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「満ち足りた気持ちで目一杯生きる」―シンプルな生活の教訓

スイス 山 生活 暮らし ロバート ミュラー
トラクターと自然の力を利用し、重労働である伐採材の運搬作業をこなすロバート・ミュラーさん Dahai Shao, swissinfo.ch

店もない、レストランもない、バスなんてもちろんない。下手をすれば、この山の上の半径数キロ以内で、羊と牛を除いた他の生き物に出会うことなどないかもしれない。眼前に広がる広大な草原。これこそスイスの観光パンフレットなどでよく目にする美しい風景だ。スイスインフォがこの山に住む67歳の男性の一日に密着した。

 美しい風景に囲まれたこの場所にはどんな人が住んでいるのか。暮らしぶりはどうか。スイス中央部に広がるエメンタール地方の山あいで農家を営むロバート・ミュラーさん(67歳)に話を聞いた。

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エメンタール地方のアルプス

このコンテンツが公開されたのは、 この時期、エメンタール地方のアルプスは絶景だ。ロバートさんの山小屋へ向かう途中、まるでその絶景に自分が吸い込まれたかのような、人間と自然が一体化した感覚になる。 (写真&文・ Dahai Shao 英語からの翻訳・宇田薫)

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 スリッパをはいたミュラーさんが、自宅の山小屋入口で記者を出迎えてくれた。年齢より若く見える。山小屋の内装はモダンな雰囲気にリノベーションされ、設備の整ったキッチンもある。一般的な農家のイメージとはずいぶん違う。

木の伐採

 木を伐採する現場に到着して、ひどく驚いた。峡谷の中に立つ2本の木が山の中腹まで伸びているのを見たからだ。この木までどうやって行って伐採しようというのか見当もつかなかったが、ミュラーさんは2時間で、しかも一人で作業をやり終えてしまった。

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スイスの山での伐採作業

このコンテンツが公開されたのは、 美しい風景の中で生まれ育ったロバート・ミュラーさんの一日に密着した。

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 正午になり、ミュラーさんが手作りのパスタを振る舞ってくれた。正直なところ、スイスで食べたパスタの中で一番おいしかった。

 お昼休憩の間、ミュラーさんがインタビューに応じてくれた。

スイスインフォ: なぜこんな場所に住んでいるのですか。生計はどうやって立てているのですか。山あいの人々はどうやって助け合っているのですか。

ロバート・ミュラー : 私はここで生まれ、屋根職人として働いた。家と土地と森は、2004年に父親から相続したものだ。1969年に結婚し、ベルンに引っ越して、71年までそこに住んだ。子どもたちはそれぞれ別の都市で暮らしている。20年前に離婚した。

生活は年金収入でやりくりしている。私が若かったころは企業年金がなかったので、あるのは老齢・遺族年金だけ。これだけだと都会では暮らせない。私はもう退職した身だが、健康状態は良好だ。だからパートタイムの仕事をし、木材を売って収入を得ている。この臨時収入のおかげで経済的な自由を得られ、より裕福な暮らしができる。
山に暮らす人々の仕事は農業や酪農、畜産業(牛や羊、シカ)が一般的だったが、若い年代は違う。彼らは近くの都市部に出て働いている。

スイスインフォ: このような人けのない場所に住んで寂しくないのですか。
 
ミュラー: 寂しくない。説明のつかないような気持ちに襲われることは時折あるが、それは寂しさではない。例えば雨の日に普段と違う変な気持ちになる、それと一緒だ。

スイスインフォ: どのようなことを大切に暮らしてきたのですか。

ミュラー: 満ち足りた気持ちで人生を目一杯生きること。前向きで、おおらかな態度でいること。大事なのは心をいかに平安に保つかだ。何世代にもわたって山に住む人はたくさんいる。彼らが山にとどまるのは、現状に満足し、おおらかな気持ちで人生を送っているからだ。

スイスインフォ: 何かあったらと不安にならないのですか。

ミュラー: 時々ね。例えばこの頭の傷痕は、木を伐採中に跳ね返った枝がぶつかってできたものだ。その時、衝撃で何分間、いやもっと長い間だったかショック状態になった。目が覚めて一目散にトイレに駆け込み自分で応急処置をした後、車を運転して最寄りの病院に行った。

