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アメリカが愛したクレーの自由さ

パウル・クレー「レモンの木が生えている土地」1929年、厚紙に貼られた紙に水彩とグワッシュ、フィリップス・コレクション (1938年購入). Collection Phillips

ワシシントンの「パウル・クレーとアメリカ」と題された展覧会で、観客はこの精神の自由、独立、喜びなどを伝えた画家とじっくり対話する。

この展覧会はクレーを愛したアメリカ人の歴史でもある。

 クレーは生涯米国に特に興味を持つことはなかった。しかし、米国人はクレーを愛した。画家のみならず、作家、建築家なども影響を受けた。クレーの全作品中10%以上が米国にあり、それはおよそ1150点に当たる。今回展示された80点を通し、「アメリカ」はクレーと対話する。

アメリカが手に入れたもの

 しかし、クレーは米国ですぐに有名になった訳ではない。20年代では「子供っぽい絵を描く画家」位の認識しかなかった。皮肉にもナチスの弾圧の「お陰」でクレーの絵は米国に大量に流れ込み、そこで初めて、その重要さに米国人は気づくのだ。

 「作品を急いで隠す必要がありました。米国がその隠し場所だったのです。クレーの作品が米国に大量に流れ込んで初めて、米国人はクレーの現代美術における重要さに気づくのです。文明を救うことはクレーを救うことだとまで考えたのです」とフィリップス・コレクションの学芸員、エリザベット・ヒュトン・ターナー氏は言う。

 クレーのこうした位置づけに、カール・ニーレンドルフのようなドイツ出身の美術商人やかつてクレーが教えた生徒たちの支持は大きかった。またコレクターにはあの有名なスイス出身のソロモン・グーゲンハイムもいた。もう一人の移民のクレー支持者、ナウマンに助言を受け、ニューヨークの現代美術館(MoMA)は1930年にクレーの大展覧会を開催している。

 ナチスが「退廃芸術」と烙印を押したものが1930年代の終わりに、ドイツにまだ残っていた。「いくら値引きされたか、といった議論は問題外にして、この購入で米国のコレクターはチャンスを手にしたのです。恐らく、ドイツが失ったものをこの時米国は手に入れたのです」とヒュトン・ターナー氏。

計り知れない影響

 ここにもう一人のコレクターがいた。スイス人、ダンカン・フィリップスである。彼はまずノーマン、次いでニーレンドルフからクレーの絵を買い、美術館(今回の展覧会場)を創設する。思慮深く、個性的なフィリップスは、当時、米国人がクレーの20年代の水彩画を集めていたのに対し、一点一点がまったく異なるクレーの絵を収集した。クレーの多様な創造性を理解し、それを皆に知って欲しかったのである。

 そしてフィリップスは、美術館の一室をクレーの作品だけで飾る。この部屋をその後一世を風靡(び)するアメリカの画家たち、ケネス・ノーランド、モーリス・ルイス、マーク・ロスコが訪れる。実際、クレーが戦後のアメリカ美術に与えた影響は計り知れない。

 が、クレーの影響は美術界だけに止まらない。この展覧会がそれを証明しているのだが、アレクサンダー・カルダー、アンディ・ウォーホルだけがクレーの絵の持ち主ではなく、作家のヘミングウエイ、建築家のフィリップ・ジョンソンもクレーの持ち主として名を連ねている。

 「戦争の終わり頃、米国のアーチストたちは、『抽象絵画は非常に個人的な表現であり得ること』をまだ、学ばければなりませんでした。だからといって、自然を捨てる必要はない。ただ個人の条件、思考、感情を通して自分の外の世界を拡大していくことなのです。この意味でクレーは米国のアーチスト各々が自分の好きな方向へと『離陸』していく手助けをしたのです」とヒュトン・ターナー氏。

観客との対話

 スタイルの多様な概念を探求し、様々なスタイルそのものを生み出したクレーは良い意味でシステマティックな画家ではない。が、色彩、構造、線、素材、動きなどの実験を通して、クレーが問題提起したものの大きさは計り知れない。

 ところで、クレーは観客との対話を大事にした画家でもあった。他の近代、現代の画家の多くが画面を巨大化して、観客にほとんど一方的に語りかけるのに対し、クレーは革新的な絵は小さな画面で十分だと知っていた。「小さな画面でも、描かれた形は巨大なものに変ぼうし得るのです。観客の心の中で、経験やインスピレーションによって、形はずんずんと膨れ上がるのです」とヒュトン・ターナー氏は説明する。

 ニューヨークの現代美術館で1930年に開催された展覧会以来70年を経て、今再びクレーの絵はアメリカの観客と対話し、「共感」を呼び起こす。「この共感とは自由と独立の思想です。これは米国とスイスをつなぐものだと思いますが、クレーは独立への情熱と、人間は自由に想像し、発明する存在なのだということを示しました。この人間の持つ自由と独立こそ、人間の尊厳そのものだと思います」

swissinfo、マリー・クリスティンヌ・ボンゾム、 里信邦子(さとのぶくにこ)意訳

- 「パウル・クレーとアメリカ」展はクレーの80点の作品を展示。

- この80点は、全て米国の美術館とコレクターに所属する。

- この展覧会は9月10日までワシントンの「フィリップ・コレクション」美術館で開催される。

- その後ヒューストンの「メニル・コレクション」美術館に行き、2006年10月6日から2007年1月28日まで開催される。

- パウル・クレーは1933年ナチス支配下のドイツを去り、スイスのベルンにアトリエを構える。
- 1879年、ベルンの郊外で生まれ、1940年スイスのティチーノ州ロカルノで亡くなった。

- ドイツ国籍であったクレーはその死後数日たって、スイス国籍を収得した。

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