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日本だけど日本じゃない 幕末から続くシュヴィーツの日本人劇

舞台上で右手を掲げる男性
「ヘソヌソデ120世」ことカール・シェーンベヒラーさんが2028年の野外劇開催の是非を問うと、「皇帝会議」会場は大きな拍手に包まれた SWI swisssinfo.ch / Tomoko Muth

スイス・ドイツ語圏の町シュヴィーツには、「Japanesen(ヤパネーゼン=日本人)」と名乗るお祭り集団が存在する。純日本人から見るといささか滑稽な姿をしたヤパネーゼンたちのミッションは、ファスナハト(カーニバル)の時期に野外劇を催行することだ。幕末から脈々と伝統を紡いできたヤパネーゼンたちだが、ある危機を背景に姿を潜めつつある。

東方の三博士がキリストの生誕を祝った1月6日(公現祭)は、カトリック色の強いシュヴィーツでは祝日に当たる。中央広場にほど近いイベント会場で、ヤパネーゼンたちが「帝国会議」を開いていた。シュヴィーツのファスナハトグループの1つ「ヤパネーゼン・ゲセルシャフト(日本人協会)」の年次総会で、今年で第169回を数える。

「2028年のファスナハト劇の実施に賛成の方は、挙手または拍手を!」――会長「ヘソヌソデ」120世を務めるカール・シェーンベヒラーさんがこう問いかけると、会場は拍手に包まれた。オリエンタルな衣装に身を包んだヤパネーゼンのほか、スイスの伝統衣装をまとった他のファスナハトグループも、第53作目の公演決定に祝福を贈った。

ファスナハトとはキリスト教の伝統行事で、「穢れの木曜日」から「灰の水曜日」までの6日間に行われる(日付は年によって異なる)。娯楽や食事を節制する四旬節(復活祭前の40日間)が始まる前に、豪華な食べ物やお酒、踊りなどで盛大に祝った習慣を起源とする。祝い方は地域によって異なり、スイスではバーゼルやルツェルンのファスナハトが有名だ。

シュヴィーツでは毎年灰の水曜日に仮面をかぶったNüsslerがパレードやダンスをするほか、4~6年に1度、野外劇が上演される。そのルーツは19世紀半ば、内戦の末にスイス連邦国家が誕生した時代に遡る。

カトリック保守州のシュヴィーツは1847年の内戦(分離同盟戦争)で自由主義派の州に敗れ、多大な賠償金を負わされていた。意気消沈していた地域の人々を励まそうと、地元の名士たちがファスナハトの行事として野外劇の開催を企画。1857年に奇妙な動物の登場する風刺劇「サーカス・カーニバル(Circus Carnival)」が上演され、好評を博した。

同じころ、はるか海のかなたの日本でも、大きな変革の波が訪れていた。1853年の黒船来航を機に、200年の鎖国の歴史に終止符が打たれようとしていた。周辺国の高関税に苦しんでいたスイスはこの機を逃すまいと、通商条約を交渉する使節団を日本に送り込むことを決めた。

米英とは異なり軍事力で交渉を進めることのできなかったスイスは、将軍らに贈り物をするため、10万フラン(当時のスイス連邦予算の1割前後)の予算を可決した。時計商エーメ・アンベールの率いる6人の使節団は、時計から絹織物、美術・工芸品、果ては消防ポンプなど、スイスの産業力と技術力を誇示する贈り物200点以上を用意した。

時計や絹織物の輸出振興のために連邦政府が大枚をはたくのは、農業州であるシュヴィーツの人々にとって面白くない話だった。サーカス・カーニバルの企画者の1人で地元紙発行人だったアムブロス・エーベルレは、自作として政府を痛烈に皮肉る劇作品を書き上げる。

その筋書きはこうだ。スイス使節団は山のような贈り物を持って日本を訪れ、「大君」(天皇)に謁見する。使節団は横暴な大君や諸国の使節に散々な目にあわされるが、やがてスイス農民の愛国心が大君を改心させ、最後は大君がシュヴィーツへの帰化を所望する。

こうして1863年2月に上演された「Schweiz in Japan(日本の中のスイス)」は、2000フランの黒字を生む大成功を収めた。企画者たちは「ヤパネーゼン・ゲセルシャフト(日本人協会)」を設立し、天皇「ヘソヌソデ」と朝廷人ヤパネーゼンが登場する劇「ヤパネーゼン・シュピール(日本人劇)」を定期開催するようになった。作品の台本は毎回書き換えられるが、その時々の時事を取り入れ風刺を利かせるのが鉄則だ。

≫☟の動画では、スイス公共放送(SRF)が「ヤパネーゼンシュピール」第50作(2013年)のリハーサルを取材しています。

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170年前の想像

ヤパネーゼンと称しながら、彼らの見た目が実際の日本人や日本文化を反映していないことはすぐわかる。細長いひげやガウンのような着物は、どちらかといえば中国風だ。少なくとも、現代人の目から見れば。

それはヤパネーゼンが、170年前のスイス人が想像した日本人の姿だからだ。外交ニュースは入っても視覚情報は乏しく、中国と日本の区別も、将軍と天皇の違いも分かっていなかった時代に、ヤパネーゼンは生まれた。彼らが現代ドイツ語のJapanerヤパーナーではなく、当時の呼称Japanesenヤパネーゼンと名乗り続けているのも、その歴史の長さを反映している。