だが、言うほどひどいもんじゃない。丘の向こうに山小屋が一軒あるだろう。あそこはベルンの警察署に勤めている女性警察官の家だ。丘の上に羊が約20頭いるが、あれは彼女が育てたものだ。もし私の家の電気が2日間真っ暗なままだったら、彼女が心配して様子を見に来るよ。

スイスインフォ: もう一度結婚しようと思ったことはありますか。

ミュラー: もちろん。でもそればっかりは運頼みだから(と笑う)。20年前に離婚してから、そのことは考えている。だが、これだと思う人に出会わなかったので、今も独り身というわけだ。別に気にしていない。

ミュラーさんの帝国

 ミュラーさんは、伐採材をとある場所まで引きずってきた。ここで明日、伐採材から枝を切り落とす作業をするという。ミュラーさんはここで、自分の「領地」を見せてくれた。牧草地と森から成る3万平方メートルの土地だ。様々な種類の木や土壌、水の源流について説明するミュラーさんの姿を見て、ごく普通の農家の人でも、記者の想像をはるかに超える高いサバイバル知識を身に着けているのだと知った。

 それにしても水や電気はどうやって引いているのだろう。電線や電柱はまだ見かけていない。水道管もしかりだ。水や電気のほか、下水の処理はどうしているのだろう。

 ミュラーさんは遠くの斜面にある、一段と鮮やかな緑色をした草むらを指さした。そこが水源だという。草の下にはミュラーさんの先祖が掘った井戸があり、井戸の水は管を通って自宅地下の貯水槽に流れ込む。その水を高水圧ポンプで台所とバスルームに流しているのだという。下水は地下数キロメートルに延びる下水管システムを使って処理し、電気は地下に埋設されたケーブルから引いているという。

 スイスの美しい風景が楽しめるのはこうしたシステムのおかげだ。この地域では環境保護のため、高圧電線は引かれていない。

 ここで生活するには、宇宙、地理、水、電気、機械、物理、化学、道路の補修、森林の管理など様々なことに関する知識を持たなければならないのだと実感した。

将来の計画

 ミュラーさんには将来の計画がたくさんあるという。一つは、トラクターの車庫と自宅を結ぶ道を舗装すること。雨や雪が降ると道がぬかるんで危険なため、レンガとセメントで固めるという。工具保管室にはドアと窓が欲しい。自宅と本道を結ぶ道も直したい。車いす生活になった時に備え、山小屋をバリアフリー仕様にする計画もある。

 また、野望もあるとミュラーさんは話す。例えば所有する森の隣にある、約7千平方メートルの林を購入することだ。林側からアクセスできるようになれば、トラクターで森に入るのがもっと容易になるという。もし売買契約が実現すれば、近く伐採を予定している6本の木をケーブルで谷から降ろすことができるという。

 引退してもなお、これほど野望が尽きないのはなぜか。子どもたちが自分の後を継がないことははっきり分かっているのに、だ。ミュラーさんは静かにこう答えた。「一日長く生きた分だけ、自分のゴールにまた一歩近づける」

 一日の終わりに、ミュラーさんは子どものようなあどけない笑顔を見せて言った。「自然を愛している。時々、衣服を一切身に着けず、自然の一部になって、自分の帝国の中で仕事に精を出す。人が来ることはめったにないし、誰の迷惑にもならない」

人生をよりよく生きるには

 「満ち足りた気持ちで人生を目一杯生きること。前向きでおおらかな態度でいること。大事なのはいかに心の平安を保つかだ」。67歳のミュラーさんによれば、健康は心の持ちようと環境で何とでもなる。ミュラーさんの人生は、長生きしたい人にとって最良の秘けつではないだろうか。

 ミュラーさんのような生活をしてみたいと思いますか?休暇を彼の山小屋で過ごしてみたいですか?ご意見をお寄せください。

(英語からの翻訳・宇田薫)

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