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BRICSと非同盟運動の遺産

Nataša Mišković

ロシアや中国が主導する新興国グループBRICSは、21世紀における新たな非同盟運動なのか。歴史学者ナターシャ・ミシュコヴィッチ氏が、その違いと共通点を紐解き、欧州に対し対等な交流を求める。

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平和的な世界、すなわち人々がルールに基づいて共に暮らし、自由に貿易を行う世界というビジョンは近年、無残にも霧散した。1989年のベルリンの壁崩壊以降、世界が常に平和だったわけではもちろんない。だが第2次ドナルド・トランプ政権誕生後、克服されたと考えられていた「大国の力による政治」が再び世界の舞台に帰ってきたことは明らかだ。この不安定な環境は、スイスを含む欧州に新たな立ち位置を迫り、同盟関係の見直しを強いている。

東ではクレムリンの支配者(ロシア政府)が軍事的恫喝を繰り返し、西では強大な同盟国が軍事同盟に疑問を投げかけ、突如として理不尽な関税を要求する。欧州は一体どうすべきなのか。

こうした状況のもと、冷戦終結後に「死亡宣告」を受けた組織が政治・外交の世界で再び意識されるようになっている。それが「非同盟運動」だ。今夏、ブラジルで開かれたBRICS首脳会議で、ルーラ・ダ・シルヴァ大統領はBRICSを「非同盟運動の後継者」とまで呼んだ。ブラジルが非同盟運動の加盟国でないことを考えれば、これは驚くべき発言だ。BRICS創設国のうち、非同盟運動に参加していたのはインドだけ。では、ルーラをこのような呼びかけに駆り立てたのは何か。そしてなぜそれが今日において重要なのか。

利益に基づく結集

非同盟運動は、冷戦期の二極世界においてNATO(北大西洋条約機構)にもワルシャワ条約機構にも加わらないグローバル・サウス諸国で形成された。1961年9月、旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードで創設した。

ヨシップ・ブロズ・チトー大統領の招待を受け、25カ国の首脳が軍縮・緊張緩和に関する宣言に署名した。基盤となったのは、国連憲章に基づき反植民地独立闘争の経験から生まれた平和共存の5原則「パンチャシラ」だ。

これは1947年に独立したインドの首相ジャワハルラール・ネルーと、1949年に建国された中華人民共和国の首相・周恩来がチベット問題で協議した際、1954年に両国関係の5原則として合意したものが基盤となった。

5原則は次の通り。

  1. 国家の主権と領土的一体性の相互尊重
  2. 相互不可侵
  3. 内政不干渉
  4. 対等な政治的・経済的協力
  5. 二国間および国際レベルにおける平和的共存の推進

言い換えれば、加盟国は互いの国境を尊重し、相手国の内政に干渉せず、攻撃しない。互いに協力し、まずは国連の場において世界平和のために尽力する。

1956年7月、ブリユニ島でエジプトのガマール・アブドゥル・ナーセル大統領(左)とインドのジャワハルラール・ネルー首相(中央)と非同盟運動首脳会談を行ったユーゴスラビア大統領ヨシップ・「チトー」・ブロズ元帥(右)。
1956年7月、ブリユニ島でエジプトのガマール・アブドゥル・ナーセル大統領(左)とインドのジャワハルラール・ネルー首相(中央)と非同盟運動首脳会談を行ったユーゴスラビア大統領ヨシップ・「チトー」・ブロズ元帥(右) Afp Or Licensors

理想と現実

このように非同盟運動は、脱植民地化の反帝国主義的独立闘争から生まれた価値規範に基づく運動だった。創設者とされるのは、チトー、ネルー、そしてエジプトのガマール・アブドゥル・ナセル大統領だ。彼らは冷戦下で超大国に対抗するため、ポストコロニアル諸国を結集させようとした。

ネルーは早くから積極的な外交政策を展開した。1955年のインドネシア・バンドンで開かれたアジア・アフリカ会議で、当時孤立していた中国を招待することに成功した。この会議はアジアとアフリカの主権国家の連帯を祝うという象徴的意義を持っていた。しかし、参加国の利害は大きく異なった。特にネルーの対中政策は見事に失敗したヒマラヤ山脈の国境問題の未解決や1959年のダライ・ラマのインド亡命は、今日に至るまで続く対立の火種となった。

