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私は、重度の衰弱性うつ病に苦しむ人々や、一人で路上にいて客観的に見て助けを得られない人々も、電車の下に身を投げるのではなく、自殺幇助を利用できるようにすべきだと信じている。この権利がさらに『包括的』になることを願っている。

Pro e anzi, credo che anche le persone che soffrono di depressione grave e debilitante, oppure chi si trova solo e per strada e obbiettivamente non avrà accesso ad aiuti dovrebbe essere aiutato ad accedere al suicidio assistito piuttosto che buttarsi sotto un treno. Spero che questo diritto possa essere ancora più "inclusivo".

Olga Hernandez
Olga Hernandez
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はい、自殺幇助には大賛成です、やりたいです...。お願いです、もう耐えられないんです、生きるのが地獄なんです、何年も苦しみ続けて、希望もなく、どんなに望んでも、人生で好きなことがあっても、しばらくするとそれが消えて、また地獄がやってくるんです...。生きていることが拷問であり、地獄なのだから。もし私に自由意志があるのなら、自殺幇助を選び、永遠に眠ることを選ぶ。

Si, estoy muy a favor de el suicidio asistido, yo quiero hacerlo... Por favor ya no aguanto más, para mí es un infierno vivir, llevo años sufriendo y sin esperanzas, por más que quiera cuando hay algo que me gusta de la vida al rato se va y viene otra vez ese infierno... Ya no hay nada para mí y siento y sé con certeza que ése es mi único camino, solo quiero Paz y dormír y jamás despertar porque vivir es un suplicio e infierno, y si tengo el libre albedrío, escojo eso él suicidio asistido y dormír para siempre

Vee123
Vee123
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@Olga Hernandez

私も同じ...それが唯一の出口だと感じている。生き続けようとするたびに悪くなるばかり。私にとって人生は地獄で、いつも神様に命を絶ってほしいと泣きながら眠りにつくんだけど、なぜか目が覚めてしまう。自殺は許されざる罪であり、地獄には行きたくない。疲れ果てているし、世界の別の場所に移住して人生をやり直すことが良いことなのかどうかもわからない。

Same here dear…I feel that’s my only way out. It only gets worse everytime I try to keep living. Life is hell for me and I always go to sleep crying my eyes out for God to take my life but I somehow keep waking up. The only reason I haven’t take my life is the fear of hell cus I grew up with the belief that suicide is an unforgivable sin and I do not want to go to hell. I’m exhausted and I don’t know if relocating to another part of the world and starting my life all over will do any good but I need a way out either ways.

松野家代表
松野家代表
@Olga Hernandez

僕も似たようなものです。__親の高齢化や持病もあるし、僕は広汎性発達障害に加えて、持病もあるしで、将来を考えても明るい未来は絶対にと言っていいほど、描けないのです。____そんな中でも、家で内職しないと収入がないので生きていけません。__B型の作業所に行っても、平均1万5千円、多くても2万円程度の工賃と言われることが多く、家に帰っても母の内職があればやります。__そんな生活を何年もやっており、僕は自分のためではなく、家族のため、健常者のために働いていると思っています。____生きることは試練だ、みたいにも言われますが__人生の大半を苦しみながら生きるのは、酷だと思うなんです。__苦しみは長く続かない、苦しみは途切れるみたいなことも聞いたことありますが、苦しまなくて良い期間よりも、苦しまなくちゃいけない期間のほうが長いと思います。__そうやって、苦しむ生活をしながらでも、生きないといけないんですか?__苦しんででも、耐え抜いて生きた先に何があるのでしょうか?__苦しみから得られるものは、微々たるものであっても、苦しんでよかったと思えるなら、華なのでしょうが、僕は苦しんでよかったと思えない気がしてます。____これ余談ですが、僕は行きている自分自身が憎いですし、腹立たしい気持ちもあります。

Moretto
Moretto
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私は自殺幇助に全面的に賛成である。そのような処置が正当化されるような健康状態であれば、誰もが自分の生死を自分で決めることができるはずだからだ。しかし、「死の旅行者」であろうとCH居住者であろうと、直接的・間接的な費用はすべて事前に本人が支払うべきだと私は考える。

Sono pienamente d'accordo con il suicidio assistito in quanto ognuno deve poter decidere sulla propria vita o sulla propria morte se lo stato di salute è tale da giustificare tale procedura. Tuttavia, indipendentemente che si tratti di "un turista della morte" o di una perdona residente in CH, ritengo che tutti i costi diretti e indiretti debbano essere completamente pagati dal soggetto prima dell'evento.