日本に日本人劇を紹介した先人の1人、故・宮下敬三教授は「彼らにとって、当時の日本を忠実に再現することは大切ではなかった。可能な限りの憂さ晴らしをしようとする者たちにとって、日常的な現実からできるかぎり遠いものに変身することが早道であった」と分析している。

異国情緒への思慕は今も受け継がれている。第120代ヘソヌソデを務めるシェーンベヒラーさんは、スイスインフォに「ファスナハトの期間中、私たちが未知なる外国のものをどのように真似できるかを見るのは楽しいことだ」と話す。建築家のシェーンベヒラーさんは日本文化にも造詣があり、ヤパネーゼンが真の日本文化ではないことは百も承知だ。

「カーニバルだから『本物』であってはいけない。そのことを理解するのに、だいぶ時間がかかった」。1987年からシュヴィーツに住む押川恵美さんはこう話す。当初はヤパネーゼンに違和感を覚え、日本の着物を取り寄せて披露するなど修正を試みた。だがヤパネーゼンたちは「そうですね」と相槌を打つばかりで、本物に寄せる気は一切なし。10年以上が経ってようやく、「本物の日本文化を紹介するのが劇の目的ではない」ことに気づいたという。

ならばなぜ、シュヴィーツの野外劇はヤパネーゼンにこだわり続けたのか。第113代ヘソヌソデを務めたペーター・シュタイネッガー元州議員は、重要なのはヤパネーゼンの外見ではなく、「仲裁役としての天皇」だと分析する。

日本人劇の出発点となった内戦では、スイスがリベラル派と保守派に分かれて権力闘争を繰り広げた。その闘争は現在も続いており、スイスの民主主義の根幹を為している、とシュタイネッガー氏は説明する。

日本人劇でもシュヴィーツの民が内紛に巻き込まれていくが、最後はヘソヌソデが民衆を諫め、勇気づけ、未来への助言を与える。「天皇の登場は常に非常に尊厳に満ちている。天皇は批判されることも、侮辱されることもない」。この点では実際の日本の天皇を忠実に再現していると言える。

姿を潜めるヤパネーゼン

そんな歴史あるヤパネーゼンが、この10年ほど、急に姿を潜めている。帝国会議の日に行われていたパレードや、穢れの木曜日に子どもにオレンジを配ることもなくなった。2019年と2023年は日本人劇ではなく「ファスナハト劇」に改称され、ヘソヌソデとヤパネーゼンは脇役に追いやられた。

ヤパネーゼンに何が起きたのか。地元紙ボーテの記者で長年日本人劇を取材してきたフランツ・シュタイネッガーさんは、ヤパネーゼンが衰退した背景を「エリート主義への反発」だと解説する。

ヤパネーゼンは長く、裕福で影響力のある地元の名士たちによって運営されてきた。数十万フラン単位の上演費を集めるために必要な要素ではあったが、一般市民の目には「エリート主義的で排他的な紳士クラブ」と映っていた。

平等が重んじられる現代、その排他性は致命傷となった。ヤパネーゼン・ゲセルシャフトの役員はみつからず、帝国会議も開かれないまま。日本人劇は消滅寸前まで追い込まれた。

そして2016年、トニ・デットリンク元全州議員が主導して大改革を断行。人脈の広いカール・シェーンベヒラーさんをヘソヌソデに抜擢し、次作の脚本をシュヴィーツ出身の若手劇作家ロジャー・ビュルクラーさんに委ねた。そこで最優先課題となったのは、「ファスナハトの時期に野外劇を開催する」という170年前の原点だ。

「伝統を途切れさせたのは、戦略的な考えがありました」。ビュルクラーさんは、劇からヤパネーゼンの要素を大幅に減らした理由をこう話す。ほぼ活動休止状態に陥り、人々の関心を失っていたヤパネーゼンを救うには、「とにかく新しいことをしなければいけないと思った」。過去2作では風刺の要素を織り交ぜつつ、歌やダンスを豊富に取り込んだ。

≫ロジャー・ビュルクラーさんが「再生」させた野外劇(2019年)の全編☟

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こうした思惑は奏功し、シン・ファスナハト劇は「劇と観客との距離を縮める」(フランツさん)ものとして好評を博した。だがヤパネーゼンは絶滅したわけではない。2028年の脚本も手掛けるビュルクラーさんは、自作について「詳細はまだ決めていないが、少しヤパネーゼンが戻ってくるでしょう」と話す。

伝統や祭りの継承に行き詰まるのはシュヴィーツだけではない。日本では、半裸の男性が護符の入った麻袋を奪い合う「蘇民祭」が高齢化・人手不足を理由に廃止され、1000年の歴史に幕を閉じた。

時代の変化のなかで生き残るには、時に「創造的破壊」が必要なこともある。シェーンベヒラーさんは自作の成功を確信する。「伝統とは灰を燃やし続けることではなく、ともしびを引き継ぐことだ」

編集:Balz Rigendinger、校正:宇田薫

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