ネルーは、自らの非同盟・連帯構想を実現するためにチトーやナセルに協力を求めた。第二次大戦の英雄であるチトーは、ソ連に長く滞在していたものの、ユーゴスラビアの独立をモスクワへの忠誠よりも優先し、1948年にはスターリンと決別した。

ナセルは1952年の軍事クーデターで政権を掌握し、1956年には英国統治下のスエズ運河を国有化してスエズ危機を引き起こした。世俗的汎アラブ主義の象徴であり、アフリカ統一機構(OAU)の推進力でもあった。

このカリスマ的三者のもとで非同盟運動は、グローバル・サウス諸国を世界舞台に組織化し、その数的優位によって国連総会での投票に影響を及ぼすことに成功した。超大国はこれを快く思わなかった。

非同盟運動の衰退

米ソ両陣営は恫喝、融資、武器供与を通じて加盟国を自陣営に引き込もうとした。チトーは世界政治の仲介者として君臨し、夏の別荘ブリオーニ島で各国の要人をもてなし、取引を仲介した。チトーは晩年までソ連による自らの構想への介入を阻止し続けた。死の直前となる1979年、ハバナで開催された非同盟首脳会議では、ソ連を「当然の同盟者」と宣伝するフィデル・カストロを抑え込み、非同盟の理念を守った。

1980年のチトー死去によって最後の創設者が去り、非同盟運動は影響力を失った。加盟国数は増え続けたものの、パンチャシラは形骸化し、必要に応じて都合よく引用されるだけとなった。定期的な首脳会議のほか、いまも実質的に残るのは国連内の「非同盟コーカス(非同盟運動、NAM)」であり、敵対国の代表が水面下で接触できる場となっている。

BRICS 緊張をはらむ同盟

では、ブラジルの大統領がBRICSを非同盟の後継者と呼んだのはどういう意味なのか。

BRICSは2006年にブラジル、ロシア、インド、中国によって創設された、非西側の有力国の枠組みだ。その起源は、ソ連崩壊後にロシアの元外相エフゲニー・プリマコフが、中国やインドとの同盟を模索したことにある。米国への対抗軸を作る構想だった。

現在の非同盟運動とは対照的に、BRICSの地政学的重要性は軽視できない。トランプの無作法な攻撃がルールに基づく国際秩序を揺るがすなか、プリマコフの対西側構想は現実味を帯びている。

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BRICSの政治的アジェンダは極めて多様で、中国、ロシア、インドはいずれも固有の権力的利益を追求する。今年は拡大の一環として、1955年バンドン会議の開催国インドネシアなどが加盟した。

さらに、BRICSは13カ国(大半はグローバル・サウス諸国)をパートナー国として招待した。ブラジルの大統領が非同盟運動を引き合いに出すのは、これらの国々に敬意を示すと同時に、ポストコロニアル諸国間の長きにわたる連帯を効果的に喚起するためだ。

ルーラ・ダ・シルバは世界各地の紛争激化、国際法の無視、ウクライナやイランの主権侵害を容赦なく非難する。NATOを軍拡加速の元凶として名指しで非難することもためらわない。

非同盟運動と異なるのは、BRICSにはロシアが加盟していることだ。もしBRICSが自らを非同盟の後継とみなすのであれば、パンチャシラの原則――特に「相互不可侵」――を尊重しなければならない。ウクライナに対しても同様だ。それこそルーラ・ダ・シルバの呼びかけに込められた意図の一つだろう。

一方、多くの非欧州諸国はウクライナ戦争に中立的態度を維持し、事実上モスクワの帝国的権力の主張を暗黙のうちに受け入れている。その裏返しとして、欧州諸国は西側ブロックの一部として一括りにされ、旧東欧諸国は「ポストコロニアル国家」とはみなされない。そのためこれらの国々のトラウマや安全保障政策上の問題に対する認識は低い。NATOの東方拡大は自動的に「ロシアの安全保障を脅かすもの」と批判される。

欧州諸国は、より独立性を強め(新)BRICS諸国と対等に向き合うことが賢明だろう。そしてパンチャシラや非同盟運動の事例を通じて、BRICS諸国に旧東欧諸国の利害を理解させる努力をすべきだ。

編集:Benjamin von Wyl独語からの翻訳:宇田薫

本記事は筆者の見解であり、スイスインフォの見解を必ずしも反映するものではありません。

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