Gabriela M
Gabriela M
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本人が健全な精神状態であり、能力がない、あるいは生命を脅かす病気がある限り、誰も人の決定に干渉すべきではない。

Siempre que la persona este en sus cabales y que haya una enfermedad incapacitante y/o mortal, nadie debe entrometerse en las decisiones de las personas.

Phytom
Phytom
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国家には、人々が安易な道を選ばないようにする権利はない。それを政府が決めるべきだと思う人は、自己決定権を失っている。

The State has no right to keep people from taking the easy way out. And anyone who feels like the government should decide that for them has lost all self-determination.

JürgenD
JürgenD
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@Phytom

この点こそが、スイスの死への幇助に対する考え方が、世界中で展開されている多くの死への幇助制度と異なる点である。スイスのアプローチは、2020年のドイツ憲法裁判所の画期的な判決によって正当化された。同裁判所は、死への幇助の絶対的な禁止を打ち消すため、死への幇助を許可または禁止するためのQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を決して立法的に確立すべきではないと宣言した。このような社会政策の重大性を理解したのがドイツの裁判所であったことは偶然ではない。1930年代の危険な国家公認の安楽死法を思い起こせばよい。

This point is what distinguishes the Swiss approach to assisted dying compared to most assisted dying regimes that have been developed around the world. The Swiss approach has recently been legitimated by the landmark German Constitutional Court decision of 2020. The Court struck down any absolute prohibition on assisting someone to die by declaring that a quality of life should never be established legislatively to allow or prohibit assisted dying. It is nota coincidence that it was a German court that understood the immense gravity of such social policy best leftup to the individuals directly involved in the procedure. One need only recall the dangerous state-sanctioned euthanasia laws of the 1930s.

Vera Nicoletti Siqueira
Vera Nicoletti Siqueira
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私は、人々が自分の人生を中断することに賛成だ。

Sou totalmente a favor das pessoas decidirem interrmper a vida .

Pericardi
Pericardi
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それは、痛みを経験し、その人にとって不十分な生活の質を前にした、個人的な決断である。

Es una decisión personal , ante un dolor y o calidad de vida inadecuada para quien la vive

GJ
GJ

賛成です。__日本人がスイスなどで安楽死されるようなテレビ番組や、ALSやパーキンソンなどの病気と戦う患者さんたちのドキュメント番組などを観ました。__進行性のそうした病気によって身体が動かせなくなり、意識だけの世界に閉じ込められてしまうことはとても恐ろしいことです。__またそれのみならず激痛との戦いは非常に過酷です。__がんなどでも同様です。__そして国内で安楽死という選択肢がなければ患者さんと長旅をし、異国でお別れをし、ほんの数日前にその大切な方とともに旅した長旅をその方のご遺骨と帰ってこなければならないのです。__ご家族、親族、友人、そうした同伴者にとってそれもまたこの上ない辛さだと思います。__どうか日本でも厳格なルールの下、安楽死という選択肢を合法化してほしいと願います。

abcz
abcz

本人にしか分からない苦しみもあると思います。安楽死制度には賛成です。

Annaerre
Annaerre
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プロ__は、私が自立できなくなった場合、この解決策を使用する意思がある。

Pro __è disposta ad utilizzare questa soluzione se dovessi non essere più autonoma.

Saito
Saito

くらんけさんは「死なせることばかりにフォーカスしないで、患者にとって生きる糧にもなりえるんだということを知って欲しい」と話しているのですね。同感です。「安楽死が最大の糧となっている」という言葉も、よく分かります。私は、ディグニタスの会員の一人です。がんが骨転移しており疼痛コントロールしていますが、苦しい日もあります。日本では終末期医療に希望が見出せません。来月、オンライン対話会で、安楽死について話題提供させて頂く予定です。日本でもスイスなど安楽死が行われている国々のの正しい状況(メリット・デメリットを含め)が伝わり、そのうえで、対話が深まればと思います。

