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ユネスコの世界文化遺産 スイスとル・コルビュジエの「遠い」関係



世界文化遺産に登録されると決まった東京・上野の国立西洋美術館

世界文化遺産に登録されると決まった東京・上野の国立西洋美術館

(Keystone)

トルコ・イスタンブールで開催されているユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会で17日、東京・上野の国立西洋美術館を含む「ル・コルビュジエの建築作品」が世界文化遺産に登録されると決まった。偉大なアーティストとして世界的に有名なル・コルビュジエだが、出身地のスイスではその名が認められるまで長く時間が掛かった。スイスとル・コルビュジエの関係はどのようなものだったのか。

 今日、ル・コルビュジエは国際的に影響を与えたアーティスト、建築家、デザイナーとしてスイス国内でもよく知られる存在だ。現在スイスで発行されている10フラン紙幣には、飾り気の無い黒縁メガネをおでこに上げたル・コルビュジエの肖像が描かれている。

 しかし、スイスがル・コルビュジエを20世紀の偉大なアーティストであると認めるまでには、とても長い時間が掛かった。ル・コルビュジエ生誕125周年でスイスインフォが2012年に行った取材に対し、アーティスト・デュオのプロンク&レプロンクは「スイスはアーティストが他の国で有名になってから初めて、その人物を認める」(レプロンク)と語っている。

 ル・コルビュジエに関する著書がある作家のニコラ・ヴェルダン氏もこう話す。「スイスは、当時すでに有名だったこの建築家のことを、長い間認めようとはしなかった。だから彼もスイスのことを認めなかった」

 ル・コルビュジエのそのような姿勢は、回想録やプライベートで残したメモ書きからもわかるという。「ル・コルビュジエはよく『スイス』を批判や失望の言葉と共に語った。彼の不満はジュネーブの国連欧州本部がある『パレ・デ・ナシオン』の建築プロジェクトが拒否されてからさらに強くなった」(ヴェルダン氏) 

 ヴェルダン氏はそんなル・コルビュジエを「ミステリアスで謎の多い」人物と表現している。

偉大な建築家、ル・コルビュジエ なぜ人はル・コルビュジエを愛し、また嫌ったのか

ル・コルビュジエは国際的に影響を与えたスイスのアーティストであり、建築家であり、デザイナーだ。だが、第2次大戦中の権力との繋がりは、この20世紀の最も偉大なアーティストの評価に影を落とした。今年は生誕125周年にあたる。ル・コルビュジエの生涯を追った(SF/swissinfo.ch)

「ル・コルビュジエの建築作品」

ユネスコの世界文化遺産への登録が決定したのは「ル・コルビュジエの建築作品」で、フランス、スイス、日本、ベルギー、ドイツ、アルゼンチン、インド7カ国にある17資産。

スイス国内では、ジュネーブの集合住宅「イムーブル・クラルテ」、両親のために設計されたレマン湖畔の家が登録される。

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ル・コルビュジエ

1887年10月6日、ヌーシャテル州ラ・ショー・ド・フォンに本名シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ・グリとして生を受ける。地元の美術学校で彫刻、彫金を学ぶが、のちに建築家への道へと進んだ。

1912年:ラ・ショー・ド・フォンに初めての家を建設。

1917年:フランスに移住。パリにアトリエを設立する。

1929年:過密都市の問題解決を図ろうと、都市計画を発表しはじめる

1965年:コート・ダジュールのロクブリュヌ・カップ・マルタンで死去。

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(独語からの翻訳&編集・大野瑠衣子)

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