Cesare
Cesare
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自殺幇助について語る前に、まずこの種の「治療」の対象を理解すべきである。___自殺(ラテン語のsui caedere「自殺する」から)は、人が意図的に死を招く行為と定義される。死(「旅立ち」または「死」とも呼ばれる)とは、生体を維持するすべての生物学的機能が不可逆的に停止することである。死によって、生物、より広義には機能的に組織化されたシステムの存在は終わりを迎える」。「自殺」や「死」といった用語が一旦枠組み化されれば、ある条件下で男性や女性のような「生物」に何が残るかを論じることができる。健康である、あるいは少なくともその機能のすべて、あるいはほとんどを遂行できる生命体が、その存在を終わらせることを決めたら、自殺と定義できることは明らかである。しかし、私の考えでは、ある種の人間のある条件は、生きているとか、生命機能を有しているといった言葉をはるかに超えている。確かに、昏睡状態、植物状態、脳死といった状態では、生きている人間とは認められない。このような場合、もはや動くことも意思決定することもできず、意識すらないのだから、自殺について語ることは実に場違いである。このようなケースは、この治療法を用いた詭弁学の中では価値があるように見えるが、同じような境遇にあるケースも同じようにたくさんある。そこで、私たちは自問するかもしれない。『男女の尊厳にとって、いわゆる "代理の命 "を絶つことと、もはや人間的な特徴を反映しないある種の特徴を持ったまま生かし続けることの、どちらがより良いのだろうか』と。結局のところ、『殺人者』は誰なのか?もはや尊厳も人間らしさもない人間を無理やり生かし続ける者と、本人とその愛する人々にとってまったくマイナスになるような方法以外では、彼の人生に何の足しにもならないような日々を終わらせることを許す者である。

Prima di parla di suidicio assistito, bisognerebbe innanzi tutto capire del soggetto che si avvicina a questo tipo di "trattamento".____Si definisce suicidio (dal latino sui caedere, "uccidere sé stessi") l'atto con il quale una persona si procura deliberatamente la morte. ____La morte (chiamata anche dipartita o decesso) è la cessazione irreversibile di tutte le funzioni biologiche che sostengono un organismo vivente. Con la morte termina l'esistenza di un vivente, o più ampiamente di un sistema funzionalmente organizzato.____Ecco, una volta inquadrati termini come "suicidio" e "morte" si potrebbe discutere di quello che resta di un "organismo vivente" come un uomo o una donna in determinate condizioni. E' chiaro che un essere vivente in salute o comunque in grado di svolgere tutte o quasi tutte le funzioni che competono a questo essere vivente, se decidesse di porre fine alla sua esistenza, potrebbe essere definito come suicida. Però secondo me, certe condizioni di taluni esseri umani, vanno ben al di la di termini come essere vivente e funzioni vitali. Di certo un essere vivente umano non può essere riconosciutocome tale nelle seguenti condizioni: coma, stato vegetativo o morte cerebrale. In questi casi è veramente fuori luogo parlare di suicidio, dato che l'individuo non è più in grado di muoverso o di prendere decisioni, neppure è cosciente. E se questi casi ci appaiono come meritevoli all'interno di una casistica che utilizzi questo trattamento, ce ne sono di altrettanti che rasentano chi per un verso chi per l'altro, questa stessa condizione. Quindi ci potremmo porre la domanda su: "cosa è meglio per la dignità di un uomo e di una donna porre fine alla sua chiamiamola "surrogato di vita", oppure tenerlo in vita con certe caratteristiche che non rispecchiano più quelle umane? In definitiva chi è "l'assassino"? Chi obbliga a rimanere in vita un essere umano che non ha più dignità e parvenze umane, oppure chi gli consente di terminare i suoi giorni che non potrebbero aggiungere nulla al suo vissuto, se non in maniera del tutto negativa per lui e per i suoi cari

Kmspillman@gmail.com
Kmspillman@gmail.com
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終末期の病気は、人生を終えるための絶対的な正当な理由である。誰にも干渉する権利はない。

Terminal illness is an absolute valid reason for end of life. NO ONE has the right to interfere.

hirotaka
hirotaka

尊厳死はあったほうがよいかと思う。
苦しみは本人しか分からない、エゴなとこはあるけど回りに迷惑かけたくないって人もいるかもしれない。
一生を痛み、苦しみで過ごすくらいなら楽させる選択もあっていいのでは。
回りの介護が今は出来ても、その人がいなくなった後を、どうやって過ごせるのか不安は残る

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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